人生ではじめて、一番勇気を出した日。
それは、「掃除をしない。」と母に言うことでした————。
休日の昼間、いつもなら
「ちまちゃん、手伝ってー!」と言われたら、
いやいやながらも「はーい。」と言って、手伝うんです。
それでも何か、いやな感じがした。
だから私は、『人生で初めて』、親の手伝いを無視することにしたんです。
そんなのはじめてで。だから怖かった。
ずっと優等生として生きてきた私。親を無視することなんて、した覚えがありませんでした。
————こわかった。
1、2秒、返事をしないで、じっと耳をすます。
たったそれだけのことで、身体がカタカタと小さく震えて
と、祈るような気持ちで、今すぐにも撤回して手伝おうとする自分を、ぐっと堪えていました。
それくらいに私は、
と思いこんでいたわけです。
たったそれだけの、小さな反抗をするのでさえ、自分の価値がひどくおびやかされて消えてしまうような気持ちがして
こわくて怖くて、たまりませんでした。
はたから見たら、「何だそんなこと?」と、思うでしょう。
けれど、振り返ってみてもこの時が一番、私の人生にとって最も怖いと感じた瞬間でした。
大学受験の本番よりも、オーディションを受けるよりも、中体連の最後の試合の最終局面よりも
何よりも、
が、おそろしくてたまりませんでした。
スポーツやテストは、答えがあるからいいんです。
「正しいもの」が決まっているから、それに向かって進むうちは、安心なんです。
それが、ほんの少しでも、
自分の築き上げてきた「像」を壊してしまうかもしれないという瞬間、
とてつもない恐怖にのまれる。
それは、人間の本能かもしれないし、真面目ないい人をやってきた人ほど、そうなのかもしれません。
自分のイメージを崩すのには、勇気がいります。
それが、他者にとってはマイナスの方へと動くほど、そうです。
でも、自分にずっと嘘をつき続けてきた私が、たった一つ、これまでの自分にヒビを入れた瞬間、
小さくぎゅっと縮こまって耐えた瞬間、
私は何よりも、あの時の自分を力強かったと感じています。
何事も、はじめが一番こわいです。
他者にとっては何ごともないことでも、自分にとっては相当にこわいことも、あります。
私はそんな自分をいっぽ一歩、認めながら、おびえながら、自分に嘘をつかない方へと歩みをすすめてきました。
今、何よりも感謝を感じているのは、
あの時に「掃除をしなかった」小さく震えていた自分です。
そんなこと、だけど、私にとっては大したことなのです。
最初が一番、こわいんですから。
その後、同じようにたくさんの嘘を「正直」に変えていった私。
周囲はやっぱり、「どうしたの!」「反抗期?」と驚き、混乱していたようでしたが、
今ではすっかり、素の自分をすんなりと受け入れてくれています。
素の自分といっても、根がまじめですから、全然手伝ったり、もするんですが何というか
という思いが、なくなったというか。
という気持ちに、なれたんですよね。そうすると逆に、手伝いたくもなるというか、ならないというか。。(笑)
やっぱり人間、選択肢がない状態
「絶対にしなきゃ」だと窮屈だし、
息苦しくなるけれど
「選択肢がある」というだけで、
随分ちがうものですね。
今では母も、家族とも、仲良くやっています。
一時期は「自分に従わなきゃ!」と、つんけんしたこともありましたが。(笑)
でも、やっぱり
と強く強く思いこんでいたそれらは、「思い違い」だったんだなあ。と今、心底思います。
当時の自分にいくら伝えても、決して信じられなかっただろうけど。笑
試してみて、わかることもある。
きっと、あなたはあなたのままで、愛されているし、受け入れられているし
そのまんまの素の状態で生きている、あなたに価値があって、周囲もそこを見てくれている気がしますね。
体感的に信じられないと、全くうそのように感じるかもしれませんが。(笑)
もしかしたら(or 信じてみたい)、という方は、試してみるといいかもしれませんね。
ほんの小さなことに、ものすごい勇気を必要とするかもしれませんが。
そんな、誰にも見えないところで、小さく闘った自分を、未来の自分は「よくやった!」と褒め称えているのかもしれません。
ほんの小さなことから、はじめていこうね。
おわり。
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