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取り留めのない日記

夕暮れ時に近所の海の見える公園を散歩するのが好きだ。

夕陽が海に溶けていくのを見ていると、本当に美しくて全部おしまいの気持ちになる。

辺りが暗くなるまであっという間で、ぼんやり帰り道を歩いていると、コンビニの灯りがバカみたいに白く眩しくて何処か別の街へ来たみたいだ。

見上げるとどこの家にもオレンジ色の灯りが灯っていて、カレーの匂いと各々の家の楽しそうな声がする。

幼い頃母が嬉しそうに3人分の夕食を作り、家族で食卓を囲んで食べたあの部屋と、いつ帰っても真っ暗で誰もいなかった冷たいあの部屋のことを交互に思い出す。

中高時代は母に嫌われたくなくて、夜遅く帰ってくる母のために夕食を作っていた。
飲みすぎて酔っ払って帰ってくる母は夕食を食べない日も多くて、朝起きて 残されたそれを弁当箱に詰めて学校へ行った。
周りのみんなは彩り鮮やかな幸せを体現したような弁当を食べている。
茶色くてぼそぼそするおかずを無理やり喉の奥へ押し込む。昼休みが早く終わればいいのにと願った。


母から外食に誘われる日はいつも全然知らないおじさんが一緒だった。
大袈裟に美味しいわ とにこにこ振る舞う母を見ていると吐き気がしてきて料理の味がよくわからなくなった。
愛想がなく仏頂面のわたしのことを母はいつも罵倒した。

母が作ってくれた料理で1番好きなものは何だっただろう。
父がたまに張り切って作ってくれた甘すぎるすき焼きや焦げたお好み焼き、いとこのおばちゃんが親戚の集まりで振る舞ってくれたちゃんぽん、友達のお母さんが食べて行きなよと出してくれた冷やし中華のことばかり思い出す。

わたしは実家の本棚で埃をかぶっていた昭和の料理本で料理の作り方を学んだので所謂おふくろの味があまり思い浮かばない。


中学の運動会は母が見にこなかったのでひとり教室でおにぎりを食べた。
教室の窓から他のみんなが重箱に詰められた豪華なお弁当を楽しそうに家族で食べているところを眺めていたらみゆきちゃんのお母さんに手を振られた。
さっと目を逸らしたが、しばらくしてみゆきちゃんのお母さんが教室を覗きにきた。
一緒に食べたら良かったねと差し出された紙皿にはからあげと甘い卵焼き、ピックに刺さったウインナーとチーズときゅうり、ミートボールが乗せてあり、端にはバランが添えてあった。

2年目の運動会からは窓から離れておにぎりを食べた。


部活帰りの学生たちが楽しそうに笑いながらわたしの横を通り過ぎる。

この中で真っ暗なお家へ帰る子供たちが1人もいないで欲しいと思う。
みんな夕食の匂いでいっぱいの温かいお家でおかえりと迎えられていて といつの間にか願ってしまう。



玄関の扉がいつもより重たく感じる。
しんとした暗い部屋にただいまと言ってみる。
ここはわたしの部屋で、帰る場所はここしか無いけれどどこかへ帰りたいなと浮かぶ。


美しいものを見た後や幸せなことがあった後、このまま終わりにしたいと感じる。
映画で幕が下りるようにわたしの世界が終われば幸せなままなのに。

バイクで日本一周したあとに自殺をした若い男性のニュースを知り、わかるよとつぶやく。

たくさん綺麗な景色を見たから、各地で美味しいもの食べたから、優しい人たちに出会ったからといって希望を持ってこの美しい世界で明日を生きたいと思えるかと言ったらそうではないよ。
むしろほんの少しだけ救われるかもと思っていた旅のその先が孤独と絶望だったと気付いてしまったとしたら。


最近は考えないようにしていた昔のことばかり、家族のことばかり思い出してしまう。

明日が来なければ良いのにと考えたり、訳もわからず怖くなってしまう夜に、眠れるまで優しく絵本を読み聞かせてくれるお母さんみたいに 眠たくなるまで話そうよと言ってくれる人がいたら良いのにね。

いつか、ずっと会いたかった人に会えた時にはちゃんと会いたかったと伝えたい。

窓を開ける。秋は空気が澄んでいる。


こんなどうでも良い取り留めのない話は秋の夜に考えるに限る。

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