ふたりで住むこと
新居へ越した。
憧れていたピカピカの新築のマンションへ。
新婚当初、わたし達ふたりはわたしたちより少し歳上の古臭いアパートへ2人で移り住んだ。
周りの新婚の友達はピカピカのマンションや新築のマイホームを建ててとても幸せそうにしていたので、オートロックもアイランドキッチンも中庭もコンシェルジュもいないオンボロアパートへ移り住まなければいけない自分のことを呪い、たくさん泣いた。
今考えれば本当に馬鹿馬鹿しいのだけれどわたしは新婚さんに夢を見ていた。
結婚をすれば突然キラキラで人が羨むような幸せが手に入るような、そんな気がしていた。
独身時代8年住んだ一人暮らしの狭い1Kの部屋へは高校時代にお小遣いを貯めて買ったラジカセひとつ持って実家から逃げるように越したんだった。
当時恋人だったまあちゃんが住んでいたのも同じような、冬は寒くてたまらなくて部屋にいるのに鼻先が冷たくなる壁の薄いアパート。
小さなちゃぶ台で身を寄せ合ってご飯を食べた。給料日にビールを買って、ちょっといいチーズを食べながら「美味しいチーズだから指が美味しくなった!!」とはしゃいだ小さなアパート。
誕生日プレゼントに贈ったサボテンを窓辺に置きっぱなしにして枯らしちゃったまあちゃんの気まずそうな顔。
よく晴れた日、日当たりがやたらといい南向きのベランダにまあちゃんはしょっちゅう布団を干していた。
清潔で乾いたシングルの布団にふたりぎゅうぎゅう詰めで眠り、毛布を取り合ったり掛け合ったりした。
眠りにつく瞬間に「週末、指輪を買いに行こうか」とぽつりと言ってくれたまあちゃんと、わたしは結婚した。
わたしみたいな変な女とこんなにも長く付き合って、結婚しようなんて思ってくれる変な男なんて多分今までもこれからもまあちゃんしかいないだろう。
結婚してオンボロアパートへ越すことが決まった時のわたしの気分は最悪だったが、住んでみると存外居心地のいい部屋だった。
日当たりが良くて丘の上に建っていたので見晴らしも良く、天気の良い日は空き地に猫が集まってゴロゴロしているところを眺めるのが好きだった。
まあちゃんは新調したダブルの布団をしょっちゅうベランダに干してくれた。
広すぎないところも二人にちょうど良かった。
子供ができたら和室があると便利ですよと不動産屋に言われて小さな和室のある部屋を選んだが、その時はとうとう来なかった。
それでもまあちゃんとわたしは和室の端っこが特に気に入っていてふたりで1畳分のスペースでよくくっついてテレビを見た。
端っこのスペースを「巣」だねと言い、ひとりの夜もわたしはほとんどの時間を「巣」で過ごした。
お互いが一人暮らしをしていたときはちゃぶ台に並んでご飯を食べていたので、向かい合ってご飯を食べたいねと真っ先に大きなダイニングテーブルを買ったんだった。
家具屋を巡って少しずつふたりで家具を揃えて好きな部屋を作った。
お風呂は狭かったしトイレの配管は剥き出しだし扉はほとんど引き戸で昭和が隠せていない部屋だったが愛すべき場所だった。
まあちゃんが一人暮らしの時から使っていた塗装のハゲた小さなガスコンロで2人の食事を毎日作った。
朝ごはんを2人で食べて、夫は律儀にお昼にお弁当を持って行き、夕ご飯を2人で食べる。
わたしの作った食べ物が夫の身体を作っている。わたし達はほとんど毎日同じものを食べているので、もうわたしと夫はほぼ同じものでできている。
ほとんど同じふたりなんだからなんだって分かり合えたって良いはずなのに、こんなに分かり合えないことがあるのかと泣いたりもした。
結婚をすればきっと埋まると思っていた不安な気持ちもちっとも埋まったりしなかったし、現実は童話の世界のように「そして2人は結婚していつまでも幸せに暮らしましたとさ」などと簡単にはいかない。
なぜわたしは結婚さえすれば、夫婦にさえなればきっと恋人だった時に悩んでいたあれこれは解決するのではないかなどと思ったのだろう。
些細な問題だと見過ごしてきたことだって、夫婦になれば見ないフリなんかできなくてよりしっかりと見据えないといけなくなるって事、どう考えても明白だったのに。
それでもしっかりと 恋人だった頃よりもずっとわたしは毎日まあちゃんのことが好きだ。
同じ苗字になって、わたし達は家族になり同じ家に帰ってくる。
顔を見合わせながらご飯を食べ、今日あったことを語り、お風呂でほかほかになった清潔な身体でふかふかの布団に2人で並んで眠る。幸せとはこういうことかしらと目を閉じて思ったりする。
単純だけどひとりでいるよりふたりでいるほうが安心で、家族になれたからこそ嬉しいことがたくさん増えると思っていた。
ひとりの夜の寂しい気持ちは無くなると思っていたけれどますます孤独な夜も増えた気がする。
同じ苗字になったって同じものを毎日食べたって夫と一つには絶対なりきれない。ひとりでいるよりふたりでいる時の孤独の方がどうにもならない感じがして足元を掬われそうになる。それでも生活は続く。
色んなタイミングが重なって、憧れていた新築のマンションを買うことになった。
キラキラの新築マンションではすれ違う人みんなが幸せそうに見える。
エレベーターに乗る時もみんなにこやかに挨拶をする。みんな少しオシャレをしてるような気もするし、すれ違う全員が赤ちゃんを連れているような気もする。
わたしは何だか自分が場違いな感じがしてあまり顔を上げられない。
わたしは引っ越しをすることを親にも友達にも言わなかったが、職場の人に話すと楽しみねー!とみんなにこにこして言っていた。
不思議なことに今までしてきたどの引っ越しよりも淡々と事が進んだ。引っ越しの前のふわふわした気持ちとか新しい暮らしへのワクワクとかわたしはもう忘れてしまったのだろうか。
遠足の前日、楽しみすぎて眠れなかったあの頃の気持ちを取り戻すことなんてもう2度とできないのだろうか。
昨日、仕事から帰ってきたまあちゃんが料理を作るわたしを見ながら「家はいいなあ!帰ってきたらさわちゃんがいて、ご飯を作ってくれる。さわちゃんがいない家の人はどうやって疲れを癒すんだろうね。」などと言っていて泣けてきてしまった。
何だか後戻りできなくなるんじゃないかとか、わたしはここに住む資格は無いんじゃないかとかそんなことばかり考えてしまう。
ここへはきっと長く住むことになるだろう。
わたし達に家族が増えるかどうかは全然わからない。
わたし達のマンションの目の前には小学校があって、窓を開けると朝から子供の声ばかりが響く。
ふたりで選んだ家具たちに囲まれてわたし達はずっとふたりでここに暮らすのだろうか。
いつか晴れた気持ちでベランダでまあちゃんとビールを飲みたいよとここへ越してきてから毎日そればかり思っている。
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