生活を続ける他ないから
自分に恥じずに生きてきた人たちのことがわからない
どうしてそんなに自信を持って生きられるのか。
人の目を見て話すことができない。
空っぽの中身を見透かされているようで居た堪れなくなる。
多少のお金を手にして、なるべく良いものの中に身を置いてみすぼらしくないよう生きようと決めたが、いつも分不相応な感じがするし、周りから気取っていると笑われているように感じる。
悲しいと思いながら過去をなぞって生きることに意味がないことはわかっている
自分に自信がなく劣っていると感じているのに、人のことをいつもうっすら見下している。どうでも良くて馬鹿馬鹿しいことばかりでそれを自分の中から追い出すために少しでも賢くなりたかった。
勉強の面での頭の良い悪いと 人間的に頭が良い悪いは全く別物だと知っているのでますます辛くなる。
自分の中に母の面影を感じるたび嫌悪感で頭がおかしくなりそうになる。
どうしても許せない人との血のつながりが切れないことが呪いに思えるし、半分血のつながった人のことをどうしても許せないことが不思議でたまらない。
わたしはいつからこんなおかしな考え方しかできなくなってしまったのだろうか。
もう子供ではないし、親に頼らずにずっと生きてきたのだから縛られる必要なんてないのにずっと寂しくてたまらない。
ただそこにいるだけで愛されて、産まれてきたことを祝福されて 親にだけはずっと味方でいてもらえた人たちのことをただ妬んでいる。
辛かったねと言って欲しいわけじゃない。自分で折り合いをつけてどうにかしていくしかないのはずっとわかっているし、どうにか過不足なく生きてきたのでこれから先も大丈夫だとわかっているが心がずっと満たされていないのだと感じる。
生きているだけで偉いという言葉に特に救いなんてないと気付く。
だって全然偉くなんてないから。
産んでもらったことに対してありがとうと思ったり、一通り身の回りのことをできるようになるまで育ててもらったことに感謝したいとかは思えなくて、産まれてきてしまってごめんなさいとだけ長いこと感じている。
こんな気持ちを吐き出したところで何も良くならない。
気持ちを言葉に換えることでますます惨めになる気もする。よりはっきりと自分のおかしさとか矛盾とか頭の悪さが露呈してくる。
放っておいて欲しいのか気にかけて欲しいのかもう何もわからない。どちらでもない気もする。
ただこうやってわたしの恥ずかしい人生を物語みたいに開示することで救われたいのかも知れない。
世の中にはもっと不幸な人がいる事など知っている。しかしその話を聞いたからと言って、私のほうがマシだからそれで良いとか幸せだとかは全然思えない。
いっそ一番不幸だったら同情してもらえるのか。そうしてもらいたいわけではないが捻くれたものの考え方ばかりしてしまう。
とにかく思考が暗い。そういう人間として生きてしまっていることが恥ずかしい。
なるべく人の前では明るい言葉を選んだり笑顔を貼り付けたりしているが本物とはまるで違ってちぐはぐになってしまう。
そんな自分がますます惨めで思い出す度に消え去りたくなる。
誰かの何気ないひとことに傷付いてそれを何度も何年でも反芻してしまう。
自分の言葉も誰かに対してそんな危険を孕んでいることが恐ろしくて余計なことは話さないようにと注意はしている。それでも知らない間に誰かを傷付けたり嫌われたりすることがただ悲しい。
涙が止まらない時、猫が側にいてくれたら良いのにといつも思うが、あいにく猫はいないので昔から大切にしているふわふわの布のことを握りしめている。
時間はあるのに映画も観れず小説も読めず絵も描けないまままた一日が終わる。
ちょっとだけ休憩したらまた頑張ればいいじゃないと言ってくれる人がいるが、今まで頑張ってきた事があったのかどうかすらわからない。
学生時代スピッツの歌詞にだけ救われてきたので 今でもいつの日か「半端な言葉でも暗い眼差しでも何だって俺にくれ!」と言ってくれる人が現れるのではないかと期待してしまうし
「悲しみを塗りつぶそう 君はどう思っている?」と聞いてくれる人を実際未だ待っていたりする。
プリンセスに憧れて白馬の王子様を待っている子供と変わりない思考で笑ってしまう。
なるべく整頓された部屋をいい香りで満たして、丁寧に作ったご飯を食べ、清潔な寝具で眠る。子供の頃にできなかったことを取り戻すような生活をしている。
それは何かの真似事かもしれない。
ガタガタの地盤の上に かき集めてきた憧れをたくさん積み重ねて、無理やりデザイナーズマンションみたいに見える何かを建てて何とか生活している。
せめて死ぬまでこれが崩壊しないで欲しいと願いながら生きるしかない。
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