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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(175)両極にある「性(さが)が向くまま」に生きるのは時行も結城宗広も変わらない!? 人間として生まれ、自らに与えられた力を信じることは「神」を「敬う」ことにも等しいか?

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2024年10月13日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 衝撃の展開がまさに「嵐」のように次々と襲った『逃げ上手の若君』第175話でした。……これって、魅摩はもちろんのこと、雫すら動揺させるためにわざとやっているの!?と思わずにはいられない時行の問題発言(ジャンプ本誌をご覧ください)でした。
 最後のコマでは、久々に諏訪頼重がインチキ顔でニヤついています。それを見た時に私は、頼重が未来予知をして時行に入れ智慧をしたのではないかと想像してしまいました。一体いつ?……「冥土」にて二人が再会した時ではないでしょうか(第147話「高師直1338」)。
 ーー真相はいかに?

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 「ありがとう 信仰してくれた多くの人々

 「肉体の維持」を放棄して「」としての「」を解放する雫……その正体は「諏訪の御左口神(ミシャグジ)」でした(第151話「般若坂1338」)。

 「ミシャグジは、諏訪信仰の最古層にいる土地神、だと言われる」(北沢房子『諏訪の神さまが気になるの』)ということですが、諏訪、あるいは信濃は、縄文時代からの東国的な文化や信仰が最後まで残っていた土地の一つであるということを、何十年も前に大学の民俗学の授業か何かで教わったことを覚えています。雫を崇めている濃い顔の人たちが奥州武士たちを思わせますが、彼らはおそらく縄文人なのですね。雫(御左口神)の存在は、頼重ら諏訪明神よりもずっとずっと古く、原始的で素朴な生命エネルギーといったもの(精霊といった類?)なのではないかということを思わせます。
 「消えてもいい」覚悟の雫が発した最初の思いが〝感謝〟だというのには、思わず涙がこぼれそうでした。そこで、ビザのチーズを口の端から伸ばす頼重登場には、涙はこぼれず苦笑しましたが……。

 「あのお方は神は敬うが 神に頼らない

 この頼重の一言は、前回の魅摩の「天下人キモい!」に負けず劣らず〝正しい〟と思います。人間として生まれ、自らに与えられた力を信じることは「」を「敬う」ことにも等しいことだと私は考えます(あれだけの高スペックを与えられた高師直が、ここぞという場面で尊氏のことを「神」だと言って手を合わせたまま、頼り切っている姿とは正反対です)。
 そういう意味では、結城宗広に与えられた「血」が好きだという「さが」はひどいものと思ってしまいますが、「神」を恨むでもなく「性が向くまま」生きる彼に潔さを感じなくもありません。一方で、「殿」である彼が海に飛び込んで時行を助けようというのであれば、誰も文句を言えないのがわかっていての宗広の行動は、おそらく気まぐれではないと私は考えます。

 「時行殿にも抗えぬ性がありましょう 危険好きの性と甘っちょろの性が

結城宗広もまた、血を見ないといられない性とおせっかい焼きの性との二つを
同時に持っているのだと私は考えました。

 宗広のこともまた、あまりにも両極の「性」を持つ人間の一人として、松井先生はそのキャラクターを描いているのではないでしょうか。

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 先日、私の所属する南北朝時代を楽しむ会が主催するイベントに参加しました。アニメの影響力は大きく、また、『逃げ上手の若君』のお膝元での開催に会場は熱気に包まれていました。そこで知り合った長野出身の方が〝『逃げ若』は信濃ならではのネタも多くて嬉しい〟ということをおっしゃっていました。その方はアニメ派だったので〝原作では、時行が京都で佐々木道誉の娘と知り合いになってイナゴをプレゼントした〟という話をしたところ、〝時行はすっかり信濃の子〟というので笑っていましたが、まさか回想場面で出て来るとは、魅摩にもかなりインパクトがあったのですね(笑)。

魅摩へのプレゼントに添えられた「大きいのがとれたので」の手紙には吹きました。
(第54話「スキャナー1335」参照)

 それにしても、時行は女の子たちの気持ちに鈍感すぎて、オバちゃんは本当に心配です(結城宗広さんの背中の傷も心配です)。

〔北沢房子『諏訪の神さまが気になるのー古文書でひもとく諏訪信仰のはるかな旅ー』(信濃毎日新聞社)を参照しています。〕

 

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