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「よさ」とは何か?

 司書教諭の指導のもと、入学したての高校生がディベートを実施しました。

 高校教育の義務化の是非についてお互いの意見をたたかわせたのですが、お恥ずかしい話ながら、実は本格的なディベートについて私は見ることすら初めてでした。

 ディベートは、もちろん話し方や示し方、相手側への反論の鋭さが大事な要素となるのですが、最終的にはどちらの意見にメリットが多くあったかを基準に勝敗を判じるのだそうです。

 そして当然のごとく、“メリット”というからには、どのグループも(賛成派も反対派も)、経済的な問題を論点としてきます。

 ところが、ある一つのグループは、高校教育の「よさ」ということに注目していました。要するに、その人の将来の生き方に関わるような何かがあるはずだという点に言及したのです。
 残念ながら、そのグループはいまひとつメンバーの足並みがそろわず、やや話がそれてしまったりした部分があったので、圧倒的な負けに終わってしまいました。しかしながら私は、そのグループを評価したいと思いました。――それはなぜでしょうか?

 教育や福祉の問題を論じる時に、私はお金では測れない目に見えない面、それこそ「よさ」とでもいう面を無視できないと考えるからです。オーディエンスの質問の中でも、「よさ」に触れたグループの相手グループに対して“少数を(経済的効果の面のみで)切り捨てるのですか”と質問があったのですが、何となくうやむやになってしまったシーンがありました。入学したての高校生には(こと、お金万能社会に生きる現代っ子には)、難しいテーマなのでしょう。

 それでも(これからも毎月、自分たちで決めたテーマでディベートを行うそうですが)、テーマとして扱う問題における「よさ」、つまりは倫理的な側面に、少しずつでも迫っていけるように導いていけたらいいなと個人的には思ったのです。

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