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【『逃げ上手の若君』全力応援!】②古典『太平記』で描かれる五大院宗繁の裏切り


 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2021年2月3日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕

 松井優征先生の『逃げ上手の若君』では、主人公・北条時行の兄・邦時がその伯父にあたる五大院宗繁の裏切りにあって斬首されていますが、そのエピソードは『太平記』でも描かれています。
 史実や古典文学を大胆に解釈、そして、演出する松井先生の才能には舌を巻くばかりですが、『太平記』での宗繁の卑怯者ぶりはどのようなものなのでしょうか。
 前回の諏訪盛高の行動との差が浮き彫りにもなると思います。


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 鎌倉に入った新田義貞の軍勢は、北条氏一族の残党狩りを行っていました。それに対して、恩賞に預かろうと彼らを引き渡すものが後を絶ちませんでした。また、北条氏一族のみならず、匿(かくま)った者は殺されました。
 時行の伯父・北条泰家は、時行を諏訪盛高に託した際に、長男の邦時は五大院宗繁に預けたから安心だと述べていました。ーー邦時の母は宗繁の妹であり、邦時にとって宗繁は伯父でした。
 宗繁は北条高時からも、家の再興を果たし、自分の無念を晴らしてほしいと何度も何度も頼まれました。
 「かしこまりました」
 宗繁は即答して、邦時と行動を共にしました。
 しかし、未来のない子供のために尽くすことが無意味に思えて、いっそ、新田軍に引き渡し、所領の一か所でも安堵してもらおうと考えたのです。
 「自分の手で殺して新田方に差し出して、あまりに恥知らずと思われるのもなんだな……」
 宗繁は邦時に、新田義貞の執事である船田入道が捜索に来るので、自分がここに残って時間を稼いでいる間に逃げるように言います。
 邦時は、そのような運命であるならば、せめて伯父の宗繁と同じ所で死にたいと懇願しました。しかし、宗繁はあれこれと理由をつけて邦時を説得し、邦時にみすぼらしい格好をさせ、身分の卑しい者をただ一人供につけて、夜中に鎌倉の外へ出しました。
 「ほら、あそこにいます」
 宗繁は船田入道を導き、捕らえられた邦時は、こんな子供が何もできないことを新田方もわかってはいましたが、未明にひっそりと斬首されます。
 宗繁はというと、真相を知った新田義貞が、欲に目のくらんだ汚らわしい男の首を見せしめに刎ねよと命じたのを知り(実は、船田入道も最初から宗繁を胸糞悪い奴だと軽蔑しています)、姿をくらましました。
 ーー身を潜め、頼る者にもすべて拒絶され、とうとう道端で餓死したということです。

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 そのような運命であるならば、せめて伯父の宗繁と同じ所で死にたいーー邦時の聡明さ、あわれさをまったく解することのなかった宗繁。
 『逃げ上手の若君』でも、主人公・時行は裏切る大人たちを見て嘔吐してしまいます。子供の反応はいつだってまっすぐです。大人の笑顔や言葉の裏に潜む嘘・偽りは、子供にとってはまさに「鬼」に見えることでしょう。
 古典『太平記』においてはこのような、子供を介した語り手の鋭い批評眼があります。同様に『逃げ上手の若君』でも、大人を容易に信じることのできなくなった時行が、足利高氏や諏訪頼重が果たして〝何者〟であるのかを見抜こうとしています。

〔日本古典文学全集『太平記』(小学館)を参照しています。〕


 Facebookの投稿で本記事について補足をしました。


 私が所属している「南北朝時代を楽しむ会」では、時行の生きた時代のことを、仲間と〝楽しく〟学ぶことができます!


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