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お気に入りの評論――村上陽一郎「科学と世界観」⑦(2014年6月1日)

 先に私はメルマガを発行していたことをお知らせしましたが、廃刊にしたメルマガの中で、もう一度みなさんにも読んでほしいと思う情報をウェブリブログにて再録していました。
 教科書に採用されていた評論の解説もそのひとつでした。しかしながら、それらの閲覧数が他の記事をはるかに上回っていることが大変気になり、いくつか思い当たることがありました。

 noteにもそうした危険のある記事を収録するか、収録するにしても有料にしてしまうかで悩みましたが、結局そのまま掲載することに決めました。学校での宿題のためにこのページにたどりついた方は、どうか上で紹介した記事も合わせてお読みください。よろしくお願い申し上げます。

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 発行人は古典が専攻ではありますが、評論についても古典と同じくらい(自分で読むのも、教えるのも)好きです。そこで、これまで扱ってきた評論の中で、気に入った作品を紹介し、考察してみたい――という考えがきっかけで始めたコーナーです。

 現在は、村上陽一郎氏の「科学と世界観」を分析していますが、読解のためにとった実践なども紹介していきます。

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 「科学と世界観」には、内容に沿って六つの小見出しが付けられています。

 「壮大なプログラム」
 「救済史観の変遷」
 「世界観としての位置」
 「南北の食い違い」
 「自然の流れの中に」
 「二つの力の緊張関係」

 今回は、前回に引き続き「南北の食い違い」です。

 「一文要約」と称した作業プリントにおいて、この段落の問いは以下のようなものです。

第四段落の小見出しは「南北の食い違い」となっているがそれはどういうことか。第四段落中より、それが最もよくわかる一文を抜き出しなさい。

 答えは、次に示すものでした。

 第一には、今ここで北が、これまでの「進歩」は間違っていたと主張し、その主張を地球上に――かつて科学技術による「進歩」を地球上に普及拡大することを自明の善と信じたように――広めようとすることは、著しい利己主義になりかねないという点である。

 「第一に」ですから、「第二に」ももちろんあります。

 第二に、人類こそ歴史の主体であり、人類の未来を創造するものである、というヨーロッパ近代の世界観そのものが、正しくない、ということは、今日の地球の生態学的危機においても証明されたわけではない、という点を指摘しなければならない。

 この長い文章については前回、肝心なところだけを抽出して短くしてみました。

 人類こそ歴史の主体であり、人類の未来を創造するものであるというヨーロッパ近代の歴史観そのものが、否定されたわけではない。

 私はここを指摘させるにあたって、字数制限をかけて書き直しさせていますが、それは記述問題の解答の際に、解答と思しき箇所をどのように制限の字数に当てはめていくか、つまり削除してよい部分はどこかに慣れていくためです。

 第四段落は、このあとにもその作業の必要な記述が続きます。よって、以下のような問いを提示しました。

第四段落において、○頁○行目以降の筆者の主張を三点にまとめなさい。ただし、解答は筆者の述べている順に記し、一つ目は三十字~四十字、二つ目は三十字~三十五字、三つ目は十五字~二十字の範囲で解答欄に記しなさい。

 まず、主張の一つ目です。

 第一の論点とも関連するが、もし人類が、自らの意志によって、未来を選び創出しようとすることをやめてしまったとしたら、南の諸圏が人々を貧困と病苦と過酷な労働から解放しようという努力を放擲(ほうてき)し、北は今日の生態学的な危機を乗り越えるための英知を結集することを怠ったとしたら、それでも地球は存続していくかもしれないし、それでも人類は生き残るかもしれないが、我々はそれで満足できるだろうか。

 「南の諸圏が人々を」から「それでも人類は生き残るかもしれないが、」までは、主張すべき内容に関して補足的に挟み込まれていることが見えるでしょうか。最初は字数制限からでもいので気づいていってほしいものです。また、「満足できるだろうか」は反語的表現で、「できない」という主張であることにも気づいてほしいものです。

 模範解答です。

 人類は、自らの意志によって未来を選び創出することをやめてもそれに満足できない。

 続けて、二つ目と三つめの主張です。

 いや、自己満足のためばかりではない。我々は、人類の未来に、少なくとも部分的にではあれ、自身で責任を負う義務を与えられているはずであり、そうした義務の中で「進歩」を目指すこと自体が全面的に非難に値するとは、私には思えない。そして、科学技術の成果を等し並みに否定してしまうことも、得策とは思えない。

 「そして」の前後で一点ずつ主張がなされています。前半は「少なくとも部分的にではあれ、」の挟み込みの省略と、「全面的に非難に値するとは、私には思えない」という文末表現を断定的にとらえることがポイントです。後半は文末表現の適切な言い換えのみです。

 以下は、模範解答です。

 我々は、人類の未来に自分で責任を負う義務の中で「進歩」を目指すべきだ。

 科学技術の成果を否定すべきではない。

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 少し遠回りをした感もありますが、第四段落はこれで終わりです。次号はやっと内容を先に進めることができます。内容についても、終盤にむけてますます難解ではありますが、じっくり見ていきましょう。次号もお楽しみに!

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