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お気に入りの評論――村上陽一郎「科学と世界観」①(2014年1月13日)

 先に私はメルマガを発行していたことをお知らせしましたが、廃刊にしたメルマガの中で、もう一度みなさんにも読んでほしいと思う情報をウェブリブログにて再録していました。
 教科書に採用されていた評論の解説もそのひとつでした。しかしながら、それらの閲覧数が他の記事をはるかに上回っていることが大変気になり、いくつか思い当たることがありました。

 noteにもそうした危険のある記事を収録するか、収録するにしても有料にしてしまうかで悩みましたが、結局そのまま掲載することに決めました。学校での宿題のためにこのページにたどりついた方は、どうか上で紹介した記事も合わせてお読みください。よろしくお願い申し上げます。

 本記事に関しましては、これまでメルマガのみで公開しており、旧ブログでも未収録です。

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 発行人は古典が専攻ではありますが、評論についても古典と同じくらい(自分で読むのも、教えるのも)好きです。そこで、これまで扱ってきた評論の中で、気に入った作品を紹介し、考察してみたい――という考えがきっかけで始めたコーナーです。

 今回から、村上陽一郎氏の「科学と世界観」を分析していきたいと思います。

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  村上陽一郎氏は私の好きな思想家の一人です。高校の倫理の授業で〝西洋近代史上の思想について一つテーマを決めて調べなさい〟という課題が出ました。私は村上陽一郎氏の著書を一冊購入して、それを読んでまとめたものを提出しました。課題の講評において担当した先生は、〝君たちはよほどフランス革命が好きなんだね。フランス革命だらけの中で、キリスト教と科学技術の関係を調べたレポートは見るところがあった〟と言いました。今思えばそれが、評論はおもしろい、もっといろいろな考え方を知りたいと思った最初だったのかもしれません。

 さて、私は数年前に〝もっと西洋哲学の基礎を勉強しないと、高校の評論文は歯が立たないところがある〟と痛感し、博士論文を指導して下さった先生の夜間の講義を拝聴しました。あとで確認したところ、その時に先生が講義のベースの一つにしたのがやはり村上氏の著作だということでした。大学の倫理・哲学の講義(全学部の生徒が選択できる一般教養科目でしたが)の教科書にもなっているという事実からも、村上氏の文章が内容的に難しいことは明白です。しかも、村上氏の表現がまた一言で言うと〝回りくどい(私は嫌いではないのですが…)。生徒の中には、彼の文体だけでもう拒絶反応が出ていることもあります。よって、私は氏の主張のポイントをまず本文中からそのまま抜き出させ、さらに字数を制限して書き直し(回りくどい表現を排除させて趣旨を理解する)をさせたりしました(これは、順を追ってこのコーナーで紹介したいと思います)。

 次回より、少し時間がかかるかもしれませんが、読解のためにとった実践なども示しながら、分析していきたいと思います。

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