【『逃げ上手の若君』全力応援!】(57)新しい時代を生きる〝無自覚の悪意〟という個性の闇ーー足利尊氏のキャラ設定をファン目線で考察する
前話では、楠木正成邸を去る時に手にした、足利尊氏の情報をもとに、吹雪は時行にその暗殺を提案しました。雫や亜也子がかなりまっとうな反対意見を述べる中で、時行は決心します。
「こんな好機をむざむざ逃せば滅ぼされた皆が嘆くだろう」
そういえば、叔父の泰家も「やってみなければわからんわ」と言って、頼重の未来予知に対して一瞬「マジか」と、額に不安を浮かべながらも、すぐに「やるぞ」に戻って、後醍醐天皇暗殺を続行すると決めています。
史実としても、ストーリー展開的にも、尊氏暗殺がうまくいくわけはないと思っていましたが、まさか、時行が顔まで見られてしまうとは思いませんでした。ーーそして、おそるべき『逃げ上手の若君』での尊氏の最凶最悪ぶり……(ネタバレしないように伏せます)。作品の中で初めて、我を忘れるまでの感情を爆発させた時行を見て、その残酷さに呆然としました。
そして、もはや人間とは思えない圧倒的な強さを見せつける尊氏。そこに、正成がよくわからない体で登場して……次号の発売が待たれる第57話の展開でした。
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「我が寵童として奉公するならば面倒を見てやる 尊氏の元で裕福に暮らせば死んだ家族も喜ぶだろう?」
足利尊氏と「寵童」について、少し触れておきたいと思います(このシリーズでは、単なる作品の感想で終わらないようにしてきましたので……(汗))。
「従来の歴史観ではなく、〝BL史観〟というような、偏見のない素直な目線で歴史を語ろうとした試み」で書かれた、堀五朗氏の『BL《ボーイズラブ》新日本史』では、尊氏を次のように評しています。
義貞に滅ぼされた北条高時が、田楽に興じたことは触れたが、尊氏もまた無類の田楽マニアであり、美少年好みだった。『吾妻鑑』に、尊氏が松帆丸という舞童に重宝の刀をあたえたという記録がある。
※鎌倉後期成立の史書。52巻。鎌倉幕府の事績を変体漢文で日記体に編述。源頼政の挙兵(1180年)から前将軍宗尊親王の帰京(1266年)に至る87年間の重要史料。
かつて瘴奸も高値を付けた時行ですから、自分の利益にもかなった良い解決策だと尊氏は考えたのでしょうね。ちなみに、尊氏は弟の直義に〝田楽見すぎ!〟と注意されたり、尊氏自身がしないからなのか、直義にスケジュール作成をしてもらったりしていたというのを、足利兄弟好きの方たちから聞いたこともあります。
堀氏は、さらに尊氏についてBLの観点から分析します。
足利尊氏が後醍醐天皇を裏切ることができた背景と、このことと無関係ではないと思う。都の文化をよく知り、京を攻め、京に幕府を開いて、美少年を愛した尊氏だからこそ、朝廷と互角にわたり合え、選択を誤らなかった。そして同じ名門で、鎌倉攻めの英雄でありながら、義貞は敗れ、非業の死を遂げる。
※義貞を尊氏と「同じ名門」とするのは『太平記』等での設定で、実際には新田氏は足利一門だということが近年、指摘されています。
尊氏が最も寵愛したのは、饗庭命鶴丸(名前キラキラ!?)という美童で、戦国時代に登場する小姓(「主に付き従う少年」で、有名な森蘭丸みたいな方々ですね…)の「元祖」であるということです。
これだけ見ても、尊氏は北条氏や諏訪氏なんかとは全然違う価値観に生きていた、まさに新しい時代を生きる個性だったのかと思います。
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『逃げ上手の若君』に戻れば、時行が鎌倉で初めて会った時のやさしい笑顔の尊氏と、鎌倉を滅ぼした怪物の尊氏とのギャップーーその両者が矛盾しないというのは、尊氏の本性が「無自覚の極悪」だったからだというのです。
尊氏は「恨みを忘れて」「人生で大きな喜び」を知ることが大事だと、屈託のない笑顔で時行に説いてみせます。しかしながら、それに対して怒りをぶつけた時行に対して敵意をむき出しにしました。護良親王に対しても同じでした。ーー尊氏に対して〝否〟を突きつけ、尊氏が不快に感じるマイナスの感情をぶつける人間に容赦ない態度が伺えます。まるで赤子のように、〝快〟のみの世界に生きたいのが、作品中の尊氏なのでしょう。
また、新しく時代を切り拓く人たちが、権威・伝統といったものの否定と破壊を行うのは当然のことなのかもしれません。
しかし、かつてある本で〝革命家というのは品のない人を言う〟と書いてあって苦笑したことがあります(私も、当時働いていた職場でそれを実感したことがあるのです…)。
鎌倉末期・南北朝時代を舞台とした『逃げ上手の若君』もそうですが、前回の大河ドラマ『青天を衝け』で描かれた幕末、そして、現在の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の平安末期も、旧政権の打倒・崩壊が描かれています。
現代も、確かに昭和・平成時代の社会体制や価値観が通用しなくなっているのを肌で感じます。その中で、新しい時代の生き方を示すような団体や個人が生まれているのも事実です。しかし、中には〝品がない〟、つまり、歴史や文化への敬意や他者への思いやりがない、と思われるケースも多々見受けられます。
ーー新しいシステムから漏れる人たちは、切り捨てられて当然なのか。
「怪物」足利尊氏に投影される、新しい時代を強烈な個性が圧倒する際に生じる闇。一方で、「恨み」を抱く時行や泰家がどういう選択をするのか……作品に秘められた深いテーマに、またしても気づかされるのです。
〔堀五朗『BL新日本史』(幻冬社(幻冬社コミックス))を参照しています。〕