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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(177)後半は僧侶の自己判断でカットされた? 結城宗広の最期の場面は古典『太平記』そのまま!! 満を持して宗良親王登場そして時行再び信濃へ!?

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2024年10月27日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 とうとう宗良親王が登場して、時行の謎とされる年月を松井先生がまたまたどう描くのかに胸が熱くなる『逃げ上手の若君』第177話でした。先日は鎌倉の歴史文化交流館に足を運びました。現在の企画展は『北条氏150年 栄華の果てー鎌倉幕府滅亡ー』。展示を見ていると、学芸員さんが何人もの入場者を率いてギャラリートークが始まったのですが、『逃げ上手の若君』で北条時行を知ったという人がたくさん訪れているという話が聞こえてきました。ーーまさに、まさに、ですよね。会場には結城宗広の書状なども紹介されていて、まだお若い学芸員さんもきっと『逃げ上手の若君』の大ファンなのだろうなと思いました。
 ちなみに、上記の企画展は11月30日まで開催されています。

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 「ガバッ」「ばははははは

 このコマの僧侶の驚愕ぶりは、宗広のことを知らずに従軍してきたか、知っていたとしても予想外の展開だったからなのでしょうが、普段の修行の賜物でしょうか、すぐに平常心に戻って次のページの最初のコマでは必死に遺言を書き留めようとする生真面目さが思わず笑いを誘います。
 相当に強烈なこの宗広の最期は、松井先生の創作だろうと思いきや、実は、古典『太平記』でも宗広の鬼気迫る様子がわかる凄まじいものです。
 『太平記』によれば、宗広の乗っていた船は伊勢に戻され(南朝軍の船の漂着について史実的な詳しい事については、『解説上手の若君』で本郷和人先生がお書きになっているので、まだの方はご覧になってください)、奥州へ向かうための順風を待っていたところ急病にかかります。続きを、日本古典文学全集の現代語訳で見てみたいと思います。

 急に病気となり、起き上がることも座ることもまったくできなくなって、運命はきわまったと見えたので、仏の道に人を導く僧が枕辺に近寄り、「これまでは何とか持ち直されるのではと思っておりましたが、病気は日とともに重くなって参りましたので、今はご臨終の日が遠くないと思われます。どうか来世には極楽浄土に生れ変る望みを絶えずお持ちになって、南無阿弥陀仏の称名のうちに、三尊の来迎をお待ちになってください。それにしてもこの世に何か思い残されていることがありましょうか。お考えになっていることをご遺言ください。ご子息の御方へもお伝え申しましょう」と言ったところ、この入道は今にも目をふさごうとしていたが、ぱっとはね起きて、からからと笑い、震える声で言うことには、「私はすでに七十歳になって、身にあまる栄華をきわめたので、この世ではひとつも思い残すことはありません。ただし、このたび上京して、ついに朝敵を滅ぼすことができずに空しくあの世へ行くことは、多生劫までの迷いの心になると思われます。ですから愚息でございます権少輔親朝にも、私の後生を弔う気があれば、供仏施僧の供養はしてはならぬ、称名・読経の追善はもちろん不要である。ただ朝敵の首を取って、我が墓の前に掛け並べて、我が霊に見せよと遺言したと、どうぞ伝えてください」と、この言葉を最後に、刀を抜いて逆手に持ち、歯をくいしばって死んだのであった。往生の妨げとなる罪のきわめて重い人が多いとはいっても、臨終にこれほどの悪相を現したことは、いまだ聞いたことがない。

 「…殿は…」「ああ」「最期まで殿だった」「控え目に書いとけよ坊主

 第177話で言えば、家臣たちの言を受けて(受けなくても、かもしれませんが……)、僧侶は自己判断で後半のやり取りをカットしたということですね(逆に言えば、前半はほぼ『太平記』のままです)。そして『太平記』ではこの引用の後に、第121話「少年時代1337」で結城宗広の自己紹介後に挿入された「「太平記」で結城宗広は終始忠臣として書かれるが 何故か重度の快楽殺人者シリアルキラーである事が最後に明かされ そのギャップは読む者全てをドン引きさせる」という記述につながります。

 死に様はまさに「重度の快楽殺人者シリアルキラー」である宗広の人生そのままであったゆえに、「…殿は…」「ああ」「最期まで殿だった」と、さっきまで泣いていた家臣たちですら「ドン引き」です。ただ、宗広は時行が見舞いに来であろうことを見越して、「無事だと言って追い返すようじていたことも冒頭で語られています。命を張ってまでおせっかいを焼く宗広と、家臣たちの涙も吹き飛ばしてしまうほどのサイコな宗広とは、一見すると矛盾でありながらも、この振り幅の大きさもまた宗広が宗広たる「人間力」であることを松井先生は描きたかったのではないかななどと、勝手に想像してもみるのです(第121話のキラキラな宗広がまぶしい……)。

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 「よい 時行 和歌のネタになる

 ……む、宗良親王、唐突にイケメン枠で登場! 本シリーズの第174回で、宗良親王の出番はあるのか否かを書いてすぐの登場は嬉しい限りです!!

 上の記事中でも記しましたが、宗良親王は私が所属している南北朝時代を楽しむ会の代表の推しメンなので、すでにイメージが出来上がっていたところもあって、柔和な和歌詠み親王というのはイメージ通りなのですが、ビジュアルに戸惑いがありました。それというのは、かつて代表が描いた「宗良君」が強烈すぎたからです……。

「南北タイムズ」第8号(2021年10月1日発行)に掲載された代表が描いた宗良親王。
電車の中でこれを読んでいた私は吹き出しそうになり、かなりヤバかったです。

 『逃げ上手の若君』の諏訪パートの取材協力や解説を担当していらしゃる石埜三千穂先生は〝宗良親王が登場しないと始まらない!〟と、先日参加した諏訪での南北朝フェスでおっしゃっていましたが、宗良親王愛あふれる代表が抱くのは子どものような純朴な親王のイメージのようですから、そうしたお姿も信濃伝承とともにともに今後描かれるか!?……などと期待を寄せてもいます(笑)。
 そういえば、雫の描いた尊氏の顔も、雫から見た尊氏のイメージが反映されているなと思いました。冒頭で記した展覧会で、『梅松論』に記された尊氏の人物像(夢想疎石から見た尊氏)を学芸員さんが紹介していましたが、気前が良くておおらかなめちゃくちゃプラスの印象のものでした。学芸員さんは『逃げ上手の若君』の影響で〝尊氏はサイコパスですか?〟などと聞かれるようなのですが、展示を例にそうではないですみたいに話していました。それを聞いていた妹が〝本人は別にどうでもよかったのがそういうふうに見えたってことかもね~〟と、ぼそっとつぶやいていました(ちなみに、サイコパスとされる人たちは、自分がターゲットにされない限りはとても魅力的な人間に見えるそうですね)。
 先にも結城宗広を例に人間が人間たる所以について自論を述べましたが、尊氏に関しては本当にわからないです。当時の人ですらわからないのですから……。

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 「我ら井伊家は領地の井伊谷で長らく殿下をお守りした」「いわば殿下の側近中の側近よ!

 2017年の大河ドラマ『女城主 直虎』の舞台がまさに井伊谷でしたね。当初あまり期待しないで見始めたこのドラマがとても面白くて、両親とともに井伊谷を訪れたのは懐かしい思い出です。徳川四天王の直政より幕末の直弼に至る有名な井伊氏が、鎌倉時代以来のまさに生き延び上手の一族であることもその時に初めて知りました。そして、ドラマには関係ないのでひっそりとしていた「井伊谷宮(いいのやぐう)」に祀られているのが、後醍醐天皇の皇子だったことに驚いたことも記憶に残っていました。
 『南朝関係十五社巡拝案内記』より「井伊谷宮」の説明の一部を抜粋します。

 御祭神宗良親王は後醍醐天皇の第四皇子(宮内庁調)であらせられ、南北朝時代という動乱の最中、一品中務卿いっぽんなかつかさきょう征東将軍として父帝の理想を実現すべく、井伊谷を本卿に五十余年の永きにわたり活躍された。
 その間遠江・駿河・三河・甲斐・信濃・上野・美濃など、苦戦を強いられながらも各地を転戦され、信濃宮・上野宮・越中宮と尊称された。
 最も長い間滞在されたのは信濃であったが、晩年再び井伊谷の地を訪ねられた折、元中二年(一三八五)八月十日(旧暦)御年七十三歳にて薨去こうきょせられた。

 時行や新田義興らと長い付き合いになりそうですね。そして、香坂高宗なる人物が登場します。

香坂高宗(こうさか-たかむね)
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南北朝時代の武将。
信濃(しなの)(長野県)大河原城主。南朝方に属し,康永3=興国5年(1344)ごろ大河原城に宗良(むねよし)親王をむかえる。ここを拠点に各地を転戦した親王を30年にわたってまもった。姓は高坂ともかく。
〔日本人名大辞典〕

 香坂高宗の肩書が「諏訪神党」になっていますし、諏訪頼重の破魔矢も今回は登場しました。中先代の乱で別れた以来の人たちとの再会もいかに……!?

〔日本古典文学全集『太平記』(小学館)、建武中興十五社会『南朝関係十五神社巡拝案内記』を参照しています。〕

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  宗良親王や香坂高宗を検索した際に、noteの中で〝まさに〟という記事を書いている方がいらっしゃいました。こだわりのある記事は大好きなので、応援も兼ねて以下で紹介させてただきたいと思います。

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