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『一遍聖絵』を何度でも読んでみる⑤「悲母にをくれて」〔巻第一・第一段〕

 「悲母」とは、「慈悲深い母。慈母。」〔広辞苑〕をいい、「をくれ」とは終止形が「後る・遅る」であり、「死におくれる。先に死なれる。」〔全訳古語辞典〕という意味です。
 『一遍聖絵』本文には、「十歳ににて悲母にをくれて、始て無常の理をさとり給ひぬ。つゐに父の命をうけ、出家をとげて」とあるので、一遍は十歳でお母さんが亡くなってしまったことを契機に仏の道に入ったのだということがわかります。

 『一遍読み解き事典』(長島尚道ほか編著、二〇一四年五月、柏書房)には、一遍の母について次のように記されていました。

 一遍の母親については、大江氏の出自というだけで、その名前も不詳である。宝治二年(一二四八)に亡くなったとき、二男の一遍はまだ十歳に過ぎない。

 ジャパンナレッジで「悲母」を検索をしてみたところ、二つの言葉に興味を覚えました(いずれも「日本国語大辞典」による)。

ひぼ‐きょうしゅ[‥ケウシュ] 【悲母教主】
阿彌陀如来(あみだにょらい)のこと。
*海道記〔1223頃〕極楽西方に非ず「悲母教主は弱き子ともの為に」

ごくだいじひ‐も 【極大慈悲母】
(「も」は「母」の呉音)仏語。きわめて広大な慈悲の母の意で、阿彌陀仏(あみだぶつ)のこと。
*往生要集〔984~985〕大文四「二応念、慈眼視衆生、平等如一子、故我帰命礼極大慈悲母」

 一遍がその生涯をかけて追い求めた阿弥陀如来の姿が、冒頭から暗示されていたのですね。

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