お気に入りの評論――村上陽一郎「科学と世界観」⑥(2014年5月18日)
先に私はメルマガを発行していたことをお知らせしましたが、廃刊にしたメルマガの中で、もう一度みなさんにも読んでほしいと思う情報をウェブリブログにて再録していました。
教科書に採用されていた評論の解説もそのひとつでした。しかしながら、それらの閲覧数が他の記事をはるかに上回っていることが大変気になり、いくつか思い当たることがありました。
noteにもそうした危険のある記事を収録するか、収録するにしても有料にしてしまうかで悩みましたが、結局そのまま掲載することに決めました。学校での宿題のためにこのページにたどりついた方は、どうか上で紹介した記事も合わせてお読みください。よろしくお願い申し上げます。
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発行人は古典が専攻ではありますが、評論についても古典と同じくらい(自分で読むのも、教えるのも)好きです。そこで、これまで扱ってきた評論の中で、気に入った作品を紹介し、考察してみたい――という考えがきっかけで始めたコーナーです。
現在は、村上陽一郎氏の「科学と世界観」を分析していますが、読解のためにとった実践なども紹介していきます。
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「科学と世界観」には、内容に沿って六つの小見出しが付けられています。
「壮大なプログラム」
「救済史観の変遷」
「世界観としての位置」
「南北の食い違い」
「自然の流れの中に」
「二つの力の緊張関係」
今回は、「南北の食い違い」の続きです。
「一文要約」と称した作業プリントにおいて、この段落の問いは以下のようなものです。
第四段落の小見出しは「南北の食い違い」となっているがそれはどういうことか。第四段落中より、それが最もよくわかる一文を抜き出しなさい。
答えは、次に示すものでした。
第一には、今ここで北が、これまでの「進歩」は間違っていたと主張し、その主張を地球上に――かつて科学技術による「進歩」を地球上に普及拡大することを自明の善と信じたように――広めようとすることは、著しい利己主義になりかねないという点である。
ここで、引用した一文の冒頭が「第一に」であることに気づく必要があります。南北問題の「根本的な問題」は、同時に、「進歩」と「救済」の「根本的な問題」であることを、「南北の食い違い」の形式段落の第二段の最初を読み直して確認して下さい。
北は、人類が歴史の主体者として、科学技術を使いながら人類の「救済」を追及しそれを実現してきたことの持つ意味の自明性を疑い始めた。
では、元に戻って「根本的な問題」の「第一に」に続く「第二に」を見てみましょう。
第二に、人類こそ歴史の主体であり、人類の未来を創造するものである、というヨーロッパ近代の世界観そのものが、正しくない、ということは、今日の地球の生態学的危機においても証明されたわけではない、という点を指摘しなければならない。
長い文章です。しかしながら、肝心なところだけを抽出して短くすることができます。
人類こそ歴史の主体であり、人類の未来を創造するものであるというヨーロッパ近代の歴史観そのものが、正しくないということは証明されていない。
「正しくないということは証明されていない」の部分は、「否定されたわけではない」といった表現にも置き換えられます。
私はここを指摘させるにあたって、字数制限をかけて書き直しさせています。国語が苦手な子どもにはどうしても必要な作業です。その作業によって、記述問題の解答の際に、解答と思しき箇所をどのように制限の字数に当てはめていくか、つまり削除してよい部分はどこかに慣れていきます。
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第四段落はまだまだこのあとに手ごわい箇所が残っています。それらと同時に、村上氏の難解な文章(生徒たちに言わせると〝回りくどい!〟)の読解が続きます。
次号をお楽しみに!
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