【『逃げ上手の若君』全力応援!】(68)弩(いしゆみ)を手に入れ知略は高みに達せども…麻呂、哀れ…小ネタも拾いつつ、麻呂の行く末を妄想してみる
そうだったのか!……佐々木道誉が朝廷の蔵で見つけた「面白い物」というのは「弩」の実物か、そうでなかったら、昔の戦や役職の記録に付されていた絵図か何かだったのですね。
弩(ど)
銃身(擘)に弓身を装着、ひきがね(弾機)によって矢を発射する武器。『和名類聚抄』は「於保由美」と訓む。わが国ではまだ発見されず記録にだけみえる。中国の漢唐代に盛行し、日本では推古天皇二十六年(六一八)高句麗からの献上品にみえるのが初見である(『日本書紀』)。続いて天智・天武朝の民間武器収公記事にもみえるが実在には疑問があり、律令軍制の成立によって官の器杖として成立したものであろう。軍防令では軍団の一隊ごとに強壮者二人を弩手に選んで扱い方の教習を命じ、国郡衙のほか衛門府・衛士府・兵庫寮にも弩をおくことを規定している。弩の製作は『延喜式』に国衙と兵庫寮で行うことを記しており、天平六年(七三四)『出雲国計会帳』では、造弩生二人が京上して造弩技術を習学し、国衙で材料を預採して造った経過が述べられている。実戦における使用は、藤原広嗣の乱における板櫃河の戦で、政府軍は弩を発し隼人軍の渡河を防いだとある(『続日本紀』)。弩の製作と取扱いを教授する弩師は、天平宝字六年(七六二)新羅征討を企てた藤原仲麻呂が大宰府に新設したが、ついで宝亀年中(七七〇―八一)には多賀城・胆沢城にもおかれたと思われる。その後多少の消長を経て東山・北陸道と山陰・西海道の海辺諸国にも設けられ(『類聚三代格』)、蝦夷征討と西海防備には弩手・弩兵とともに活躍したことが『三代実録』『扶桑略記』などに散見する。また三善清行の『意見封事十二箇条』では弩の威力を説き、承和二年(八三五)には新作弩の試射会(『続日本後紀』)が、承平四年(九三四)には弩の競技会(『扶桑略記』)が京内で行われている。しかし長元三年(一〇三〇)ごろの『上野国交替実録帳』では手弩二十五具が無実になっているように、辺境が安定し国衙が衰退する十一世紀には使用が減じ、『陸奥話記』にみえるのを最後に新興武士の戦法には全くみることがなく消えた。弩師も形骸化して陸奥国の官職名にだけ残る(『永正三年(一五〇六)大間書』ほか)。
[参考文献]近江昌司「本朝弩考」(『国学院雑誌』八〇ノ一一)〔国史大辞典〕
※和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)…平安前期の漢和辞書。930年代の成立。
※扶桑略記(ふそうりゃくき)…平安末期、延暦寺の僧・皇円(~1169)が著した歴史書。
※陸奥話記(むつわき)…平安後期、源の頼義、義家父個の功業を中心に前九年の役(1051~62)の合戦を記した軍記物語。
納得の『逃げ上手の若君』第68話でしたが、父・道誉の脇でイナゴを食べている魅摩ちゃん、乙女ですね。大好きな「若ちゃん」にもらった大きなイナゴを気味悪がらずにちゃんと食べているのね…と思いました。しかも、「お人好し」の「若ちゃん」の身を案じていますが、巻き込まれるどころか、彼こそがその「信濃の反乱」の大将だと知ったらどうなるのでしょうか。
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魅摩だけでなく、今回は〝あのキャラどうしているかな?〟と、個人的に気になっていた人たちが何人も登場していました。
私の好きなモブキャラの「保科党の門番」さんは、ひときわ血まみれで「はーい」と火を手にしているのが、あいかわらずブラックでしたが、それ以上にブラックというか、闇落ちしてしまっていたのが清原信濃守でした。ーーあまりの変わりように、もはや初登場した時や「帝世界」と意気込んでいた時の「麻呂」と同一人物とは思えません。悲しいです。
「野心が溢れて止まらない あらゆる手段で全てを手に入れ 全てあのお方に貢ぐのじゃ 至高のご褒美を頂くために」
足利尊氏の唾液(第52話参照)、一体どんな毒なんだ!?
少し前まで同じ週刊少年ジャンプで連載されていた超人気漫画もビックリの〝鬼化〟です。もし、彼の「天賦の才」がわかっていて〝神力注入〟をしたとしたら、弩を渡したという道誉との組み合わせが残虐すぎます。
『太平記』では、後醍醐天皇が「無礼講」と称して、身分にとらわれず才能のある者たちを傍に置いて討幕の企てを行っていたことが語られています。当時はそうした天皇の振る舞いが非難された一方で、家々で代々引き継いできた決められた職能をそうでないところに応用したり、公家の枠を超えて自分の能力を生かしたりしたいと思う人たちもあったのだと、現代人の私はそう考える時があります。
そうした時代背景を踏まえ、清原信濃守のキャラを設定している松井先生の、まさに史実と物語の間をとらえてのストーリー展開にはハッとさせられます。
ここで、第6話で登場した「牡丹」を思い出しました。黒曜石に貫かれて息絶えた牡丹に対して雫は、「援け合える相手がいたら… 魔道に堕ちる事も無かっただろうに」と声をかけています。変わり果てた「麻呂」を見た雫が、「父様 楽にしてあげて」というそれと重なってはいないでしょうか。
『逃げ上手の若君』で松井先生が描きたいテーマは無数にあるはずですが、「牡丹」や「麻呂」を通じては、しかるべき仲間に出会い、自分が自分である喜びの中で生きることの大切さが伝わってきます。
「麻呂」に関して言えば、後醍醐天皇も尊氏もそれに値する「相手」ではなかったのです。彼らにとって「麻呂」は、「哀れな蟹」でしかないのです(第53話参照)。
ただ、「麻呂」には他に選択肢がなかったのを思えば、個人的にはだんだん好きになったキャラクターだけに、やるせないです。同じように、だんだん好きになったキャラクターだった瘴奸が、小笠原貞宗に仕えることができた偶然とのギャップに、ただただ切なくなってしまいます。
とはいえ、牡丹たちと一緒に、守屋山で精霊(?)になったりしたら、それはそれで「麻呂」らしいですが……。
〔参考とした辞書・事典類は記事の中で示しています。〕