No.2/母について(今の言葉で毒親、親ガチャハズレ)

この方の存在が昔から強烈すぎて、私にとってこの世の全てを支配する、神様なんかいない、オバケよりも本当にこわい存在であった。いや、墓に入ってくれるまで生涯こわいものであると確信している。空の上からもワーワー言われそうだが。元気で何より。


父に関して先にここで触れておきたいが、現在は他界。生前、温和で人付き合いもうまく、老若男女問わず幅広く交友関係を築ける人であった。だが、のちになかなかの事件を起こす。今思えば、彼自身の少年期のトラウマと結婚してからのギャップ、なかなかの波瀾万丈な生き方をしており、悩み悩まされた結果だったと理解できる。この2人が結ばれなければ私は居なかったのだが、彼に関しては幸せな生涯だったのか?と未だ謎のままである。
一生寄り添い生きていくはずだった母との結婚で大きな失敗をしているのだから(生前、彼は妻である母に散々なことを言っていた)

さて、母のことに戻るが(胃が痛い)そんな母も前述のようにお互い被害者。それはさておき。

こちらが口を開く前から、いつでも手が出ていた。
何もない、腕を上に上げるだけの動作でも反射的にビクついていた自身がいた。
そして母はいつでもイラついているように見えた。パートも取っ替え引っ替え、ほぼ人間関係。最短で当日で辞めるのが日常茶飯事、もちろんキレて帰ってくる。真面目で、融通の効かないプライドが異常に高いのである。
言うまでもないが、こういっている自身も後になかなかの転職歴を持つのである。環境は怖い。

ある日、私は戸棚のガラスを割ったか割れたかでその拍子に手を切った。動脈が切れたのか結構な血が出ていたのを横にいた母が動揺したのか、その時の言葉が衝撃的すぎて今でも時々頭の中をよぎる。
『なにしてたん!?馬鹿じゃないの!?!?wgdJwmatpgmwkp…!?!?』完全に手に負えない。

たいていの親はおそらく、『大丈夫!?怖かったねー!?びっくりしたよね!』となるのではないか。

幼稚園くらいのこの時あたりから、誰に対しても心を閉ざすようになった。
当時の写真は笑っていないものばかり。

この母は本当にわからない人すぎて、私は子どもながらに頭を抱えることが多かった。ひとつ前でも話したところでお気づきの方もいらっしゃるだろうが、そこそこの発達障害を患っている。
多動なのでADHD。軽くLD(学習障害)も噛んでるのでなかなかタチが悪い。
一言で『エゴ』の塊の人だ。この人の言うことを聞いていないと生きていけないとさえ思えた幼少期だったので。大人になった今は、依存されている。
世間の常識が通用しないが、子に対して人の目は気にしていた。今となっては、前述の学習能力の低さが私にとってはまだよかったのかもしれない。当時は本当に勉強がわからなくて、一番身近にいた母がこれだからどうにもできないし、なんとか必死でまじめに勉強した。浪費癖のある家庭で塾や目が悪くなってもその時期にメガネを買ってもらえることはなかったので、かなり学業に苦労した記憶がある。メガネを買ってもらえない本音が心の中に渦巻いていた。

だが、彼女の長けたところが
計算がズバ抜けて早く、そろばんでも追いつかない。これをADHDだと位置付けていると言える。
漢字は絶対小学生の方がよく知っている。一時期流行ったDSの脳トレの計算問題だけが毎日一番上を表示していた。私もこれは頭が上がらないほどすごいなと思っている。漢字読み書きは言うまでもない。

この流れで彼女のプラス面を見ていきたい。
愛情の振れ幅が大きく、困っている他人や生き物に対して助けずにはいられないところがあった。
あと、私がどうしてもしたい。ということにしょうがないなぁ…とよく受け入れてくれていたのが日ごろの恐母から垣間見える優しさと捉えていたのか、しつこく言い寄られるのが嫌だったのか、とにかく嬉しかった。
大人になってからの記憶だが機嫌がいい時の母は、天然でかなりおもしろい存在である。アホなだけかもしれないが、ときどき人をほっこりさせる空気も持っていた。


とはいえ、なぜ私はここまで母にこだわるのか。

心底、嫌いたくないのだ。おそらくそうだ。
ここまであの人のことを話せるのだから。
けれども、『あの時、こうして言って欲しかった』
『こうしてほしかったのに』の場面が多すぎたのだろう。とっくに限界を越した感じだ。
だけれども生きてる以上、母にはいつまでも
こうして言ってくれるだろうか。
こうしてくれるだろうか。と期待してしまう。

これが『愛着障害』ではないか。

健全な家庭で育った(普段からそこまで親に固執することのない)人には、このことは本当に理解できないと思う。
現に、ここまで読み進めていらっしゃる方は、この話は自分のことだろうか、と同じような経験をされているのではないか。

ある一定の愛情を受けている人は、まず、親に対して普段から『親』の話題を匂わすことがない。
何かしら家庭に問題がある人は、言葉のどこかに寂しさや心に引っかかるような行動をかならずしているはずだ。極端に家の話を避けたり、笑って退けたりわかりやすい。
家庭問題を抱える友人が全員そうなので、間違いないと思う。たとえば、スピリチュアルにどっぷりハマったり、怪しいネズミ講的な仕事に足を突っ込んでいたり。
自身にかぎってはなぜだか相談を受けやすい分、暴露的な思考にいってしまっているなかなかの稀なパターンだそうだが。
己自身を満たす経験豊富な人もいる。天涯孤独だということを上手く活かし、ときどき元気か。と人の世話をバランスよくこなす。じつは私もこの人のように生きたいと密かに思っている。

こういった楽しみの積み重ねをすることにより、自身への自信の繋がりになると確信している。

うじうじする日はあって当然。どれだけ恵まれている人でもそんな日はある。


次は父かきょうだいの話ができればと思う。さらば。

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