マスクのある風景(1)(2020)
マスクのある風景
Saven Satow
Aug 31, 2020
Is it me
Is it you
Behind this mask, I ask.
Ryuichi Sakamoto “Behind the Mask”
第1章 新型コロナウイルスとマスク
新型コロナウイルスによるパンデミックはさまざまな影響を世界中に及ぼしている。その中でも最も目に見える変化はマスクのある風景だろう。世界中の当局や専門家が感染制御のためのマスク着用を推奨し、従来は消極的だった人の多くもそれに応じている。中には、政府がマスクを配布している国もある。日本もその一つであるが、通称「アベノマスク」は不評である。「小さすぎるサイズへの不満、見た目のやぼったさ、届いた時期の遅さもあって評判はさえなかった。政府は施設向けに予定していた8千万枚の配布を断念した…きのう通勤の電車内を探したが、政府支給の現物は一枚もなし。口や鼻ではなく、目を覆うばかりの官邸と民意のズレ」と2020年7月31日付『朝日新聞』の「天声人語」は評している。また、外出の際にマスク着用を義務化している国・地域もある。マスク着用が論争となっている米国でも、テキサスなど義務化を決めた州も少なくない。
感染拡大防止のためにマスク着用が必須とされるのは、新型コロナウイルスの特徴に理由がある。不明なことも多いが、新型コロナウイルスは感染しても、およそ8割が無症状な意思軽症で住んでいる。大半のウイルスは発症して初めて感染力を持つが、COVID-19は無症状でもそれがある。こうしたタイプは他にポリオウイルスがよく知られている。
新型コロナウイルス感染症には決定的治療法がまだない。重症化した場合、主な症状は肺炎やサイトカインストームである。ICUで慎重に対応したり、人工呼吸器によって肺の機能を補ったりしながら、対処療法を続け、患者の自己治癒力による回復を期待するほかない。その際、ICUや人工呼吸器の使用が長期に亘るなど医療資源を圧迫し、医療崩壊を招く危険性がある。また、新型コロナウイルスは持続感染の症例が報告されている。ウイルスが体外になかなか排出されず症状が長期化したり、回復してからも後遺症が残ったりすることもある。
感染者数が増えれば、確率論的に、こういった深刻なケースも増加する。そのために、感染拡大を抑制する必要がある。ところが、新型コロナウイルスは不顕性感染であっても、他の人に移す可能性がある。発症していないのだから、感染の自覚がない。無自覚な感染者を通じてウイルスを広げてしまう危険性がある。
インフルエンザと違い、拡大抑制には発症者だけでなく、感染者も対象にしなければならない。そのための方策の一つがマスク着用である。潜在的に誰もが感染者であるとして、マスクをして他の人に移さないようにすることで、拡大が抑制できる。それは感染を発生させないためではなく、拡大させないための大作である。
微粒子防止用のN95マスクを別にして、一般のマスクはウイルス感染から身を守る効果はない。マスクの効用はあくまで他の人に感染させるリスクを低下させることである。新型コロナウイルスの場合、それは17%程度まで下げられるとされている。
AFPBB Newsは、2020年7月15日13:27更新「マスクが美容院でのコロナ感染拡大を防ぐ 米CDC報告」において、マスクの効用例について次のように伝えている。
米国で美容師2人が、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)に感染してもマスク着用で仕事を続けていたが、陽性が確認されるまでの数日間に接触した顧客139人は感染を免れたことが分かった。米疾病対策センター(CDC)が14日、発表した。
CDCは報告書で、新型ウイルスの感染拡大を遅らせる手段として社会全体で、マスクなどで顔を覆うことの重要性が強調される実例だと述べている。
新型ウイルスに感染した美容師2人は、ミズーリ州スプリングフィールド(Springfield)の美容院に勤務していた。美容師Aさんは、5月12日に呼吸器症状が現れ、18日に新型ウイルスの検査を受けた。この時点で、医療機関から自主隔離するよう助言を受けたがこれを無視し、20日に陽性の結果が出るまで仕事を続けていた。
Aさんと接触のあった美容師Bさんは5月15日に症状が現れたが、Aさんの陽性結果が出る同20日まで同様に仕事を続けた。2日後に、Bさんも陽性が判明した。
美容院は消毒作業のため3日間閉鎖され、残りのスタッフも2週間隔離された。グリーン(Green)郡の保健当局は陽性の結果が出た美容師2人の接触者を追跡し、顧客計139人を特定した。
2人の美容師は顧客と接触する際に、Aさんは二重ガーゼマスクを、Bさんは二重ガーゼマスクか不織布マスクを着用していた。だが、Aさんに症状が出てからも2人は接触し、接客をしてない時は両者ともマスクをしていなかった。
顧客139人は全員2週間の経過観察が行われた。顧客のうち67人は当局の要請に応じ検査をしたが、陽性反応を示した人はゼロだった。また、検査を受けなかった残りの顧客へは、当局が2週間にわたりテキストメッセージで健康状態を尋ねたが、症状を報告した人はいなかった。
顧客の年齢は21~93歳で、平均52歳、性別はほぼ均等だった。また、美容師らと接触した時間は15~45分で、圧倒的多数がマスクを着用していた。その大部分はガーゼマスクと不織布マスクを、約5%はN95マスクを着けていた。
CDCは報告書で「新型ウイルスの今後の波の規模と影響を軽減するため、公共の場で顔を覆うことを義務付ける政策を広範に採用することが検討されるべきである」と結論付けている。
インフルエンザであれば、不顕性感染者までマスクをする必要はない。発症者だけに限られ、季節の風物であっても、マスクが新たな風景になることはない。新型コロナウイルスの特徴が世界にマスクのある風景をもたらしている。けれども、マスクが感染症防護具として市中で見かけるようになったのは、20世紀に入ってからのことである。より正確に言うと、109年前の1911年に起きた肺ペストの流行をきっかけにしている。それはマスクのある風景の画像が世界にそうしたシーンをさらに流行させた出来事である。
第2章 マスクの歴史
中世の腺ペスト流行時、エール大学の歴史家フランク・スノーデン(Frank Snowden)の『伝染病と社会─黒死病から現在(Epidemics and Society: From the Black Death to the Present)』によると、ヨーロッパの医師の中に、腐った物質や悪臭によって空気が汚染されているのだと考え、「ミアズマ(Miasma)」、すなわち「瘴気」から身を守るためにくちばしの形状をしたマスクを着用する者が現われる。「大きなつばの付いた帽子は頭を守るため、鼻から突き出したくちばしのようなマスクは致命的なミアズマの臭いから身を守る薬草を入れるために利用される場合もあった」。
しかし、これは呪術に近い認知行動である。今日の経路制御による感染症予防としてのマスク着用とは異なる。マスクが医療現場で利用されるようになったのは、ルイ・パスツールやロベルト・コッホによる近代細菌学が確立された19世紀後半以降である。1890年代には外科手術の際に医師がマスクを着けることは医学的常識となりつつある。
ただ、市中の一般人が感染予防策としてマスクを着用するのは20世紀に入ってからのことである。マスクが最もわかりやすい感染症の「個人防護具(PPE: Personal Protect Equipment)」として地位を獲得したのは、1911年に満州で起きた肺ペストの流行である。このペスト禍の死者は6万人に上ったとされる。その際、マスク着用の浸透に近代細菌学の知見のみならず、発達した視覚メディア、すなわち写真が大きな役割を果たしている。
1894年、香港や広州で肺ペストの流行が始まり、1910年、清と日本、ロシアが覇権を争う満州に到達する。肺ペストは、当時、致死率が100%に近く、非常に恐れられていた伝染病である。清は国際社会に危機への協力を求め、1911年4月3日、奉天(現瀋陽)に各国から専門家を招いた会議を開催する。12か国から伝染病研究者33人が出席、会議は26日間も続けられる。ちなみに、これは中国が主催した史上初の国際科学会議である。
清朝が滅亡するのは1912年2月である。肺ペストの流行はその前年の出来事であり、政府組織は混沌とした状態で、統治能力は極めて限定的だ。終焉地域の満州の公衆衛生に取り組む力はもうない。反面、そうした壊滅状態の政府だったからこそ口出しできず、国際協力を要請したり、専門家に対策を委ねたりするほかなかったとも言える。実際、清は緊張関係にあったロシアとも協力、ロマノフ朝は感染者収容所を設置し、交通手段を提供するなどしている。新型コロナウイルス禍に見舞われながら米中を始め国家間でいがみ合いが続く今日、1911年の肺ペストをめぐる国際協力の姿が再評価されている。
「万国ペスト研究会」を結成した出席者は、肺ペストを発見した伍連徳を会長に選出する。彼はマレーシアに生まれ、ケンブリッジ大学で教育を受けた若い医師であり、ウー・リエン・テー(Wu Lien Teh)として知られる。伍連徳は、現在着用しているマスクを最初に開発して使い始めたペスト防疫の英雄と評価されている。
伍博士は、肺ペストが腺ペストと違いヒト―ヒト感染するとして、スタッフに注意を喚起する。ノミが媒介しなくても、患者が空気感染によって他の人に移す可能性がある。彼はそう説いたが、これは当時の医学の定説に反した大胆な主張である。この疾病が空気感染する可能性があるとすれば、その予防に顔を覆うもの、すなわちマスクが必要だということになる。感染阻止のためにマスクが手術室の外でも役割を果たさなければならない。
しかし、この新たな説を受け入れない専門家もいる。フランス人医師ジェラール・メスニー(Gerald Mesny)は、伍博士を「中国人」と呼んで見下し、流行している疾病が肺ペストであるという指摘にさえ耳を貸そうとしない。この著名な医師は、通説を信じ、マスク着用をしないまま、病院に足を踏み入れている。
専門家でさえマスク着用に否定的なのだから、公衆衛生上必要であっても、一般の人々にそれを実行してもらうことは困難である。人々の間では伝統的な民間療法が根強く、近代医学に懐疑的である。しかも、なす術がなくても、新たな医療を取り入れず、宿命だとして諦めてしまう。
伍博士は自伝『疫病戦士(Plague Fighter)』の中で、「無気力な諦めの境地から人々の目を覚ますには、ショッキングなほど悲劇的な何かが必要だった」と振り返っている。実際、そのような事件が起きる。それは、先に挙げたフランス人医師メスニーが病院を訪れた数日後に、肺ペストで亡くなったことである。この死は伍博士の主張の正しさを裏づけるものであり、感染予防のためにマスク着用が必須であることを意味する。その直後から人々の間でマスクの流行が始まる。「通りにいるほとんどすべての人が、いろいろな形状のマスクを着けていた」。
当時の満州を記録した写真によると、マスクの形状はまちまちである。医療従事者は厚い包帯で頭全体を覆っている。また、凍土を掘った穴に遺体を運ぶ保健局の作業員はフードを被り、口や鼻の周りに布をきつく巻きつけている。それはまるで映画『怪奇ミイラ男』のスチール写真かと思うほどだ。
そこで伍博士はマスクのイノベーションに取り組む。装着しても、作業をしたり時間が経ったりすると、マスクが顔からずれてしまうことがある。そうした危険を避けるため、伍博士はマスクの耳にかけるひもを改良している。現在のマスクの原型がこの試行錯誤によって作られていく。
そうした満州のマスクのある風景は、当時、世界中の新聞で使われ始めていた写真によって国際的に伝えられる。肺ペストという恐ろしい伝染病からマスクが身を守ってくれる。その写真を見た世界の人々に強烈な印象を与える。マスクはこれまで人類が苦しんできた死に至る疫病に個人として対応できる手段である。写真の視覚的効果による影響力は絶大で、欧米では恐怖に怯えた人々が急ごしらえのマスクで顔を覆うようになっている。肺ペストが流行していない地域でも、人々はマスクを着けている。もしその疫病が侵入して来ても、マスクをしていれば、予防できる。このようにしてマスクは世界に普及し始めていく。
第3章 スペインかぜとマスク
1911年の経験が生々しい1918年のスペインかぜのパンデミックにおいても、アメリカでもマスクは広く使用されている。日本においてマスク着用が政府によって奨励されたのはこの時からである。新型コロナウイルスのパンデミックにおいて、欧米に比べて日本はマスク着用の普及が非常に早かったが、実は、スペインかぜの時はそうではない。
林幹益記者は『朝日新聞』2020年4月26日 16:00更新「『マスクかけぬ命知らず!』動揺、100年前の日本でも」において、スペインかぜをめぐる日本政府による感染予防の啓発活動について紹介している。彼は、当時の朝日新聞紙面や内務省資料を調べ、感染防止の対策や社会の動揺をまとめている。
スペインかぜはA型インフルエンザウイルスのパンデミックを指す。1918年春に米国と欧州で感染が広がり、20年まで世界中で猛威を振るっている。この呼称は、当時第一次世界大戦中であったため、参戦国が情報隠蔽する中、中立国スペインが流行を公表したことに由来する。スペインから始まった感染症という意味ではない。被害の全容は今も研究途上である。患者数は世界人口の25~30%とされ、死者数は少なくとも2000万~5000万人で、1億人を超える説もある。
日本では流行の波は3度起きている。内務省衛生局がスペインかぜの記録をまとめた『流行性感冒』によると、国内では18年8月~19年7月の最初の大流行の後に、19年9月~20年7月、20年8月~21年7月にも流行が発生している。当時の人口約5700万人の内、内務省統計によると、患者数は約2380万人、死者数は約38万8000人に上ったとされる。これもさらに研究されており、死者約48万人の説も示されている。スペインインフルエンザは、最終的に、国民の4割以上が感染し集団免疫を得たことで終息したと見られている。
日本における第1波は海外から戻ってきた相撲取りや兵隊の間の流行で、「力士病」や「軍隊病」と呼ばれたが、詳細は現在でも不明である。2020年7月31日付『毎日新聞』の「余録『日紡大垣工場に奇病発生』…」は流行当初の報道について次のように述べている。
「日紡(にちぼう)大垣工場に奇病発生」。1918(大正7)年9月20日に謎の熱病発生の記事が地方紙に載ったのが、その始まりだったという。次いで26日に大津の歩兵第9連隊で400人の感冒(かんぼう)患者が出たと報道された▲スペイン風邪の本流行の日本での始まりである。実は同じ年の春にはその先触れとみられる小流行があった。この本流行は「第2波」ということになる。本流行にも前後二つの波があって、翌年暮れからの第3波は後流行と呼ばれる▲ともあれ最も多くの死者が出たのは第2波で、ウイルスの毒性が春の流行より格段に強まったのだ。
東京朝日新聞では、1918年秋から国内でのスペインかぜ流行の記事が紙面に頻繁に登場している。「患者に近寄るな 咳(せき)などの飛沫(ひまつ)から伝染 今が西班牙(スペイン)風邪の絶頂」(18年10月25日付)や「感冒流行各地に防疫官を派遣 内地で目下熾烈(しれつ)なのは愛知、福井、埼玉の各県」(同26日付)などの見出しがある。
また、政府は感染予防を呼びかけるポスターを作成している。大衆文化が花開く1920年代以前で、マスメディアが未発達の時代において、最も広報効果を持った媒体がポスターである。「汽車電車人の中ではマスクせよ 外出の後はウガヒ忘るな」や「テバナシにセキをされては堪らない ハヤリカゼはこんな事からうつる!」、「恐るべし ハヤリカゼのバイキン! マスクをかけぬ命知らず!」、「病人は成るべく別の部屋に!」など少なからずあり、恐怖をあおる文句が目立つ。しかも、視覚効果も狙い、「テバナシ」はせきをする母の飛沫が子に飛ぶ様子、「命知らず」は車内で口を開けて寝入る男性の姿をそれぞれ描いている。
これだけマスク着用を政府が呼びかけているとすれば、応じない人が少なくなかったからと推測できよう。実際、スペインかぜ予防の様子を描いた菊池寛の『マスク』は、後に言及するが、マスク着用に抵抗感を抱く人が少なくなかったことを語っている。1911年の経験から欧米では人々が積極的にマスク着用をしたのに対し、日本は必ずしもそうでなかったために、政府が呼びかけたと見るべきだろう。ポスターの史料から当時も今と同様に人々がマスク着用をしていたと考えるのは早計である。マスクのある風景でないからこそ、2020年の欧米の当局や専門家がそうであるように、100年前の日本政府も繰り返し啓発せざるを得ない。
「学習院の運動会中止 各宮方の御身を気遣ひ」(18年10月27日付)のように、学校では運動会や遠足の中止、休校の記事も当時の朝日にある。同年11月5日付には、大阪市内では全小学校や幼稚園が1週間閉鎖されたことが報じられている。東京などでも小学校の休校が相次ぎ、京大の一斉休講の記事もある。
被害の報道もある。「航海中に死者続出」(18年11月7日付)として、米国から日本へ向かう船内での感染拡大を伝え、妻子を亡くした男性や母の死を嘆く2人の子どもの様子などを報じている。また、同年12月25日付の紙面は、日本の患者数が1000万人に上ったと伝えている。20年1月11日付になると、「恐怖時代襲来す 咳一つ出ても外出するな」という見出しで、それは社会の怯えた雰囲気を物語っている。
朝日紙面は医療崩壊の危険性も伝えている。20年1月6日付は「病院は満員お断り」との見出しで、都内の各病院に患者が殺到して入院ベッドが不足していること、また看護師が足りないため、派遣要請の1割にも応じられない状況を詳報している。さらに、治療で感染して犠牲になった医師もいたことを明らかにしている。
『流行性感冒』によれば、政府が呼びかけた対策は、マスク着用やうがい、室内の換気や掃除、患者の隔離などである。その際、マスクの材料に、外科用ガーゼは「不完全」と指摘している。病原体がウイルスであることをわかっていなくても、当時の政府もマスクがインフルエンザに感染することの予防には不十分であることを理解している。これは興味深い点である。また、密集空間の危険性も承知しており、大勢が集まる場所への出入りについて、「芝居、寄席、活動写真などには行かぬがよい」や「電車などに乗らずに歩く方が安全」と自粛を求めている。20年1月3日付朝日紙面によると、電車内で「手放しで咳をする事」の禁止まで政府は検討している。さらに、ワクチン接種も進めている。けれども、病原体がウイルスということもわかっていない時代であり、効果は乏しい。
なお、マスクの素材や形状によって効果が異なるという今日の研究結果をNHKは2020年8月21日 5:05更新「飛まつの量 マスクの素材や形で異なる 米大学の研究チーム」において 次のように伝えている。
マスクが抑える飛まつの量は、化学繊維や綿など素材や、形によって異なるとする研究結果をアメリカのデューク大学などの研究チームがまとめました。
世界的にさまざまなマスクを着ける人が増えるなか、研究チームは、化学繊維や綿など素材や形が異なる14種類のマスクで、大きな声を出した時に飛まつの粒がどの程度減るのか、レーザービームを使った実験でマスクを通過する量を計測しました。
この実験の結果では、広く普及している不織布マスクの素材に使われているポリプロピレンのマスクは90%以上、綿のマスクは90%程度から70%程度、何も着けていない場合に比べて飛まつの量が減ったということです。また、ニットのマスクの場合は65%程度、バンダナを二重にしたものは50%程度の効果だったとしています。
一方で、実験に用いた、首から口元までを覆うフリースと呼ばれる素材のものでは、飛まつの粒の量が反対に10%程度増えたということです。
この点について研究チームは「繊維によって大きな飛まつが細かくなった結果ではないか」と推測しています。
アメリカでは、マスクを手作りしたり代わりの物を使ったりする人が増えていますが、研究チームは、素材や形によって飛まつの広がりを防ぐ性能は大きく変わる可能性があるとしています。
この研究はアメリカの科学雑誌「サイエンス・アドバンシズ」に掲載されています。
スペインかぜ当時の欧米はマスクのある風景だったが、この後、その着用が人々の間で消極的になっている。死亡者数などマスクに期待していたほどの効果がなかったと彼らが失望したからではないかと思われる。マスクに感染することを防止する効果はない。あくまで感染させることを予防するだけだ。そのため、欧米においてマスクは病人のつけるものという認識が定着したのだろう。
新型コロナウイルスの感染予防策はスペインかぜを含めこれまでの知見の蓄積に基づいている。その原則は、20世紀と21世紀のパンデミックの間で大半が共有されている。マスク着用や社会的距離の保持、患者の隔離など当時も今も変わらない。ただ、新型コロナウイルスの予防策として推奨されていながら、スペインかぜの際にはそうでなかったものがある。それは手洗いである。『流行性感冒』にも手洗いの効用に関する記述はない。手洗いが感染予防として認められていなかった理由について検討してみよう。
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