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アドルとズルム(2015)

アドルとズルム
Saven Satow
Feb. 03, 2015

「ズルムがなければ、アドルを知ることはできない」。
15世紀のウラマーの言葉

 全知全能のアッラーが創造したのに、なぜこの世には「アドル(公正)」と「ズルム(不正)」があるのか問われ、イスラーム法学はこう答える。人間は不正を知らなければ、公正がわからないからだ。それは公正と不正が相対的な関係にあることを意味する。

 都市は統治者が不正から住民を救済し、経済発展により専門職が生活を維持できるとイスラーム法学は捉えている。ズルムから住民が救済されて、アドルが実践されるのが都市である。

 しかし、統治者は国家財政の逼迫などを理由にイスラーム法に基づかず、恣意的な徴税を課すことがある。また、経済成長が過度の競争心を煽り、商人を始めとして住民の間に強欲が蔓延り、裁判でさえ買収が横行するようになる。公正が実践されず、不正が蔓延するようでは都市の意義が失われる。

 統治者が過酷な徴税などの圧政を行ったり、王朝が弱体化して社会が混乱したりすると、都市の住民は結束して自衛手段をとったり、代表を統治者に送って交渉したりする。その際、リーダーに選ばれるのはウラマーである。彼らはイスラーム法学者である。

 イスラームには聖職者はいない。ウラマーはイスラーム法学の研究者であり、知識人であって、僧侶ではない。

 ただ、ウラマーは武力を持っていない。そこで、武装したならず者集団が自警団の役割を担う。時代や地域によってさまざまな呼称があるが、ここではならず者と呼ぶことにする。

 公正が実践された社会では、ならず者は不正である。都市の街区を根城に、恐喝や略奪、強盗、殺人など不法行為を生業として集団で行っている。統治者は此のならず者を取り締まり、住民に安全を保障することと引き換えに徴税する。ところが、統治者の支配力が弱まると、ならず者は縄張を設定し、住民に安全保障を条件に保護料を要求する。

 住民にすれば税金もみかじめ料も同じである。君主や軍人など統治者は住民に安全保障を条件にして徴税を課す。彼らがそれをできなくなり、ならず者が代行する。安全のために金を払う。ただ、対象が変わっただけだ。

 アドルとズルムという政治理念の相対性がこれを正当化する。決まりきったアドルも決まりきったズルムもない。誰がそれを具現しているかは社会の風潮によって規定される。この柔軟性は他の主要宗教では明確には見られない。

 ただし、世の乱れが統治者の交代の合図と認知する地域は他にもある。中国の易姓革命もそうである。皇帝は天子であり、天の命令を実現する。天変地異が起きたり、世が乱れたりしたら、その能力が弱ったと天が交代を求めているサインなので、皇帝打倒を行わなければならない。中国は士大夫と呼ばれる知識人が民衆を指導する体制を伝統としている。

 イスラーム文化圏には不正の時代に公正を実践しようとするならず者の物語がある。日本でも、国定忠治を始め義賊の民衆説話は少なくない。イスラーム圏の違いはアドルとズルムの理論によって都市の政治に位置づけられている点である。

 もちろん、ならず者はあくまで安全保障を担当するだけである。イスラーム共同体が維持されるにはイスラーム法学という規範が必要である。ウラマーが法を解釈することによってならず者がアドルと扱われる。イスラーム共同体は知識人が支配する。

 ISの登場が新しい中世に中東が向かっている前兆だと主張する者がいる。しかし、アラブの中世はアッバース朝であり、都のバグダッドは唐の長安と並ぶオリエントの中心地である。中世のオリエントは混乱どころか、安定している。オリエントの体制はしばしな帝国であり、宗教を始め多文化が共存するため、統治者には寛容が求められる。アッバース朝も例外ではない。

 新中世論者がイメージしているのはヨーロッパ史だろう。武力を背景にした諸勢力が争いながら、支配領域を拡大・縮小させる。だが、それは欧州を中心にした歴史の見方である。政治の目的を平和の実現としたのはトマス・ホッブズであり、中世のそれは徳の達成である。新しい中世という名称は適切とは言えない。

 住民にとって最優先課題は安全の保障である。平和と言ってもよい。平和があってこそ商業など諸々の活動が可能になる。道徳の実現にもアドルが前提である。平和をもたらすものがその時々でアドルと見なされる。

 ISの伸長はイラク戦争に始まるアドルの衰退が主要な原因であろう。だからこそ本来ズルムである彼らは従来の過激派と違い、「国」を称して徴税している。彼らはそこでの統治原理としてイスラーム法を採用している。それは今日の標準的解釈とは大幅に異なっており、極度の復古主義を始め恣意的でさえある。彼らがイスラームを口実に使っていることは確かだが、アドルが弱体している限り、ズルムの反転と自らを正当化できる。アドルの弱まりは、ズルムに口実を与える。

 なぜイスラーム主義の過激派組織が「国」を名乗るのかは。中東の歴史を見なければ十分にはわからない。現状に対する日本を含めた国際社会の取り組みもそれを認知していることが必要だ。今回の人質事件を口実に安倍晋三首相が意欲を見せる安保法制にはこうした異文化理解がない。
〈了〉
参照文献
三浦徹、『イスラーム世界の歴史的展開』、放送大学教育振興会、2011年

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