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デジタル技術と教育(2010)

デジタル技術と教育
Saven Satow
Jul. 21, 2010

「人間の心の力のひとつは、夢見ること、想像すること、将来の計画を立てることである。心のこの創造的な飛翔力のおかげで、思考と認知は情動を解き放ち、次にはそれ自身を変化させるのである」。
ドナルド・A・ノーマン『エモーショナル・デザイン』

 学校現場にコンピュータが導入され、それをめぐって教師と児童・生徒との関係が転倒している。デジタル機器の操作に関して、教師以上に児童・生徒の方が通じていることが少なくない。しかし、通常の教科ではこのような事態はほとんどあり得ない。デジタル機器の使用は、この固定的な関係を揺るがす。

 学校は、読み書きを発達段階に応じて、子どもたちに総合的・体系的なカリキュラムに則って教育する場である。読み書き能力は大人と子どもを分かつ。しかし、視聴するメディアのテレビは、そうした大人と子どもの違いを無効にする。コンピュータは、さらに、活用の点で、その学校で大人と子どもの立場を逆転させる。

 もっとも、いかに生徒が巧みにコンピュータを使いこなせていても、その原理については物理の教師の方が通じているだろう。デジタル技術の基礎となるP型・N型半導体や論理回路、あるいはその軽薄短小化につながったスケール則を知らない物理教師はまずいない。

 子どもたちはテレビ・ゲームに夢中になり、親たちはそれを注意する。しかし、両者共にその中身のことは眼中にない。ゲーム用マシンはパソコンのような汎用コンピュータではなく、CPUの設計が異なる専用コンピュータである。テレビ・ゲームでは映像のリアリティが重要であるため、物体の反射光などの処理に関する計算量が多くなる。三角関数を用いた小数の計算量が汎用コンピュータと比べて格段に増す。そうしたレイ・トレーシングのための浮動小数点計算用のALU(算術論理回路)を搭載したCPUが使われる。2000年に入った頃から、発熱の問題が解決できないため、集積回路の高集積に限界が見え始め、特定の機能に特化してコンピュータを開発する傾向が強くなっている。こうした選択集中により、数多くの高性能な専用コンピュータが誕生している。ゲーム用マシンの進歩もこの一環である。

 また、昭和40年代までの役所やオフィスの事務机の上には、タイガー手廻計算器が置かれている。「チーン」というこの計算器の放つ警告音が当時の事務現場の風景音である。これは手動の歯車式計算器であり、見かけはまったく違うが、四則演算の原理は現在のコンピュータと同じである。1964年にトランジスタ式電卓、66年にはICを使った電卓、69年、LSIを用いた電卓が登場し、70年、1923年に第一号が販売されたタイガー手廻計算器は製造を修了している。コンピュータの四則演算もその原理は、今の子どもたちが見たこともない大正時代に売り出された計算器と共通している。

 デジタル機器の活用や表現の発信などは生まれた頃からデジタル機器に囲まれているデジタル・ネイティブには造作もなく、思いもよらぬ創造性を発揮するだろう。プログラムを書くことにも向かうに違いない。けれども、コンピュータの仕組みがわからないまま、ブラック・ボックスとして接していては、精神の健康によくない。

 認知科学者のドナルド・A・ノーマン(Donald A. Norman)は、『エモーショナル・デザイン(Emotional Design)』(2004)において、デジタル技術のブラック・ボックス化が人を医らつかせていると解説している。かつての機械は単純だったので、その動作もユーザーが理解できる。自分の指示通りに機械が動くと、コミュニケーションがうまくできていると満足する。単純な機械には「信頼性(Reliability)」がある。ところが、システムの複雑な機械が登場するようになると、仕組みが見えなくなり、指示を出しても、その通り動いてくれないと感じることが多くなる。ユーザーはどうしてそんな動作をするのかまったく見当がつかず、コミュニケーションが取れないと途方にくれ、次第に機械に対して怒りがこみ上げてくる。複雑な機械はブラック・ボックス化しているため、確率などの数値による信頼性基準は適当ではなく、「信用(Trust)」が問われるようになっている。

 別にCPUの設計をする気もないから、コンピュータは使えるだけでかまわないし、その仕組みを知らなくてもいい。しかし、そのように考えないで、精神の健康のためにも、仕組みから理解することがお勧めだ。コンピュータとコミュニケーションをとるには、そのリテラシーに触れておいたほうがよい。
〈了〉
参考文献
Donald A. Norman, “Emotional Design”, Basic Books, 2004
ドナルド・A・ノーマン、『エモーショナル・デザイン―微笑を誘うモノたちのために』、岡本明他訳、新曜社、2004年
タイガー手廻計算器資料館
http://www.tiger-inc.co.jp/temawashi/temawashi.html

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