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The Legend of 1919─有島武郎の『或る女』(10)(2004)

十一 獅子として

 一九二三年、有島武郎がその夫から姦通の脅迫を受け、女性新聞記者の波多野秋子と心中しだとき、『サンデー毎日』、『週刊朝日』、『週刊婦人新聞』、『泉』、『改造』、『解放』、『女性改造』、『婦人公論』、『婦人画報』、『早稲田文学』、『愛聖』、『鐘がなる』、『種蒔く人』、『婦人之友』、『新人』、『婦人新報』、『文化生活』、『婦人世界』、『婦女界』、『良婦之友』、『表現』、『新家庭』が追悼特集号を組んでいる。これらは一九二三年の七月から九月までの間に集中しており、二号に渡る雑誌まであったが、中でも、女性誌で特集されているのが目につく。

 今日では、作家と出版社・新聞社との力関係によって。スキャンダルが表沙汰になることは滅多にない。逆に、その紳士協定を破るものがいかがわしく見られてしまう。『大衆の反逆』のころ、オルテガ・イ・ガゼットが新聞を「知的広場」と呼んだ通り、新聞は徐々にエスタブリッシュメントと化し、スキャンダルやゴシップを避けるようになる。それに代わり、雑誌の機能が高まっていく。

 一九二七年の芥川龍之介の自殺は社会的問題として認識されたが、その五年前の有島の心中は今ならさしずめワイドショーがとりあげるようなスキャンダルにとどまっている。キリスト教徒にとって、自殺は罪であり、内村鑑三は有島の心中を棄教した結果であると激しく糾弾している。「私を動かす力は愛なのです。愛はどこへでも私を引っぱって行きます。愛は、愛する者の心に、決してむなしく怠惰であることはありません。愛は必ず駆り立てて、導くものです」(聖アウグスティヌス『告白』)。有島の死は、ボヤイ・ヤノシュと同様、「その生涯は無駄に終わった」と教会が記録することだろう。

 作者と違い、葉子は自殺しない。二つの次代の間に生きる葉子の状態は持続的な宙吊りの状態、すなわちサスペンスであり、これはメロトラマの重要な手法である。彼女を動かすのは「死の本能」(ジークムント・・フロイト『快感原則の彼岸』)である。葉子は、タナトスによって、特別の死にあてはまらない死の脅威から守られている。特別の死は神の死である。だが、父を殺せても、母を殺せない。母殺しは自分を殺すことだからである。アイスキュロスの『オレステイア』によると、アガメムノンの息子オレステスは母クリュタイメストラを、密夫アイギストスと謀って夫を殺害した理由で、姉エレクトラと共に、殺している。オレステスは、オイディプスとは違い、確信犯である。オイィプスが自ら眼をつぶすのに対して、オレステスは、自分の意志から離れて、発狂してしまう。母殺しの罪はその意思に下され、狂気に陥る。

 葉子は、『或る女』の中で、自分自身の生き方について、次のように考えている。

 葉子はなべての順々に通って行く道を通ることはどうしても出来なかった。通って見ようとしたことは幾度あったかわからない。こうさえ行けばいいのだろうと通って来て見ると、いつでもとんでもなく違って道を歩いている自分を見いだしてしまっていた。そして躓いては倒れた。(略)幾度ものそんな苦い経験が葉子を片意地な、少しも人を頼ろうとしない女にしてしまった。そして葉子はいわば本能の向かせるように向いてどんどん歩くより仕方がなかった。

 葉子の神経は時には自分でも持て余すほど鋭く働いて、誰も気のつかない匂いがたまらないほど気になったり、人の着ている衣物の色合いが見ていられないほど不調和で不愉快であったり、周囲の人が腑抜けな木偶のように甲斐なく思われたり、静かに空を渡って行く雲の脚が瞑眩がするほどめまぐるしく見えたりして、我慢にもじっとしていられないことは絶えずあった。

 葉子の言動は間接的に母に対する非難である。自己と対象との関係が自己と心の中の対象のイメージとの関係にすりかわっている。「間違っていた……こう世の中を歩いて来るんじゃなかった」と後悔する葉子は、精神の異常に苦しみながら、子宮後屈症と子宮内膜炎を併発したのが原因で、死んでいく。「心理学的状態としてのニヒリズムがあらわれざるをえないのは、第一に、私たちがすべての生起のうちに、そのなかにはない『意味』を探しもとめたときである。そのためついには探求者は気力を失う」(フリードリヒ・ニーチェ『権力への意志』一二)。

 スコット・フィッツジェラルドに見初められた田舎娘で、代表的なフラッパーのゼルダも、二〇年代の深まりと共に、発狂している。「革命時代を評しては、道に迷っている時代だといわざるをえないが、現代については、調子の狂った時代だと評さざるをえない。個人も世代も、たえずそれぞれ思い思いの方向に向かって進み、お互いに角つきあわせて邪魔しあっている。それだから、告発者たろうとする者が、なんらかの事実を立証しようと思っても、不可能なことだろう。事実など何もないからである」(ゼーレン・キルケゴール『現代の批判』)。

 父も母も亡くし、狂気に襲われる葉子が最期を迎える際に、内田を呼ぶのは近親相姦的行為である。「手をのばせば届くのに、神をとらえるのは難しい」(J・C・F・ヘルダーリン『パトモス』)。しかし、父=神は死んだのであり、それを自覚し、ニヒリズムにおいて生きざるを得ない。”I do I know not what, and fear to find mine eye too great a flatterer for my mind. Fate, show thy force: ourselves we do not owe; What is decreed must be, and be this so”(William Shakespeare “Twelfth Night” Act1 Scene 5).

 神の死後にもかかわらず、葉子は、内田にエウリピデスの「機械仕掛けの神」のような登場を望む。けれども、「ゴドーを待ちながら」(サミュエル・ベケット)、喜劇的に、葉子が死んでいくとき、神の死は決定不能に置かれ、新たな時代が顕在化する。この死は「獅子」の役割が終わり、次の精神の段階の到来を内包している。葉子は定子を残していったのであり、彼女が第三の精神、すなわち「幼子」を表象している。

 しかし、わが兄弟たちよ、答えてごらん。獅子でさえできないことが、どうして幼子にできるのだろうか? どうして奪取する獅子が、さらに幼な子にならなければならないのだろうか?
 幼子は無垢である。忘却である。そして一つの新しいはじまりである。ひとつの遊戯である。ひとつの自力で回転する車輪。ひとつの第一運動。ひとつの聖なる肯定である。
 そうだ、創造の遊戯のためには、わが兄弟たちよ、聖なる肯定が必要なのだ。ここに精神は自分の意志を意志する。世界を失っていた者は自分の世界を獲得する。
(『ツァラトゥストゥラはかく語りき』)

 「幼子」は、「獅子」の破壊を踏まえて、新たな価値を生み出す。「獅子」はニヒリズムを推し進める一九世紀的な精神であるのに対し、「幼子」は二〇世紀的な精神である。『或る女』は「獅子」の行動を描きながらも、「幼子」を予感させている。つまり、これは一九世紀と二〇世紀の間の一九一九年を体現した作品にほかならない。

 有島は神の殺害者であると同時に、神の死が決定不能になっていく時代の変化を感受した作家である。それはあまりに進んでいた姿勢であり、当時の人々にはいささか唐突に見えてしまう。「時々私は思いもよらないような事をするが、それは咄嗟の出来事ではない。私なりに永く考えた後にする事だ。唯それを予め相談しないだけのことだ」(有島『私の父と母』)。

 有島は先が早く見えすぎる。彼の作品の独自性と孤独はそれに起因する。「異人」は、そういった先見性のために、共同体に属せない生成である。ストレンジャーの有島の小説家としての力量は時代の最先端のその先を行っている。しかし、「他人よりずっと賢い必要はない。ただ一日早ければよい」(レオ・シラード『シラードの証言』)。

 私が物語るのは、次の二世紀の歴史である。私は、来たるべきものを、もはや別様には来たりえないものを、すなわちニヒリズムの到来を書きしるす。(略)いったいなぜニヒリズムの到来はいまこそ必然的であるのか? それは、私たちのこれまでの諸価値自身がニヒリズムのうちでその最後的帰結に達するからであり、ニヒリズムこそ私たちの大いなる諸価値や諸理想の徹底的に考えぬかれた論理であるからである、──これらの「諸価値」の価値が本来何であったかを看破するためには、私たちはニヒリズムをまず体験しなければならないからである……私たちはいつの日にか、新しい諸価値を必要とする……
(フリードリヒ・ニーチェ『権力への意志』「序言」)
〈了〉
参照文献
有島武郎、『有島武郎全集』全14巻別巻1、筑摩書房、1980~81年
植栗弥、著『有島武郎研究 「或る女」まで』、有精堂出版、1990年
内田満、『有島武郎虚構と実像』、有精堂出版、1996年
江頭太助、『有島武郎の研究』、朝文社、1992年
江種満子、『有島武郎論』、桜楓社、1984年
小此木啓吾、『フロイト』、講談社学術文庫、1989年
柄谷行人、『批評とポスト・モダン』、福武文庫、1989年
同、『マルクスその可能性の中心』、講談社学術文庫、1990年
菊地弘『有島武郎』、審美社、1986年
小坂晋、『有島武郎文学の心理的考察』、桜楓社、1979年
城塚登、『ヘーゲル』、講談社学術文庫、1997年
竹田青嗣、『ニーチェ』、現代書館、1988年
夏目房之助、『マンガはなぜ面白いのか』、NHKライブラリー、997年
西垣勤、『有島武郎論 改訂版』、有精堂出版、1986年
福井憲彦、『近代ヨーロッパ史』、放送大学教育振興会、2005年
福田清人編、『有島武郎』、清水書院、1981年
村上益子、『ボーヴォワール』、清水書院、1984年
森毅、『数学の歴史』、講談社学術文庫、1988年
同、『一刀斎の古本市』、ちくま文庫、1996年
安川定男、『有島武郎論』、明治書院、1978年
山田昭夫、『有島武郎の世界』、北海道新聞社、1978年
セーレン・キルケゴール、『現代の批判―他一篇』、桝田 啓三郎岩訳、波文庫、1981年
ポール・アンドラ、『異質の世界―有島武郎論』、植松みどり他訳、冬樹社、1982年
ジョン・・Kガルブレイス、『不確実性の時代』、斉藤精一郎訳、講談社学術文庫、2009年
ノースロップ・フライ、『批評の解剖〈新装版〉』、海老根宏他訳、法政大学出版局、2013年
『新書アメリカ合衆国史』全3巻、講談社現代新書、1988~89年
『現代思想臨時増刊 総特集1920年代の光と影』、青土社、1979年
DVD『エンカルタ総合大百科』、マイクロソフト社、2004年

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