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『初めに音楽、次に言葉』のような量的緩和政策(2006)

『初めに音楽、次に言葉』のような量的緩和政策
Saven Satow
Mar. 13, 2006

「終わりがすべての試金石」。
ジョン・ガワー『恋する男の告解』

 日本銀行の福井俊彦総裁は、2月9日、5年間続いた量的緩和政策からの転換を記者会見で発表しています。デフレに苦しんできた日本経済は回復状況にあると日銀が判断したからです。この政策をめぐって、中央銀行としての資質に疑問符がつくと見られてきた日銀と目先のことばかり気にする政府との間で綱引きが続き、押しの強いエコノミストや短絡的なメディアもあれこれ意見を言い、いささか喜劇じみています。

 それはアントニオ・サリエリ(Antonio Salieri)のオペラ『初めに音楽、次に言葉(Prima la Musica e poi le Parole)』を彷彿させます。これはジョバンニ・バティスタ・カスティ(Giovanni Battista Casti)による台本のオペラ・ブッファで、1786年2月7日、ウイーンのシェーンブルン宮で初演されています。

 伯爵の命令によって4日間でオペラをつくるはめになったものの、作曲家と台本作家は口論を繰り返し、おまけにわがままなプリマドンナが口をはさむという楽屋ネタの喜劇です。当時の音楽家は宮仕えの職人です。さまざまなパターンに通じ、パトロンの依頼に応じて、それを組み合わせて作品にするのです。無理難題に応えるのも仕事の裡ですが、ものには限度があります。お客はそっちのけで、登場人物はみんな自分の思惑を主張しているだけなのです。

 サリエリは、生前、欧州最高の音楽家の地位と名声を獲得しています。)神聖ローマ皇帝・オーストリア皇帝に仕えるカペルマイスター(宮廷楽長)です。当時の音楽は現代人にとってのそれと違います。音楽だけで楽しまれることはありません。消費者は教会と宮廷で、その場の求めるものが音楽です。創作は自己表現や内面の発露ではなく、依頼に応えるものです。オペラを頼まれることが人気の証です。ちなみに、J・S・バッハにオペラ作品はありません。任期がなかったので、依頼されなかったからです。

 フランス革命以降、音楽の最大の消費者は宮廷や教会から新興ブルジョアへと移ります。それに伴い、音楽家も宮仕えの職人からフリーランスの芸術家へと変わっていきます。サリエリはアンシャン・レジーム最後の大音楽家で、死後長らく忘れられてしまうのもやむを得ません。

 量的緩和政策は、その採用以来、「初めに思惑、次に政策」という状態が続いています。この破天荒な政策は、お粗末な政治のために、やっつけ仕事として始まり、ずるずると引き延ばされています。継続の基準を明確にした上で、出口戦略が示されるという合理的な政策ではありません。

 なお、サリエリは音楽の教育者として評価されています。彼の薫陶を受けた音楽家は多く、ベートーベンやシューベルト、リスト、ツェルニーなども含まれます。「虎は死して皮を留め人は死して名を残す」と言いますが、サリエリは「虎」であったようです。

 サリエリは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト殺害の犯人として描かれた映画『アマデウス(Amadeus)』において、すべてを懺悔した後、「私はお前たちに赦罪を言い渡す。私はお前たちに赦罪を言い渡すのだ(I absolve you. I absolve you all)」と口にします。しかし、異常な政策を招いてしまった責任者は告白さえしていません。彼らに「赦罪を言い渡す」ことはまだできないのです。
〈了〉

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