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週休3日法案と技術革新(2023)

週休3日法案と技術革新
Saven Satow
Dec. 15, 2023

「ある立派な工場主が私にこう語ってくれた。『もし毎日10分だけ余分の超過労働時間があれば、毎年1000ポンドを手に入れることができるのだ』と。
一刻一秒が彼の利益の一部なのだ」。
カール・マルクス

 カリフォルニア州選出の下院議員マーク・タカノ(Mark Takano)は週休3日法案を連邦議会に提案、その可決を目指して活動している。技術革新に伴い大幅に生産性が向上しているのに、1938年に制定された公正労働基準法の定める週40時間労働が今も続いている。彼によれば、増加した企業利益は主に経営者が取り、労働者は相応の対価を受け取っていない。労働者は資本家に搾取されているというわけだ。

 タカノ議員は、『朝日新聞DIGITAL』2023年12月9日5時00分配信「(Question)米で週休3日法案、なぜ提案? マーク・タカノ氏」において、法案提出について次のように答えている。

 ■労働者にも、技術進化の果実を 米下院議員、マーク・タカノ氏
 ――週休を3日にする法案を今春、米議会下院に提案しました。狙いは何ですか。
 法案は週40時間労働を規定した1938年制定の公正労働基準法を修正し、労働時間を週32時間とする内容です。32時間を超える勤務に雇用主は基準の1・5倍以上の賃金を支払う義務が生じます。
 技術の進化で労働生産性は飛躍的に向上しましたが、その果実は資本家が主に享受し、労働者は相応の利益を受けていない。週4日勤務制度は、政府が新たな労働規範を定める手段の一つだと考えています。
 ――反響はありましたか。
 最初に提案した2021年春は、新型コロナ禍で長時間労働をした医療従事者や、労働時間の短縮を議論していたテック業界の反応が大きかった。企業をより魅力的にするためには、賃金も労働時間も重要なのです。
 ――否定的な声は。
 「市場が決定すべき問題」という意見もありました。確かに米自動車大手フォードは公正労働基準法成立以前の1926年に、週40時間勤務を導入しました。ただ、全米自動車労働組合(UAW)は「週32時間労働」を今年の労働争議の要求の一つとしました。法案への支持表明です。
 これは行き過ぎた考え方ではありません。100年前と同様に、労働規範は進化しているのです。
 ――労働規範の進化とは。
 「週末」という考え方は、「何が適切か」に関する社会規範の変化の産物でもあります。米国では19世紀末から20世紀初頭にかけて、週60時間労働への批判や1日を「労働、余暇、休息」で8時間ずつに3等分する考え方が出てきました。
 100年近く経た今、「どれだけの仕事をどれだけの人数でやるべきか」と改めて問うべきなのです。日本は労働人口減少に直面していますが、日本を機能させるのに必要な労働力はどれだけか。我々が決断を求められる社会、政治上の大きな問題です。
 ――週32時間制が困難だという企業もあります。
 法案は労働規範についての対話を喚起する手段だと考えています。
 地元の法律事務所に勤める友人によれば、月曜から木曜は職場周辺の駐車場は混んでいるのに、金曜は空いている。多くは、すでに金曜を全休か半日休にしている。社会はすでにその方向に動いているのです。

 搾取と聞いたら、カール・マルクスに触れないわけにはいかない。彼は『資本論』の「第4編 相対的剰余価値の生産」において技術革新の誘因を人件費の圧縮に見出している。増加する人件費の負担を軽減するために、資本家は人間の労働を機械に代行させる。確かに、これは経営判断である。だが、機械化は従来の仕事を人間から機械に置き換えることだけを意味しない。それは新たな仕事を生み出す。

 19世紀に制定される工場法が規制するまで、鉱山で資本家は機械を使用せず、児童・婦人労働を利用している。坑道は狭いので、小柄な労働者の方が都合よく、おまけに労賃も安く抑えられる。しかし、繰り返し強化される工場法の規制により彼らを雇えなくなると、人件費の負担が増える。そのため、資本家は機械の利用を進める。

 マルクスは第4編の第11章から第13章で分業や協業、機械について論じている。彼は機械が動力機・伝達機・道具機(作業機)によって構成され、従来の道具と異なると指摘する。道具は扱う人間が不可欠だ。それはあくまで人間の身体的力の補強である。一方、操作は要るとしても、機械は動力により自動で動けるので、人間にとって代わることができる。機械は人間の代替になれる。うちわと扇風機を比較すれば、その違いは一目瞭然だろう。

 機械の導入は人件費の圧縮のみならず、生産性の向上をもたらす。機械は労働者1人当たりの賃金よりはるかに高額である。それを使う効用が大きいので、資本家は初期投資が大きくても利用する。機械は大量に商品を生産する耐久性を持っている。それにより個々の商品に転化されるコスト移転は小さくなり、価格が下がる。生産性が向上した大量生産品が市場を拡大していく。

 しかし、増えた利益は自分の経営判断の成果だからと資本家がそれを独り占めしようとする。人間を機械に取り換えて増益したのだから、労働者に分ける必要はないというわけだ。

 けれども、マルクスはその認識に異議を申し立てる。機械化は人間を機械に取り換えることだけを意味しない。それは新たな労働を生み出すからだ。

 1人の若者が自宅で起業したとしよう。貯金と親からの借金を元に、その生産者は自分で商品設計を行い、材料や道具をそろえ、ガレージでそれを作る。1人で顧客を探して、商品を売りこむ。商談が成立したら、契約を交わし、納期通りに商品を顧客に届ける。在庫の管理、販売の見通し、商品の改良、原材料・道具の確認、売上金や支払いの振込や手形の取り扱い、口座の管理や借金の返済、帳簿の記録も自分でする。しかし、事業が成功して生産規模が拡大すれば、とても1人ではこなせない。従業員を雇い、分業することになる。さらに、増えた人員を管理する人も必要になる。

 機械化をすれば、生産の規模は格段に拡大する。工具を振るう労働者が減るとしても、他の仕事の人出がさらに必要になる。今日のモノ作りは生産ラインの従業員による製品加工だけを指すのではない。パソコンのモニターを見つめ、マウスとキーボードを動かす従業員も生産的労働者である。技術革新の採用による増益は経営者の判断だけでなく、こうした労働者の労働なくしてあり得ない。当然、資本家は労働者に利益の相当分を分かち合う必要がある。

 機械を作るのも機械である。また、機械は生産現場だけでなく、事務を始めあらゆる分業に浸透していく。それは担当する従事者を減らしながら、別の労働を生み出す。機械化はアダム・スミスが生産性向上に推奨した分業を促進する。だから、資本主義の発展に機械化が必須である。付け加えると、今日、AIやそれを搭載したロボットが人間の仕事を奪うのではないかという危惧をよく耳にする。確かに、既存の労働の一部は機械にとって代わられるが、その代わり、新たな仕事も生まれる。

 ただ、機械化と生産規模拡大により分業を強いられた労働者はこの過程の全体像が見えなくなる。果たして自分の労働が生産においていかなる意味を持つのかわからず、人間疎外をもたらす。人間が機械を使っていたはずなのに、実際の状態は転倒している。近代人は自由で平等自立した個人であり、相互に主体として扱わなければならない。主体である人間が客体である機械を使用していたはずなだが、資本主義においてその主客が逆転している。機械化に伴い客体として取り扱われ、人間疎外に陥った労働者は肉体的疲労がさしてなくとも、精神的ストレスは大きい。こうした状況の改善には労働時間の短縮を始め労働環境の見直しが必要になる。

 時短を法的規制ではなく、「市場が決定すべき問題」とするのは歴史を見ていない意見である。確かに、労働者を集めようと好待遇を用意する企業はあるだろう。けれども、それは労働者にとって売り手優位の市場の場合である。資本家にとって買い手優位の市場の場合、賃金や待遇は据え置かれるどころか、下がる可能性さえある。人件費を抑制できるのなら、技術革新への意欲もわかない。資本主義は健全に成長せず、資本家は労働者から搾取して利益を貪る。工場法による法的規制が機械化を促したことを忘れてはならない。

 そもそも今では当たり前の「週末」も市場に産物ではない。19世紀末から20世紀初頭にかけて、アメリカ社会で週60時間労働が長すぎるとし、「1日を『労働、余暇、休息』で8時間ずつに3等分する」ワークライフバランスの声が発せられたたからである。。

 近代は公私分離を基本原理とする。公的行為である政治が私的活動である経済に干渉することは原則的に避けなければならない。しかし、近代は社会の時代である。自由で平等、自立した個人が集まって社会を形成、それが公正的かつ効率的に機能するために政府は必要とされる。私人である個人が社会という共の場で議論し、その状況を政府が政策に反映することは存在理由に適っている。

 技術革新は資本主義の発展に不可欠であるが、リスクが伴うので、経営者すべてが積極的というわけではない。リスクを取らずに儲けられるなら、それに越したことはない。だから、技術革新に取り組まず、労働者を安くこき使うことで収益を上げようとする。それは労働者を客体として扱うことであり、近代の原理に反している。前近代的認識の資本家が近代で金儲けをすることは許されない。彼らは資本主義の健全な発展を妨げる。

 資本主義の望ましい成長にはイノベーションが必須であるが、リスク回避の消極的な資本家がそれに向かうようにさせるには、市場のみならず政府の役割も大きい。導入を経営者が決めたとしても、技術革新は新たな労働を創出、それを担う労働者が必要になる。それによって大きくなった利益は労使双方で分かち合うべきである。それを自覚しない資本家は資本主義を歪める。週休3日法案はそうした搾取を顕在化させている。
〈了〉
参照文献
カーウ・マルクス、『資本論』2、岡崎次郎訳、国民文庫、1972年
望月洋嗣、「(Question)米で週休3日法案、なぜ提案? マーク・タカノ氏」、『朝日新聞DIGITAL』、2023年12月9日5時00分配信
https://www.asahi.com/articles/DA3S15812913.html


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