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シリア問題と集団的自衛権(2013)

シリア問題と集団的自衛権
Saven Satow
Sep. 23, 2013

「君主は法以上のものではないが、法は君主以上のものである」。
小プリニウス『トラヤヌス帝への頌歌』

 潘基文国連事務総長は、2013年9月3日、記者会見で「武力行使が合法なのは自衛か、安全保障理事会が容認した場合のみだ」と述べ、安保理決議を経ないシリア攻撃は国際法違反になるとアメリカやフランスを牽制している。

 この発言は、実は、今安倍晋三内閣が進めている集団的自衛権の考えが国際法上違法だと明らかにしている。国連は加盟国に集団的自衛権を認めている。自衛権である限り、その行使は攻撃された場合に限定される。

 A国とB国が安保条約を結んでいるとしよう。C国がA国を攻撃した場合、B国はそれを自国へのものとして同盟国と共に反撃できる。これが集団的自衛権である。

 A国もB国も攻撃されていないのに、C国に軍事行動をするとしよう。これは自衛権の行使に当たらない。だから、それには、国連の安保理の決定が必要である。

 このいずれかの条件を満たしていない集団的軍事行動は、現在の国際法上、侵略行為である。言うまでもなく、これが遵守されてこなかったことは確かだ。その典型がイラク戦争である。しかし、この10年あまりの経験から遵守する流れへと向かいつつある。ネオコンは失墜し、政治的生命は終わっている。法に対して政治が優越することはもはや許されない。

 今、安倍政権が進めている集団的自衛権の考えはかつてのネオコンを喜ばせる内容でしかない。攻撃されておらず、安保理の容認がなくても、同盟国間の同意があれば、有志連合として軍事行動をとれるという趣旨だ。高見沢将林官房副長官補は、9月19日の自民党部会で、「日本の防衛を考えていく時に、地球の裏側であれば全く関係ないということは一概には言えない。『絶対地球の裏側に行きません』という性格のものではない」と発言している。しかし、現在の国際法と照らし合わせて、解釈改憲どころか、改憲しても認められるものではない。

 集団的自衛権の行使として国内で論じられているものの多くは、いちいち挙げないけれども、実際には、個別的自衛権に属している。集団的自衛権のための改憲はナンセンスとしか言いようがない。

 国連事務総長の発言はシリア問題をめぐってのものだ。けれども、それは安倍政権の集団的自衛権の考えが違法なことを示している。世界の平和構築へ寄与する論議ならいざ知らず、事務総長がわざわざ警告することにカネと時間を費やしている。

 集団的自衛権の推進派は観念論に満ち溢れ、国際感覚に乏しく、世界の流れにとり残されるどころか、逆光さえしている。思い出してみれば、彼らはイラク戦争を肯定した面々だ。集団的自衛権論議の前に、その総括をすべきである。
〈了〉

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