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社会関係資本から見る震災復興(2015)

社会関係資本から見る震災復興
Saven Satow
Mar. 11, 2015

 「黙祷」。

 ベルギーのカトリック大学が設置する「災害疫学研究所(CRED: Centre for Research on the Epidemiology of Disasters)」は国連の委託を受けて、災害データベースを運用している。これは「EM-DATA」と呼ばれ、1900年以降の全世界の災害情報法を収録・公開している。

 同組織は「災害」を「甚大な被害と、破壊と、人間の苦難をもたらす状況あるいは事象で、予測されておらず、しばしば突然襲ってきて、地域社会の対応能力を上回り、全国的または国際的支援が必要されるようなもの」と定義している。その上で、具体的基準として次の四つを挙げ、その内一つでも当てはまれば災害とデータベースに収録するとしている。

 (1)報告された死者が10人以上
 (2)報告された被災者が100人以上
 (3)緊急事態が宣告されたこと
 (4)国際的支援が要請されたこと

 注意すべき点は災害の定義や基準から原因が排除されていることだ。これは現代的見方である。現在、多くの分野で対象の定義から原因を取り除いている。一例が精神医学である。DSM-3以降、PTSDなどの例外はあるものの、疾病の定義は症状が中心であり、原因に依存していない。精神医学の目的は治療であって、原因追求ではないからだ。

 災害の重篤さはその被害にある。被害があるから、そこからの復興が課題になる。定義から原因が省かれているのはそこから災害を捉えるためである。事情の異なる社会や時代で起きた災害を比較・分析するには、共通の国際基準が必要であり、それには原因よりも結果に着目する方が実際的である。

 日本は災害の際に国際的支援を求める経験があまりなかったために、それに国際基準があることが一般的に知られていない。300人の避難所で臨時トイレ8基といった国際基準があるけれども、遵守されているとは言い難い。

 ただ、CREDは原因を完全に排除しているわけではない。自然現象に伴う災害を「自然災害」、人工的構築物による災害を「技術的災害」と二つのカテゴリーに大別している。

 3・11は、緊急事態の宣告を除けば、CREDの定義や基準にほとんど当てはまっている。しかも、地震や津波などの自然災害と原発事故という技術的災害のいずれにも含まれる。東日本大震災は大規模かつ複合的な災害である。2011年3月11日から4年が経つが、避難物は今でも23万人に及ぶなど被災者は依然として苦しい状況に置かれている。

 復興には時間への認識が欠かせない。時間は元に戻せない。亡くなった人を蘇らせることなど誰にもできない。2011年3月11日以前の状態に世界を元に戻すことなど誰にもできない。

 被災地からの人口の流出が止まらない。復興のペースが遅れるほど、避難先にすでに生活基盤ができあがり帰還の意思を失い、残った住民も待ちきれずに生活の糧を求めて出ていく。特に年齢が若い層にこの傾向が顕著である。被災地は人口減少と高齢化率の上昇に急速に見舞われている。

 地域コミュニティのつながりが災害被害を軽減させることがわかっている。けれども、避難や救助の際に実際に大きな役割を果たすのは体力のある若者である。コミュニティが高齢化すれば、災害に弱くなる。つながりだけで災害に対処しきれない。

 かりに優れた復興計画であったとしても、遅れれば、人口動態の変化からその効果が薄れる。税収も上がらないのだから、既存の自治体が維持できず、再編せざるを得なくなる可能性もある。

 被災地は過疎地である。都市と違い、人口を吸い寄せられない。神戸市は150万人の人口を有していたが、阪神・淡路大震災により10万人が流出している。ただ、数年後には回復する。残念ながら、三陸ではこうした人口移動を期待できない。

 実は、神戸の10万人の大半は旧住民ではない。7割が新住民である。飲食店や小売店などのサービス業は客筋、すなわち消費者の嗜好に売り上げが左右される。第三次産業が成長してきた神戸であるが、新住民には震災復興の建設土木工事の関係者が多く含まれる。常連相手の飲食店は店をたたまざるを得ない。

 需要が変われば、供給も変化せざるを得ない。災害復興の際に、政策担当者はハード面に代表される供給サイドにばかり目が行き、需要サイドが忘れられる。人はそれぞれ関係という社会的資本を持っている。移動した人口は10万人と数字では同じであっても、一人一人の持つ社会関係資本の内容は異なる。震災は地域コミュニティを解体したから、その住民のそれを減少させている。

 大都市の神戸でさえ、市外に避難した7割が戻らなかったのだから、過疎地である3・11の被災地の帰還率はもっと厳しいだろう。都市以上に新住民が入ってくるための知恵と工夫が必要になる。復興には住民でなければできないこともあれば、行政でなければできないこともある。しかし、この課題は住民と行政が協力しないとできないことだ。女川を始め被災地でのそうした試みが報道されている。

 フクシマの被災地域には別の事情がある。3・11は自然災害だけでなく、技術的災害でもある。放射能汚染により立ち入り制限されている。それは帰還率にとどまらず、復興に伴う廃棄物処理の問題もはらんでいる。

 立ち入り制限が緩和されても、4年間放置された住宅にそのまま住むことはできない。保守されず風雨にさらされ、虫を始めとする動物が我がもののように棲みついている。建物だけでなく、家具や家財道具も使い物にならない。住むには建て替えやリフォーム、買い替えが不可欠である。しかし、そのために生じる廃棄物は放射能汚染が懸念され、引き取り手が現われない。復興を進めようとすればするほど、そうしたゴミの保管場所の確保が必要になる。

 全住民が元の場所に帰還するわけではない。他の被災地域同様、戻ることを選択しない人もいる。家人のいない住宅は空き家になる。空き家は、現在、緊急を要する全国的な社会問題の一つである。しかし、フクシマの被災地の空き家の場合、それに加えて放射能汚染に伴う廃棄物処理の困難さがある。フクシマの復興はそれ自体が新たな課題をはらんでおり、今後さらに深刻化する。

 阪神大震災の際に、地域コミュニティの重要性が認識される。それは関係という社会的資本、すなわち社会関係資本を有している。仮設住宅に入り、そこから切り離された住民の孤独死が復興の課題と認知される。生活習慣病や認知症、うつ病などの悪化、アルコール依存症や自殺の増加なども認められる。

 3・11では、その経験も踏まえ、住民力の重要性がさらに強く理解されている。社会関係ができる限り維持されるように仮設住宅が建設され、さまざまな人が行動しており住民の孤立を防いでいる。過去同様の現象も、残念ながら、起きているが、20年前より対応は改善している。

 しかし、復興住宅に関しては社会関係資本が維持されていない。震災を通じて絆やつながりといった社会関係資本の重要性が認知されている。けれども、それらには地域コミュニティの中で暗黙の裡に長い時間をかけて形成されてきたものも少なくない。今回の被災地は大都市ではなく、地方である。人の流出入は決して多くなく、地縁血縁が濃い。コミュニティが解体されると、その新生や再生は容易ではない。

 人間関係の発端は声をかけることである。災害の際に地域コミュニティが力を発揮するのは、話しかけやすい間柄だからだ。話しかけやすさやにくさは場によって規定される。見ず知らずであっても子犬を散歩させている人には、話しかけやすい。話しかけなければ、人間関係は生まれない。

 復興住宅の入居には、通常、抽選が採用されている。仮説では尊重されていたコミュニティへの配慮はない。入居者は従来のつながりと断ち切られ、プライバシーとセキュリティ重視の都会のマンションが物語るように、新たな近所づきあいも生まれにくい。居住空間の閉鎖性が強いので、共通基盤を見つけにくく、話しかけにくい。

 人口減の日本社会にあって、復興住宅は住民の人数を新たに増やす効果をもたらす。街の活性化につながるのではないかと人口増加を歓迎する地域もあるだろう。しかし、人はたんなる数ではない。一人一人が関係という社会的資本を持っている。新旧住民はお互いのそれを有していない。

 従来からの地域コミュニティと復興住宅がどのように話しかけるのかも難しい。地域住民は地理的共通性から被災体験がほぼ共有されている。けれども、復興住宅は世帯ごとに体験が異なる。しかも、地域住民よりも被害程度は概して大きい。震災によって地域が再構成されたが、被災体験が住民間で共有されておらず、お互いにどのように話しかけていいのかわからない。地域住民が知恵を出し合ってこの状況を改善するほかない。

 復興をめぐってハード面やソフト面についての多種多様な意見や提案がなされる。それは大切であるが、復興を感じられるかどうかは心の問題でもある。かけがえのない人が自分にはいるという関係の認知が必要だ。声をかけなければ、それは生まれない。話しかけやすい場の構築が復興の過程には不可欠だ。

 4年が経ち、復興の進展に関してその偏在が露呈している。しばしば報道でも伝えられるのは、物理的復興と精神的それのアンバランスである。震災は地域コミュニティを解体し、一人一人の関係という社会的資本を激減させている。震災直後から「絆」が国内中で語られている。しかし、支援すればおのずからそれが現われるわけではない。面と向かって声を掛けなければ、つながりは生まれない。話しかけることが社会関係資本の発端である。それを増やすには声をかけやすい場をつくり出すほかない。お互いに話しかけられる関係が形成されて、相互信頼を覚える。これが復興には欠かせない。
〈了〉
参照文献
林敏彦、『大災害の経済学』、PHP新書、2011年

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