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墓場鬼太郎と先祖祭祀(2014)

墓場鬼太郎と先祖祭祀
Saven Satow
Mar. 25.,2014

「遠いとこああがとございました。気をつけてお帰りください」。
武良布枝『ゲゲゲの女房』

 2014年1月に91歳で雑誌連載を果たした水木しげるの代表作と言えば、『ゲゲゲの鬼太郎』だろう。この物語は戦前に流行した紙芝居の怪談をヒントにしている。それは産女の幽霊話から派生した『墓場鬼太郎』として知られている。産女の幽霊話は飴屋の幽霊や飴買い幽霊、子育て幽霊などとも呼ばれ、広く認知された怪談である。

 戦前の紙芝居の『墓場鬼太郎』がどのような内容で、いかなる造形だったのかははっきりしない。紙芝居は屋外で使う一点物の消耗品である。残ってなどいない。わかっているのはせいぜいこの程度の概略である。

 墓場で死んだ妊婦が幽霊となって飴屋に飴を買い、そこで生まれた子どもを育てている。その墓場の子の名前が「鬼太郎」である。

 水木しげるは、マンガ家になる前、紙芝居の作画に携わっている。彼は、戦前から活躍する紙芝居の語り手鈴木勝丸より、『墓場鬼太郎』の話を聞き、アイデアを膨らませている。水木しげるも紙芝居で『墓場鬼太郎』を描いているが、これも現存していない。ただ、当時、ヒットしたと伝えられている。水木しげるの生み出した鬼太郎は紙芝居に始まり、貸本マンガ、雑誌、アニメ、実写映画など最も多くの媒体に登場した主役キャラクターである。

 水木しげるは大量の紙芝居を作画したとされている。彼がここで子どもの心をつかむことに苦心した経験は後に生きる。マンガ家は読者と年齢が近い方が興味や関心をつかむのが容易なので、成功しやすい。ところが、水木しげるは40歳を超えてなお、子どもに支持される作品を描いている。『悪魔くん』と『ゲゲゲの鬼太郎』、『河童の三平』が同一の作者による作品だと知らずに、楽しんでいた子どもも少なくない。こうした現象の理由は紙芝居で子どもから支持されるにはどうしたらいいかを腐心していた経験が生きたからと考えられる。

 『墓場鬼太郎』の原案となった産女の幽霊話は怪談の特徴をよく示している。それは先祖になれない魂の物語だからだ。怪談は先祖祭祀と関連している。

 日本の伝統社会における最も基礎的な幸福感は無病息災に要約できる。こうした幸福感に裏打ちされ、死者が子孫から祭祀を享受できる先祖になるためには条件が要る。死者にとっての願いは生者に忘れられないことである。死者が先祖として死後においてなお子孫に影響を及ぼす以上、資格要件がある。日本の場合、先祖は子孫集団に繁栄という利益のみならず、祟りや障りなどの不幸をもたらす。

 先祖集団は子孫集団を統合する。先祖祭祀は子孫集団にとって重要な儀式であり、アイデンティティと考えられている。死者が先祖になる要件は、山泰幸関西学院大学教授の『死者の幸福』によると、大きく三つある。

 第一は、その共同体において異常と見なされた死に方をしていないことである。特定の病気による死や事故死、自殺、戦死など忌避の基準は当該コミュニティによって異なるが、そうした死者が先祖から外されるケースは多い。

 第二は、祭祀を行う子孫がいることである。祭祀を執り行うのは子孫であるが、それは死者と一定範囲の親族・血縁関係に限定されている。それがいない場合、生前もしくは死後に当該者と養子縁組を結び、祭祀者を確保する。しかし、こうした子孫が存在しない死者は先祖になれない。のみならず、生者に災いをもたらす死者として恐れられる。

 江戸には、遊女を始め独り身が多い。それは子孫のいない死者が発生することを意味する。先祖として供養されないため、簡素な棺桶に遺体を入れて寺の集団墓地に粗雑に葬る習慣が普及する。こうした寺を「投げ込み寺」と呼ぶ。今日の発掘により、酒樽が転用されていたり、六銅銭だけしか所持していなかったり、棺桶が積み重なり、下のものがつぶれていたり、本当に投げ込んでいたことが確認されている。

 第三は、死亡時に定められた年齢に達し、社会的カテゴリーに属していることである。死亡した乳児は先祖になれない場合が多い。また、人殺しの罪で刑死した人はその扱いを受けないのが通常である。

 この三つが先祖の資格要件だが、死者がそうなるには期間と段階を経なければならない。日本の場合、一周忌や三回忌などの年忌供養、命日供養、彼岸や盆の供養といった行事が繰り返され、五十年忌で個としての祭祀が終わり、以後は先祖集団の一員と扱われる。死者は祭祀儀礼を通じて個から集団へと先祖としての性格を変えていく。

 産女の幽霊話を始めとして怪談に登場する霊魂はこの要件を満たしていない。先祖になれるようにすることを共同体の構成員に説くと同時に、それができなかった魂を物語によって供養する。これが怪談の機能である。

 水木しげるの『墓場鬼太郎』は母親ではなく、父親が鬼太郎を育てると変更されている。あくまでも戦前の紙芝居は創作のヒントである。ただ、水木しげるは怪談と先祖祭祀の関係について理解している。鬼太郎のちゃんちゃんこが先祖の髪の毛で作られているなどがその一例である。彼が先祖祭祀に基づいて怪奇物語を構想できるのは、おそらく、地縁血縁が濃密な伝統的共同体で生まれ育った世代だからだろう。

 時代に応じて変わりつつ、鬼太郎が何度も復活してくる理由にはそれが怪談の本来の機能を踏まえていることもあるだろう。マンガには多くの怪談が描かれているけれども、水木しげるを別にすれば、必ずしも先祖祭祀との関係にまで認識していない。死が個人主義的に捉えられ、本来の機能が承知されないまま、恐怖感を消費するために、怪談が流通している。

 伝統社会と現代は環境が大きく変わっている。けれども、怪談があくまで先祖祭祀に基づく魂の行方の物語だということを忘れない方がよい。その語りは今という時代を相対化する。水木しげるの『墓場鬼太郎』はそれを思い出させてくれる。
〈了〉
参照文献
高坂健次、『幸福の社会理論』、放送大学教育振興会、2008年
武良布枝、『ゲゲゲの女房』、実業之日本社文庫、2011年

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