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政治決断と遅延評価(2012)

政治決断と遅延評価
Saven Satow
Apr. 19, 2012

「話から察すると、城代はなかなかの玉だぜ。てめえがばかだと思われてるのを気にしねえだけでも大物だ。ところでその大目付の菊井だが、お前達が"やっぱり話せる。やっぱり本物だ"なんて言ってるとこから見ると、こいつはまず、見掛けにゃ申し分はねえ。らしいな。 しかし、人は見掛けによらねえよ。危ねえ危ねえだぜ」。
黒澤明『椿三十郎』

 1978年、鄧小平国家副主席は、尖閣諸島の領有をめぐって、「主権問題は棚上げして共同開発しよう。次の世代にはわれわれよりももっといい知恵があるに違いない。」と表明している。当面の最大の目標は日中平和友好条約の締結であり、その障壁になる諸問題は棚上げにしたというわけだ。尖閣諸島の管轄権は日本にあり、中国もそれを尊重する現状維持が確認される。

 これは「遅延評価(Lazy Evaluation)」の発想である。その成否の影響が非常に大きい場合、どのように環境が変化するかわからないので、判断をできる限り先延ばしにする。工学において、こうした評価法は、自然環境の下での施工・使用が前提で、大勢の作業員が加わり、高額の公共投資に基づく受注の土木事業で採用される。

 なお、ここでの遅延評価の用法は、情報科学のそれとは異なっている。また、工学の三区分も便宜上であり、必ずしも一般的ではない。

 エンジニアリングを設計における制約の硬軟を基準にすると、機械系・土木系・システム系の三つに大別できる。

 機械系は、不特定多数をユーザー対象とし、主に人工環境での製造が想定された大量生産品を指す。環境を最適化できるなど作業工程での制約はソフトである。もし人手では難しければ、そこは自動化すればすむ。機械系のエンジニアの制約処理は逐次的で、工程間での環境変化を無視できるため、決断は早いほどよい「先行評価(Eager Evaluation)」がとられる。機械系のエンジニアは、このような条件から、最高品質を目指す。

 一方、土木系は「ハード制約(Hard Constraint)」である。自然条件下で、なおかつ大勢の作業員が従事する。何が起こるかわからない。しかも、通常、公共投資の受注であるため、使用目的が明確である。制約が硬く、設計者は判断を可能な限り遅らせる「遅延評価」を採用する。こうした事情から、最低限度の品質を確保することに苦心する。

 機械系では、ビスが100本必要だとすれば、それだけ用意する。エンジニアは無駄を極力削減し、最高品質を狙う。一方、土木系ではボルトが1万本要るのなら、2万本を組み入れる。作業員の数が増せば、ミスも確率論的に増加する。バカ力を出してトルクレンチでボルトを締め付け、その頭を吹っ飛ばすことも頻繁に起こる。疲れてくれば、無駄な力が抜けて締められ、1万本の確保はできるだろうと余裕を持って設計せざるを得ない。

 システム系は機械系と土木系の中間である。使用環境は自然であるが、エンジニアは個別品と言うよりも、システム品を設計する。航空機や船舶の製造がこれに含まれる。

 環境の変化が予想され、関係者が極めて多数に亘るハード制約の場合、遅延評価の発想が効果的である。鄧小平が領土問題で即決を避けたのは賢明だろう。これが「知恵」というものだ。鄧小平以外にも、この姿勢をとった政治家がいる。その一人が鈴木善幸元首相である。彼の知恵がなかったら、3・11の被害はさらに拡大していたかもしれない。

 青森県から茨城県にかけての太平洋沿岸で、岩手県だけ原発が立地していない。しかし、その岩手にもかつて原発建設の計画が持ち上がったことがある。最有力候補地は、信じがたいことだが、旧田老町摂待地区である。「津波田老」に原発を建設するなどまともな神経では考えられない。2011年3月11日に同地区を襲った津波は、約14mの防潮堤を乗り越え、その倍ほどの高さまで山肌を抉り、海岸線から1km以上先まで洗い流している。計画が実施されていたらと思うと、ぞっとする。

 2012年1月21日付『朝日新聞』の「原発国家 三陸の港から」によると、70年前後に通産省が地質調査を行い、80年に、中村直知事が県議会で「県民生活の安定や産業振興に原子力を含む大規模電源が必要」と表明、82年には、県が摂待地区を始め四か所を候補地として東北電力に売りこんでいる。

 県の経済界は誘致に期待を示す。また、玉沢徳一郎や小沢一郎など県選出の自民党の国会議員も賛成を表明する。その一方で、地元の漁民たちは強く反対を主張している。三陸の世論は真っ二つに割れてしまう。

 この時、カギを握っていたのが鈴木善幸首相である。彼は食えないタヌキぶりを発揮し、原発誘致に関する決断をとにかくずるずると先延ばししている。早野仙平田野畑村長が「原発交付金は村予算の4倍、30億円以上ももらえるが、使う知恵がない」と伝えると、ただ「そうだな」と満足げにつぶやいたとされる。

 善幸は団結を大切にし、内部対立を嫌う。典型的な調整型の政治家で、激しい派閥抗争の末、大平正芳首相の急死に伴い、後継に選任された理由の一つもそこにある。首相就任に際し、「和の政治」を掲げている。もし原発誘致の是非をはっきりさせてしまえば、地元の分裂は決定的になる。その対立は将来に亘って続く。これを何としても避けねばならない。

 善幸は、首相退陣後も、決断を遅延させる。漁港の改良のために、三陸を訪れても、原発の話は口にしない。その後、原油価格は下落、省エネの取り組みもあり、電力もだぶつく。三陸の原発計画はいつの間にか立ち消えになっている。

 善幸がとった手法は、遅延評価の発想に基づいている。目に見える決断よりも、目に見えぬ調整を選び、のらりくらりとした姿勢にしたたかさを感じさせる。善幸と比べると、やたらまばたきをしながら、独りよがりの決断を大声で叫ぶ石原慎太郎東京都知事が未熟に見える。首長としては、外形標準課税や新銀行東京、教職員志望者の減少、公費による豪勢な海外旅行、気ままな登庁などの失政・スキャンダルは思い浮かぶが、成果は探し出すのが困難なほどである。しかも、3・11による防災対策の根本的見直しや東電改革にも当人に熱心さが見られない。そこに今回の都の予算による尖閣諸島の購入表明だ。

 即断は、未来が線的に続くならば、有効である。だが、実際にはそうではない。将来の見通しの甘さや無責任が露呈するものだ。日本の政官は、既成事実をつくって反対論を抑えこむ目的から、先行評価を好む。遅延評価をとらず、判断を速めたために、地元が二分しただけでなく、その後の環境変化に伴い、当初の目的が失われた公共事業は、原発も含めて、日本全国の至る所に見られる。決断を速くすれば、事態が早期に収拾できるわけでもない。むしろ、対立が延々と続き、出口さえ見えなくなってしまう。遅延評価の発想の方が実際には解決が速い。

 そうした経験にもかかわらず、日本政治において遅延評価の意義を世論が認められているとは言い難い。停滞する政治を前に決断力を求め、恣意的な即断に拍手喝采する。しかし、知恵が足りないために、調整ができず、動かないのが実情である。

 今の政治に必要なのは知恵だ。決断ではない。
〈了〉
参照文献
福田収一、『自己発展経済のための工学』、養賢堂、2011年

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