統計不正をめぐって(2019)
統計不正をめぐって
Saven satow
Apr. 07, 2019
「偽造捏造安倍晋三」。
政府は公共政策に反映させるため、極めて広範囲に亘る領域のさまざまな統計をとっています。それは公表され、政策が妥当であるかどうかの判断の材料になるのみならず、経済・研究・報道など社会における活動にも影響を及ぼします。統計は社会的に共有されるものですから、信頼性が必須です。ところが、安倍晋三政権が長期化する中、統計への疑念が噂されるようになります。実感とかけ離れていて、その数字が信じられないというわけです。
もちろん、過去にも実態と実感のずれが指摘されたことはありますが、それらは理論的に説明できるものが少なくありません。いくつかの統計を組み合わせると、その謎が解けるのです。それは統計の数字がおかしいのではなく、解釈に工夫が必要だということを意味しています。
けれども、安倍政権下の統計への疑惑は数字がおかしいというものです。それが気の性ではなかったことが明らかになります。2018年12月に発覚した毎月勤労統計を皮切りに、少なからずの統計に不正があると判明します。政府は、実施した政策がうまくいっているとアピールするために、不都合な事実を隠そうと統計に手を加えたという疑いが濃厚です。
ところで、国家統計において最も重要なのは人口調査です。これは古今東西変わりません。日本では政府は5年に1度最も大規模な全数調査を実施しています。
日本の政府統計の特徴は農林水産部門が多いことです。全体の7割を占めています。近代統計は明治期に始まります。当時は産業の中心が農業ですから、この部門の詳細な統計が政策上必要です。しかし、時を経るにつれ、産業構造が変化し、他部門の統計も求められるようになります。ところが、佐藤栄作内閣が霞が関の総量を規制したため、他部門の統計職員を増やせず、この偏りを是正できません。
統計をめぐって政策目的と作成の間に齟齬が生じています。2000年代、それを解消するために、政府は統計制度改革に着手します。けれども、行政改革に伴う形で始めたため、公務員数を増やすことができません。統計職員の人数の増加ができませんから、実態が伴っていません。
統計には、作成の際に、加工が不要なものと必要なものの二種類があります。前者は、サンプリングの偏りの補正をする場合もありますが、目的の数値を直接調査できるものです。他方、後者は目的の数値を直接調査できないものです。典型がGDPです。これを直接調べることはできません。複数の調査を組み合わせて算出します。
政府統計には業務統計¥調査統計・加工統計の三つがあります。最初の業務統計は、税務統計のように、政府の仕事自体によって生み出されるものです。次の調査統計はある目的に基づいて政府が直接的に調査して作成する者です。国勢調査代表例です。最後の加工統計は複数の業務や調査によって得られたものを組み合わせて作成する者です。この典型例がGDPです。前者二つが加工不要、後者が必要な統計です。
統計には、作成の際に、加工が不要なものと必要なものの二種類があります。前者は、サンプリングの偏りの補正をする場合もありますが、目的の数値を直接調査できるものです。全国企業倒産件数が一例です。他方、後者は目的の数値を直接調査できないものです。典型がGDPです。これを直接調べることはできません。複数の調査を組み合わせて算出します。 ある調査結果を統計に作成したとしても、それだけでは意味がありません。統計は通時的・共時的に比較をして初めてそれの持つ意味が明らかになるのです。
通時的な比較のために、統計は継続してとる必要があります。そうした継続性により推移を確かめることができるのです。注意しなければならないことがあります。一旦とり始めたら、その統計の調査・作成を中止しないことです。時代にそぐわないからやめるのは安易です。そうした意見も継続しているから言えることです。エンゲル係数も時代遅れと見なされていましたが、安倍政権下で注目されています。もちろん、時代の変化に応じて基準を変更する場合もあります。ただ、そういった修正をしつつ、続けることに意義があるのです。
基準の話が出ましたが、それは統一されている必要があります。先に述べた通り、通時的には変更もあり得ます。けれども、国際比較など共時的には基準の統一が不可欠です。GDP算出の基準が国によってまちまちでは、その比較は無意味です。同じ基準であるからこそ、比較が可能であり、それの持つ意味があります。
ただ、統計には、信頼を損ねる諸問題があります。社会調査自体に関する学問研究から見出される理論的なものもありますが、多くはヒューマンエラーや手抜き、意図的な改竄、調査協力拒否など人為的なものです。
人間がすることにはミスがつきものです。統計も同様です。調査・作成に大勢が関係すれば、ヒューマンエラーの可能性も高くなります。全数調査でなく、サンプル調査がよく利用されるのはこれを防ぐ目的もあります。また、調査・作成の動機付けが弱かったり、時間や人手が足りなかったりすれば、手抜きの誘惑にかられることもあるでしょう。
意図的な改竄には不都合な事実を隠したいという思惑があるものです。これには、国からの指定や補助などを得るための自治体による人口の水増しが従来から知られています。また、今回発覚した安倍政権下の統計不正の理由はこの政治的意図が主でしょう。
個人情報の流出を恐れたり、時間の余裕がなかったり、調査の意義を認めなかったりするために対象者が協力を拒否することも起きます。調査協力者数が少なくなれば、偏りが大きくなる傾向になります。また、最も調査したい対象が抜け落ちてしまうこともあります。子どもの貧困を調べたいのに、豊かではない家庭が忙しいとして協力してくれなかったなら、その結果は信頼性が乏しくなりかねません。
このように、統計の信頼性には、継続性や基準の統一性、調査・作成手続きの妥当性が重要です。ところが、安倍政権下の統計不正にはこの三つが揃っています。基準を急に変更したり、不正を指摘されると公表をやめたり、政府に都合よく産出したりしています。
比較は相対化ですから、統計は絶対性を斥けます。政府による統計不正は自身の絶対性を誇示するためでしょう。しかし、それは自身を対象化する目を失います。健康診断の結果に信頼性がなければ、早期発見早期治療など適切な対応ができません。生活習慣を改めたくない人にとっては好都合かもしれませんが、その後は期待通りではないでしょう。統計が信じられないことはそれと同じなのです。
〈了〉