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パチンコ屋の吉本隆明(2012)

パチンコ屋の吉本隆明
Saven Satow
Mar. 18, 2012

「死は悲しみではなく、醜悪だ」。
吉本隆明

 1956年3月、「戦争責任」論で一躍脚光を浴びた吉本隆明が東洋インキ株式会社からの退職を余儀なくされる。52年6月に同社の青砥工場に就職し、翌年の4月に同労働組合委員長に就任する。この組合運動のため、吉本は社内にとどまるのがつらくなってしまう。57年1月、彼の母校の東京工業大学の遠山啓教授の紹介により、長井・江崎特許事務所に就職、70年に自主退職するまで勤務している。

 この失業中鵜、吉本はパチンコ屋にあるスマート・ボールで稼いだ景品を売って生計を立てている。プロのギャンブラーというわけだ。おそらく近代日本の思想家でこうした経歴の人物は唯一だろう。

 スマート・ボールは、パチスロが普及する前に、パチンコ屋に置かれていた遊技機である。パチンコ台の形状が垂直方向に長い縦型であるのに対し、スマート・ボールは、ピンボールに似て水平方向への横型で、「横モノ」とも呼ばれている。以下ではスマート・ボールに対して「ギャンブル」を使うが、法的規定と違うなどと目くじらを立ててはいけない。

 賭博依存症の心理小説、あるいは賭博を題材にした教養小説は少なからず見られる。前者の代表はフョードル・ドストエフスキーの『賭博者』、後者なら阿佐田哲也の『麻雀放浪記』になるだろう。ギャンブルは、もしかしたら儲かるかもしれないという願望につけこんだり、心理的な駆け引きもあったりするので、内面描写と相性がいい。こうした作品の特徴はギャンブル自体が目的であり、その身体知が形式化されることはない。

 一方、吉本にとってギャンブルは生計を立てるための手段である。確実に利益を日常的に上げるためには、その暗黙知を可能な限り明示知とする必要がある。吉本はギャンブルを身体性から認識する。ギャンブルで成功するには、日々の努力によるイノベーションを行い、自らをアスリートに仕上げなければならない。「プロとなるためには、よく睡眠をとって疲労をさけ、できれば手の筋肉や足腰を鍛え、開店と同時に、す早く必ずその店で儲かる台の前に座る」。吉本は、合理的に臨み、ギャンブルにロマンティックな感情など抱いていない。

 吉本はスマート・ボールで絶対に損をしない四つの秘訣を挙げている。

(1) スマート・ボールは玉突きのようにスムーズな押しをするとき入る確率が最大である。
(2) 打ち方が一定であるかぎり、一軒の店で必ず儲かる台は、幾台かに限定される。
(3) 玉が入らなくなるのは、べつに憑きが落ちたのではなく、手の筋肉が疲れて打ちが狂ったのだから、すぐに決断してやめる。
(4) 自分の打ち方で、必ず儲かる台が、他人に占められていたら、その店を出る。

 得ではなく、損をしない秘策という点に注意が要る、失敗には必ず必然的理由がある。それらをできる限り排除し、リスクを軽減する。失敗を回避することで、成功へと導かれる。成功に奥儀はない。身体知を徹底的に形式知へと顕在化させ、ギャンブルのリテラシーを構築する。それはマシーンと自分とのインターフェースから捉えるギャンブル・エンジニアリングである。この認識は文学者の中では稀有だと言ってよい。

 ギャンブラーはアスリートでなければならない。そんな発想の作品は、めったにお目にかからない。映画『ハスラー2』に若干そうした要素が組みこまれていたが、日本の表現においては、映画化もされたマンガ『カイジ』が示しているように、相変わらずギャンブルがオラリティとしてのみ扱われている。

 残念ながら、吉本の作品には、概して、こうしたエンジニアリングの発想が見られない。むしろ、情緒的でさえある。

 吉本は、結局、スマート・ボールのプロの道へは進まない。「その最大の障害になったのは、技術的なことではなく、じつに、開店と同時に、その店で必ず儲かる台を占領するという行為がたび重なると、気恥ずかしくて」だったからだ。

 エンジニアリングの発想を気恥ずさが上回ってしまう。吉本にはそれを持ち続けたままで思想活動をする選択肢はなかったというわけだ。その後、「戦争責任」論で見せた鋭さは後退し、吉本の思想は著しく主観性が強いものにとどまっている。プロよりもアマの考え方に意義を見出そうとするが、それはアイロニーにすぎない。彼の愛する横丁の豆腐屋も、実は、豆腐製造のプロである。その認識を思想にすることを吉本にはできたはずだ。吉本の継承は流行した思想をいかに今後に生かしていくかだけではない。彼の断念の中に可能性を見出すことでもある。
〈了〉
参照文献
吉田秀明、『吉本隆明』、現代書館、1985年

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