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江戸の料理文化(2007)

江戸の料理文化
Saven Satow
Nov. 29, 2007

「真の人間性に最もよく調和する愉しみは、よき仲間との愉しい食事である」。
イマヌエル・カント

 2007年11月22日、『ミシュラン・ガイド』東京版が発売されます。それに先立つ同月19日、その概要が公表されたのですが、東京がパリの二倍の星を獲得したことに欧米のメディアが驚きをもって伝えています。「東京は美食の都の地位からパリを引きずり降ろした」(AP通信)や「パリもニューヨークもローマも忘れてしまえ。グルメの本場は東京なのだ」(ロイター通信)などアトランタ五輪での日本対ブラジル戦の結果報道を思い起こすような見出しが躍っています。

 『ミシュラン』の評価の妥当性はさておき、徳川家が江戸に幕府を開いた頃にはこんな出来事が起こるとは夢にも思わなかったに違いありません。当時は、浅草に奈良茶飯屋がある程度で、料理文化はお粗末極まりません。

 料理文化は、食文化の中でも、美食を問題とするものです。これは料理と料理本によって具体化されると言っていいでしょう。

 江戸時代初期の文化の中心は上方、つまり京都や大阪です。江戸産のものは「下らないもの」や「地のもの」と呼ばれています。今日、ローカルな地域で生産されている酒を「地酒」と言うことがあります。元々は江戸産の酒という意味です。

 当時の酒は、現在と比べて、全般的に糖度が高く、甘ったるいものです。そんな中でも、上方の酒は、比較的辛口で、すっきりしていたため、地酒よりも尊ばれたのは当然です。

 江戸以前、米の総生産量の三分の一以上が酒類の製造に使われています。食べるより、飲む方がいいという気持ちはわからないでもありません。酒は儀式や宴会に欠かせません。

 なお、当時の宴会は政治的社交の場です。現在の知事に当たる受領が地方に赴任すると、地元の有力者が親睦を深めるために宴席を設けます。また、貴族や武士の位が上がると、それを知ってもらう目的で宴会を開きます。

 戦乱の世が終わった為、水田開発が急速に進み、米の生産量が増し、酒の製造も大規模化されます。それに伴い、関西の地元で消費されるだけでなく、関東にも売られるようになっていきます。酒だけでなく、酢や醤油が家内制ながらも量産されるようになったのは江戸時代に入ってからです。

 しかし、時が経つにつれ、江戸でも料理文化が発達していきます。そのうちに、「料理人を喰いに行く」などと口にする「通」を気どる食道楽者も現われ、グルメのガイド・ブックや格づけ本も盛んに出版されます。

 路上の煮売屋が近世中期に入ってから闊達し、「料理屋」となります。各料理屋も競って腕の立つ料理人を集め、さまざまな趣向を凝らし、名店との評判を得ようと躍起になります。19世紀初頭の文化・文政期(1804~30)に江戸の料理文化は最高潮に達するのです。

 その代表が浅草の「料理屋八百膳」です。お深厚が添えられた茶漬け一杯を頼んだら、1両2分請求されたという記録があります。現在の貨幣価値に換算すると、数万円です。

 1両で米2俵が買えたと言いますから、現在の米価で換算すると、およそ4万円になります。当時の通貨単位の両・分・朱は4進法です。4分で1両になりますから、1分はおよそ1万円に当たります。

 何しろ、富士山麓の清水で研いだ米、みりんで洗った大根、油紙の覆いを被せ、その中を火鉢で温めて栽培したナスを使っています。野菜をハウス栽培したり、魚や鳥も養殖したりして、旬の季節以外に出すというのは八尾膳の売り物です。また、八百膳は『料理通』という本を刊行し、これは江戸土産として珍重されています。

 その頃の様子は、サントリー美術館に所蔵されている『江戸高名会亭尽 八百膳の巻』で垣間見ることができます。そこでは料理だけでなく、内装や庭、景色も呼び物の一つだったことがうかがい知れます。

 けれども、江戸幕府と料理文化は、根本的に相容れません。料理文化は消費文化の隆盛と平行していますから、質素倹約とは相反します。「改革」が行われる度に、料理文化が衰え、終わると盛り返すことを繰り返しています。けれども、1841年に始まった天保の改革以後は、勢いを取り戻せず、衰退していきます。

 料理文化は商業と相性がよく、本質的に都市文化です。もちろん、都市で飽食の状態にありながらも、地方は飢餓に苦しんでいるという格差を政治家とすれば見過ごすわけにはいきません。けれども、料理をあまりに「物」として考えてばかりいては、味気ないものです。

 料理文化は食を唯物的にではなく、情報として捉えることで生まれます。情報ですから、手に入りにくいもの程ありがたがられますし、信頼性も重要になります。ガセネタをつかまされたタレコミ屋を相手にする刑事はいないでしょう。美食は審美的に味わうのではなく、情報を味わえることです。究極の料理に到達することを目指すのが美食家の目標ではないのです。

 腹をすかしている人には食はエネルギーの源である一方、美食家にはエントロピーと譬えることもできるでしょう。エントロピーが最初に用いられた熱力学では、温度が一定の場合、エネルギーとエントロピーを同じとして差し支えありません。

 しかし、現代は絶え間ない変化の世の中、つまり温度が一定していない社会です。グルメ情報も、当然、コロコロと変わります。もし『ミシュラン』の星を権威=エネルギーとして捉えるとしたら、客も店も時代離れしているだけです。変化を味わうのが、むしろ、料理文化にほかならないのです。
〈了〉
参照文献
原田信男、『日本の食文化』、放送大学教育振興会、2004年

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