ワンセグと災害(2011)
ワンセグと災害
Saven Satow
Mar. 21, 2011
震災後 「無事」の知らせの ありがたさ
佐藤清文
いるべき人がいるべきところにいて、あるべきものがあるべきところにあり、何事もなく毎日が繰り返される。それが壊されたとき、「無事」ということの幸せを改めて知る。けれども、3・11はそれを痛感するにはあまりにも大きすぎる。
宮城県の被災地の様子がNHKテレビにより伝えられた際、今まで見たことのない姿が映し出される。携帯電話や電子メールが事実上不通になっているにもかかわらず、ある男性が携帯端末を凝視している。その先にあったのはワンセグの映像である。
従来、災害時にラジオが頼みの綱になることが多かったが、今回、それにワンセグが加わっている。被災の中心地でもこのように活用されているのだから、東京など周辺地域でも推して知るべしだろう。
ワンセグは地上デジタル放送の一種であり、双方向メディアではなく、一方向である。これまでは、緊急事態用ツールと言うよりも、移動の合間に視聴するといった補助的な使われ方をしている。しかし、災害時に、強い見方になりうることが今回明らかになっている。この技術は国内のみならず、世界に貢献し得る。
ワンセグは、音声だけでは難しく、映像を用いた災害時の情報提供に力を発揮するだろう。テレビ・カメラが避難所の人々を映し出すことで、連絡がとれずにいる人たちの安否確認に貢献している。これなどは映像ならではの情報発信である。ワンセグがあれば、少なくとも、こうした安否確認が避難所同士でも可能になる。家族や親戚、友人が「無事」と知ったときの安堵感は言葉にならない。「無事」の回復のために、ワンセグはさらに生かされる必要がある。
〈了〉