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The Legend of 1919─有島武郎の『或る女』(7)(2004)

七 ローリング・トゥエンティーズ

 アメリカで、第一次世界大戦後の経済的繁栄の上に、消費的な都市文化、「ローリング・トゥエンティーズ」が開化する。「人々は生きるためにこの都会へ集まってくるらしい。しかし、僕は、むしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ」(ライナー・マリア・リルケ『マルテの手記』)。遅れてきた移民が増加した結果、アメリカがイギリス的ではなくなり、ピューリタニズムが攻撃の対象となる。

 一九二〇年から施行した禁酒法はピューリタニズムの成果であるが、その反ピューリタニズムによって大衆が形成される。彼らはブルジョアでも、プロレタリアートでもない。大量生産された商品を大量消費する存在である。一九世紀は神が死んだ時代だったが、二〇世紀に入ると、神の死は決定不能に陥る。大衆はすべてを商品として消費する。神さえも例外ではない。大衆は商業主義をもたらす。神を商品にするには、その生死が決定不能になっていなければならない。ブルジョアの時代は生産の倫理だったのに対し、大衆の時代は消費の倫理が支配的になる。消費を拡大するために、購買力を落とす失業が社会問題化する下地ができあがる。

 ジャズの中心地がニューオリンズからシカゴに移り、発明されたばかりのレコードがジャズを売り始め、ルイ・アームストロングによって、デキシーランドやホンキートンクからスイングになったジャズは最初の頂点を迎え、最初の大衆音楽となり、「ジャズ・エイジ」を二〇年代の別名にする。

 第一次世界大戦後からほぼ一九二九年の大恐慌までの時代において、旧制度は崩壊し、自動車から真空掃除機に至る都市生活の環境が揃い、新しい風俗や文化がつくられる。現在の都市生活のスタイルはこの時代を原形にしている。大型汽船や豪華列車、自動車、飛行機などの交通機関の発達も目覚ましく、観光旅行が盛んになる。一九二二年、ラジオの野球中継が始まり、電信に代わって、ベーブ・ルースの活躍は全米に伝えられる。“The Rolling 20’s Gathers the Masses”.

New York City you’re a woman
Cold-hearted bitch ought to be your name
Oh you ain't never loved nobody
Yet I’m drawn to you like a moth to flame
Oh I have suckled you in my sorrow
And I have sinned with you in my shame
But you ain't never even seen me
New York City, I’m tryin’ to beat your game

Oh and I rise up, Lord, and I fall down
It’s all in the merit of my ways
Don't you dare try & stop me now
I am settled right here in your haze
and I am stuck here now in the final phase

Now don't you send me to the country
Cause I ain't ready to concede
I will tell you when I’m ready
And I will call to you from down on my knees
Oh I might be standing but
I’ll be down on my knees

New York City you’re a woman
Cold-hearted bitch ought to be your name
Oh you ain't never loved nobody
Still I’m drawn to you like a moth to flame
And I guess that it’s silly
To think you’ll ever change

New York City
You're everything my heart & soul inside
New York City
Oh I’m stuck here - stuck inside of
New York City
I been with ya up & I been with ya down
New York City
I cant get myself outa this town
New York City
I feel it inside me every day of my life
New York City
I cant break loose - It’s all over me
New York City
You’re a part of my life in every which way
New York City
Everything I ever meant - everything I say
New York City
I cant break loose
(Al Kooper “New York City(You’re A Woman)”)

 ヨーロッパにおいても、パリやベルリン、ロンドンなどで都市文化が繁栄する。「レザネ・フォール」のパリには、ロシア革命によって亡命してきたロシア人と禁酒法から逃れてきたアメリカ人が溢れる。セルゲイ・ディアギレフのバレエ・リュッスはパリ・ファッション界に刺激を与え、アーネスト・ヘミングウェイやスコット・フィッツジェラルドなどのロスト・ジェネレーションの作家、ジョージ・ガーシュインやコール・ポーター、マン・レイといったパリのアメリカ人たちがヨーロッパにカクテルやジャズに代表されるアメリカ文化を持ちこんでいる。逆に、フランスで学んだ建築家たちはニューヨークやロサンゼルスに巨大なアール・デコ様式の摩天楼を建築する。また、「ゴルデネ・ツワンツィガー・ヤーレ」のベルリンでは夜の都市としてのベルリンを代表するキャバレー文化が栄え、演劇や映画、写真などの前衛的な芸術が次々に出現している。

 この一〇年は世界的な規模で各都市が同時代的に交流しあい、日本の都市も例外ではない。一九二二年に発表されたポール・モーランの『夜ひらく』を堀口大學がその年のうちに翻訳したことは、日本近代文学史上、画期的な出来事である。と言うのも、日本近代文学は明治維新以来、初めて、西洋との同時代性を獲得したからである。

八 日本の20年代

 ブルジョアの世紀においては、たとえ各地でブルジョア社会を形成していたとしても、それぞれお互いに同時代性を獲得できていない。だが、今や電話やラジオといった即時性の強いメディアの時代である。上海を通じて、日本にもジャズやバレエ、写真などが入ってくる。東京では、銀座や浅草を中心に新たな都市文化が登場し、ショーウィンドー、イルミネーション、エレベーター、デパート、アパート、映画館が都市の生活環境として整っていく。有島hs一九一八年に執筆した『生れ出づる悩み』において地方都市に漁業会社やデパートなどが進出し、独立系の小企業を浸蝕していく光景を描いている。

 一九二〇年一〇月、最初の国勢調査が実施され、都市の人口増加が統計的に示される。その実態に対応するために、ガラス戸に赤瓦屋根、応接間のある洋風な文化住宅が郊外に建築される。「人が群衆の中にいると喜びを感じるのは、人間が数の増大を好む神秘的なあらわれだ」(シャルル・ボードレール)。二二年三月に、平和記念東京博覧会が上野で開催され、場内の「文化村」に洋風住宅「文化住宅」を展示して人気を集め、会期中に、入場者一一〇三万人を数える。二五年に、ラジオ放送が試験的に開始し、翌年、NHKが設立される。同年、朝日新聞が訪欧飛行の計画を発表する。飛行機は冒険者の乗り物でしかなく、飛行船が空の交通機関を実感させている。二四年、全国中等学校野球大会が阪神甲子園球場で、二六年には、東京六大学野球が神宮球場で開催される。

 二五年、大日本雄弁会講談社が、「日本一面白くて為になる」雑誌界のキングを目指して、発行した大衆誌『キング』の創刊号は、七七万部を超える。これは当時としては信じられない発行部数であり、以後の大衆雑誌・少年少女雑誌流行のきっかけになっている。二六年から二七年の出版ブームにおいて、大衆に、円本や文庫本が、日本文学全集から世界文学全集、世界思想全集に渡って大量に読まれている。一部の特権的な教育を受けたもの、あるいは富裕な読者人階層以外には読むことができなかったものが誰でも読めるようになる。

 プロレタリア文学の読者層は労働者以上に、大衆である。大衆は同時代性によって構成された抽象的存在である。作家は彼らに向けて、映画や劇場、ラジオ、ジャズ、広告といった活字以外の領域の感覚を活字化する。文学者や知識人の課題は、どのような文脈にあったとしても、大衆の支持をいかに得るかということに要約される。「だから世論は、尊重にも、軽蔑にも値する。軽蔑に値するのは、その具体的な意識と外に現われた姿からみてのことであり、尊重に値するのは、その本質的基礎からみてのことである」(G・W・F・ヘーゲル『法の哲学』)。

 女性たちが社会に進出していくのもこの時代である。ショート・ヘアで、自動車を乗りまわし、煙草を吹かして、パーティーにあけくれるフラッパーが流行の最先端であり、彼女たちは婦人参政権を叫んでいる。ガブリエル・シャネルが働く女性のためのファッションを売り出し、『ヴォーグ』や『ハーパーズ・バザー』などのファッション誌によって、パリ・ファッションがアメリカ中に伝わる。毎年、新しい形が発表されるというファッション業界のスタイルも、このころに、確立されている。スポーツがブームで、テニスやゴルフ、水泳を女性も楽しむようになっている。それにともない、短くスポーティーな服がつくられ、時代のモードになる。

 第一次世界大戦を契機に、日本でも、女性が産業界に進出し、「職業婦人」が登場する。彼女たちは女教師やタイピスト、電話交換手、事務員の職に就き、経済的な地位向上を促す。横田順彌の『明治不可思議堂』によると、文明開化の時期でさえ、美人コンテストや女相撲、女性野球が行われていたが、本格的な大衆化社会に突入した二〇年代、女性が文化の重要な担い手になっていく。一九世紀が「国民」、すなわち成人男性の文化だとすれば、二〇世紀の文化は「女性」、すなわちマイノリティの文化である。

 「モガ」が時代に彩りをさらに添える。モダン・ガールという言葉を初めて用いたのは新居格であり、彼は、一九二五年四月の『モダン・ガールの輪郭』において、「社会婦人は建設的に団結するが、モダン・ガールは崩壊的に個人で行く。前者が論理的で後者は情熱的だ。既成の観念にたいして反逆的であるのは同様でありえても」と書いている。モガの理想は銀幕のスター、リリアン・ギッシュやメリー・ピックフォード、栗島すみ子、岡田嘉子である。「映画俳優というものは、原始部族の聖者のように、現代では観衆を囚にすることのできる神である」(アレキサンダー・チェイズ)。

 女性たちは美容に惹かれ、クラブ白粉や資生堂のコールド・クリーム、婦人雑誌に紹介された美容法が女性の関心の的となる。都市の新たな住人の増加により、家と家の縁組から個人と個人の結婚へと移り変わりつつあり、新たな夫婦生活に関するハウツー本が多く売れている。そのころの本は実用的ではなく、無害で、読んで損はないけれど、得もない。

 明治維新以降、新聞の発刊が相次ぎ、新聞こそ活字文化を担ってきたが、大正になると、雑誌の時代が到来する。現在のワイドショーも、スタート時、女性誌の誌面構成を参考に番組が制作されている。そういった日本の主婦向け雑誌の原型が一九一七年に創刊された『主婦之友』である。第一次世界大戦による好況を背景にして誕生した都市部の新興小市民家庭の主婦を対象に、料理や海外生活、小説、ルポルタージュなどが並んでいる。初版は二万部だったが、昭和前期には一八〇万部を発行している。ただし、主婦としてふさわしいメークが記載されている。メークが主婦としての女性の鋳型であって、個人としての女性へのステップではない。以降、二〇世紀文化は女性によって活性化する。

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