心中的鐘摆─「お祖父ちゃん、戦争の話を聞かせて」(6)(2018)
10 お祖父ちゃんの「部屋」
仏間の隣は、本当は、客間です。けれども、お祖父ちゃんが占領して、書斎代わりに使っています。お客さんが泊まったり、大広間にして使ったりする時、自室に一時転進します。
書類や本、新聞、雑誌が部屋のあちこちに積み上がっています。お祖父ちゃんは、字はものすごく上手いのですが、整理整頓がものすごく下手です。
こげ茶の低いテーブルの上に透明なプラスチックのマットが置いてあります。そこにグラフ雑誌から切り抜いた硫黄島の写真がはさんであります。みーちゃんは前にお父さんにこれが何か聞いたことがあります。お祖父ちゃんの弟が硫黄島で亡くなったからだと教えてくれます。学校の先生だったそうです。
床の間に、藤原八弥に描いてもらったお釈迦さまと弟子の掛け軸がかけてあります。その床の間の横の棚には、茨城のおばちゃんのお土産のピラニアの剥製や金閣寺の置物が飾ってあります。
客間もお線香の匂いがいつもします。お祖父ちゃんがタバコを吸わないからです。お酒もワインをたしなむ程度です。白ワインが好きで、赤ワインの時は砂糖を入れています。
お祖父ちゃんは、水島新司の『ドカベン』の岩鬼(いわき)に似ているとみーちゃんは思っています。ただ、学生帽の代りに頭はバーコードです。もちろん、葉っぱもくわえていません。これは中学や高校の野球マンガで、『週刊少年チャンピオン』に1972年から81年まで連載されています。みーちゃんのうちには中学の野球部時代の話が載った古い『チャンピオン』が3冊あります。でも、『ドカベン』は野球ばかりして汗臭そうだし、かっこいい人も出てこないので、みーちゃんはあまり読みません。でも、岩鬼はおもしろいから好きです。
お祖父ちゃんは身長160cmと自称しています。でも、それより低いとみーちゃんは見ています。ひどい猫背だからです。
──あ、いつもの鼻歌してる。いる、いる。
お祖父ちゃんは加山雄三のファンですが、時々、霧島昇の『胸の振子』を鼻歌で歌います。みーちゃんは歌詞ぉ知りませんが、前にお祖父ちゃんに「何の曲?」と聞いた時、そう教えてくれています。戦争が終わった頃の曲ばそうです。
お祖父ちゃんは、座椅子に座り、老眼鏡をかけて、『岩手日報』の夕刊を両手で広げて持ち、目を通しています。白いランニング姿です。
「お祖父ちゃん!」
お祖父ちゃんは顔を上げ、立っているみーちゃんを見ます。
「おお、学校がら帰って来たか」。
「お願いがあるんだ」。
「お願い?何だ?」
「戦争の話を聞かせて欲しいんだ」。
「戦争の話?」
「そう。学校の宿題なんだ。家族に、戦争の話を聞いてきてくださいって」。
「ほお」。
「それでね、来週の授業で発表しなきゃいけないんだ」。
「学校の授業で発表すんの?」
「うん」。
お祖父ちゃんは新聞をたたみながら、こう言います。
「そういうことか。うん。わかった。それで、いつの時から話せばいい?」
──へ?いつから?いつからって?どういう……
みーちゃんがきょとんとしていると、お祖父ちゃんはさらにこう続けます。
「お祖父ちゃんは、関東軍だったんで、ほぼ最初から最後まで戦をしてるんで、いつの頃からの話が聞きたいの?」
──「かんとうぐん」って?それってどういう……
みーちゃんは戸惑いながら、どこかで聞いたことがあるなと記憶を探し始めます。
──あ、確か、この間の法事の時に……
君のあかるい 笑顔浮べ
暗いこの世の つらさ忘れ
(坂本紀男『胸の振子』)
11 お祖父ちゃんは関東軍
みーちゃんは、ひいおじいちゃんの塔婆供養の時、すっかりメートルが上がった高橋さんがお父さんに話していたことを思い出します。『ドラえもん』ののび太が酔っ払ったらこんな感じなのかなとみーちゃんは思っています。
みーちゃんの地区では23回忌をしません。お互いさまの間柄で、毎年のように、あっちの家だこっちの家だと集まるのが大変だからです。その代わりに、塔婆供養をします。和尚さんを呼ばずに、家族や親せきだけで墓参りをして、お昼をみんなで頂きます。お茶やお酒を飲みながら、仕出し弁当や煮物に漬け物といった料理を食べるのです。
仏間と客間をつなげた大広間で、お父さんがお酒を注いで回っていると、高橋さんが「まず、いいがら、座れや」と呼びとめます。お父さんが隣に座って高橋さんのお猪口にお酒を注ぐと、キュッと飲んで、こう話し始めます。
「元気そうで、いがったな、おめさんもよ。いがった。あどあれだな、おたくのお父さんも元気そうだなや」。
「まんずおかげさまで」。
「元気そうで何よりだ。元気って言えばな、昔よ、おたくのお父さんがどうこうってわけじゃなくて、やっぱりなあ、関東軍の将校って聞いた瞬間に眼も合わせられなくなった。おっかなくてな。だってよ、皇軍の中で一番暴れた人たちの将校なんだからよ」。
お父さんは正座して軽くうなずきます。
「そんだったすか」。
「んだ、おっかねがった。すかも、最後まで生き残ったんだがら、歴戦の勇士だおなあ。位こばり高え、若え将校とは違うんだもの。ただ、あったにしゃべる人だとは思わねがったどもな。あれ?確か、戻って来てがら、役所にもいだことあったんでねがったか?」
高橋さんは首を下げたかと思うと、急に顎を上げたり、右手を上下に動かしたり、左手でお父さんを指さしたりとせわしなく話します。
「そんです。保障とかそういう関係でっす。恩給とか遺族年金とか軍人でねどわがんねごどもあったすからね」。
「んだじゃなあ。
「沖縄で人事功績恩賞班の室長だったそうです。歳が35だったですかね、ですから、内勤に回ってたんですね、あの時は。首里の軍令部には関東軍夜戦兵器廠に所属で、本部付で少尉」。
「ははー。んだがらが」。
「司令部がなぐなりましたから、米軍の猛攻で。結局、将校でしたから、機関銃隊の、もともとは。生き残った兵隊を集めて部隊を再編成して隊長になったそうです」。
「ほ~」。
「喜屋武から摩文仁への戦闘で小渡の陣地の時に、偵察に出たところで左足に迫撃砲で怪我したそうです。それが6月20日」。
「ありゃ?組織的戦闘が終わるのが6月26日でねがったが?」
「そんです。戦闘自体はその後も続いてましたが。まあ、自然洞窟に入ったそうです。兵隊や衛生兵の死体があって、たまたま、その人たちの持ってた米や薬を利用した損です。もしながったら死んでたと思います」。
「運いがったなー」。
「はい、そう思います。あとは、サンゴ礁の岩から湧き出す水を飲んでたそうです」。
「んでや?」
「8月20日に米軍に発見されたそうです。その時に戦争が終わってたことを知ったそうです」。
「しゃねがった?」
「はい。脱水と栄養失調、それに足の傷。膿が茶碗一杯くらい出てたそうです。米軍の赤十字に重度の障がい者として入院したそんです。昭和21年3月に野戦病院から収容所に移されたそうです」。
「で、その後戻って来て役所の仕事に就いて……」。
「は、公職追放でっすね」。
「んだもな~、まんず、関東軍の将校に公職に就いていて欲しいとは、GHQでねくともは、思わねおな~。民主日本にはお呼びでねおな~」。
高橋さんは声がどんどん大きくなるのですが、言葉の方はなかなか出てきません。
「ま、そんだすな」。
お父さんは淡々と話しています。
「あれ、確か、盛岡にも、その後、汽車さ乗って行ってねがったか?」
「ああ、くに子さんのことですね」。
「んだ、んだ、くに子さん、くに子さんだ。あの人の旦那がおたくのお父さんの部下だったのだっか?」
「私も、その辺は詳しぐはわがんねっすども、昔から軍隊でよく知ってらったごとはまず間違いねのっす。遺族に下りるはずのお金が下りねくって困ってらって聞いて、俺が掛け合ってやると言って、盛岡に何度か行ったのっす。戦後の混乱で、あちこちわげわがんなくなったわけですからね、役所の書類も燃やしてしまったりしたからなっす。うぢのは将校だったから事情を知ってるって訴えに行ったのっす、役所さね」。
「で、下りたんでねがったか?」
「はい、下りました」。
「んだ、んだ、くに子さん感謝してらったもな。しかも、あん時、おたくのは、お礼にと出されでも受けどらねがって話だったども……」。
「はあ、自腹だったようです」。
「やっぱす生き残った上官とすての責任感だったんだがな」。
「その辺は私にはわかりません。それよりは、まんずどうそ、もう一杯」。
「じゃあじゃじゃ、もさげね」。
お父さんは注ぎ終わると、「他さもご挨拶せねばねすから、これで。どんぞ遠慮なくやってくだせ」と言って立ち上がります。高橋さんは、「んだ、んだ、挨拶あるんだもな。とめで、もさげねがった」とうなだれます。でも、その直後、「茂雄!おー久すぶりー!こっちゃさこや!おめ、まだ結婚しねってが?」と茂雄さんに手招きをするのです。
煙草のけむりも もつれるおもい
胸の振子がつぶやく
やさしきその名
(井上陽水『胸の振子』)
12 戦争の話を始めるお祖父ちゃん
お祖父ちゃんは新聞をテーブルの上に置きながら、みーちゃんにこう尋ねます。
「じゃあ、最後の沖縄戦、沖縄の話にするかな。それでいいか?」
みーちゃんはお祖父ちゃんの隣の緑の座布団に座ります。
「うん、いいよ。でも、ちょっと待ってて。書く用意するから」。
みーちゃんはテーブルにノートと鉛筆、それに消しゴムを置きます。ノートを広げて、鉛筆を持ち、「いいよ、準備できた」と言います。
それを聞くと、お祖父ちゃんは老眼鏡を外してケースに入れてテーブルのスタンドの脇に置きます。座椅子に座り直し、姿勢を正して、おもむろに話し始めるのです。
「沖縄は……地獄だった……米軍の艦砲射撃、おっかながった~鼓膜破れんでねえがってくらいでっけ一音してな~地面に伏していても、ドーンと来ると体が浮き上がってな~腹の奥までずーんと響ぐおんんだ~おっかなくてよ~ションベもごしそうになった~それと、火炎放射器……おっかねがった……」。
柳につばめは あなたにわたし
胸の振子が鳴る鳴る
朝から今日も
(霧島昇『胸の振子』)
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