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ジョン・スチュアートとハリエット(4)(2005)

7  The Story Of My Life
 ジョン・スチュアートの提供してくれたアイデアには、当時としては卓見であったとしても、明らかに、今日の実情とあっていない点もある。人口の推移は、確かに、消費の動向を左右し、国家ならびに自治体の税収や産業構造を変化させるが、すべての政策決定の基準とすべきだというのはいささか強引であろう。けれども、労働者階級や女性への教育改革の必要性を説き、その上で、労働者階級は自発的に産児制限をするだろうという彼の楽観的な見通しは、教育水準の向上と共に少子化が進むという先進国の現状を言い当てている。

 また、晩年、ジョン・スチュアートは土地保有改革協会の運動を推進するが、彼が「改革(Reform)」の言葉を使うとき、それは野放図な資本主義的な自由化を意味するわけではない。近代以前のイングランドやウェールズには、「コモンズ(Commons)」と呼ばれる入会地があったけれども、それを一方的に囲いこんで資本主義が成長している。彼はこのコモンズの意義を解説し、その復活を夢見る。土地の国有化や農業の集団化を語りはしなかったが、社会主義者と非難されている。しかし、彼のコモンズの発想は、近年、ボーダーレス世界での共同性や環境問題対策として再考されている。

 ジェレミーは啓蒙主義の思想家たちと同じ世代に属しており、出版に頼ることなく、個人的な交際を通じて理論を普及・浸透させ、ミシェル・フーコーが『監獄の誕生』の中で明らかにしているように、一九世紀イギリスで実施された民法・刑法の行政改革は彼に影響を受けた弟子たちの手による。しかも、それは膨大な量の書簡やパンフレット、草稿などを閲覧し、トーリー主義からホイッグ主義まで含まれる矛盾する断片的な見解を自分の主張に応じて編集したにすぎず、ケインズ主義の萌芽さえ見られるジェレミーの意見は、彼のライフ・スタイル同様、時代の潮流に対してあまりにも進みすぎていたため、はるかに穏健なものになってしまったと言わざるを得ない。

 トーリー党もホイッグ党も具体的な歴史性を重視しながらも、コールリッジやヵーライルが代表である前者は直観による認識を主張する大陸的な演繹法を認めるのに対し、エドマンド・パークやトーマス・バビントン・マコーレーが支持する後者は直感的認識を否定し、経験に立脚する伝統的な帰納法の立場をとるが、ジェレミーは、確かに、知識は経験からつくられるけれども、人間性というものは不変であり、その前提に基づいて社会を再構成すべきだという抽象的で非歴史的な見解を訴えている。未来の哲学者の会議に参加するため、ほかの出席者たちへの失礼にあたらないようにと服を着て、杖を持ち、椅子に座った姿で自分自身の遺体をミイラ化させたジェレミーの「いかなる法律も自由の侵害である(Every law is an infraction of liberty)」というテーゼはヴィクトリア朝の紳士淑女にはとても同意できるものではない。時代から一歩だけ先にいれば、先見の明を褒め称えられるが、五歩も一〇歩も進んでいると、奇人変人扱いされてしまう。

 ジェレミーは、すべての個人行動が快楽と苦痛の量的比較に基づいており、それが「幸福の計算(Felicific calculus)」であり、これを使えば、あらゆる社会行動も個々人の総和として計算可能で、「最大多数の最大幸福(The greatest happiness of the greatest number)」という基準で理解できる「功利主義(Utilitarianism)」を提唱する。本来、人間は苦痛を避け、快楽を追及する存在であるけれども、行為の倫理的価値は超越的でも、恣意的でもなく、その結果が有用であったか否かで決まり、さらに、「最大多数の最大幸福」という社会の最終目的に沿って判定される。ジョン・スチュアートは、『功利主義(Utilitarianism)』(一八六一)の中で、「同じ量の幸福は、それが同じ人物に感じられようと、違う人々が感じようと、同じくらい望ましいものだ。(略)もし事前に想定すべき原理があるとしたら、これ以外にはあり得ない。つまり、算術が持つ真実性は、その他計測可能な主義主張すべてと同じく、幸福の評価にも適用できる」 と解説している。

 ジョン・スチュアートは功利主義の「快楽」が広い意味を含んでいると説得しつつ、しばしば、功利主義だけですべてが語りつくされるわけではないという常識的な意見も繰り返している。功利主義への短絡的な批判に対しては、それを擁護し、功利主義の盲信者には、その不完全性を告げる。「功利または幸福は、あまりにも複雑で不確定な目的であり、さまざまな二次的原理の媒介を借りなければ、決して狙うことができない」(『功利主義』)。俗流の功利主義はチャールズ・ディケンズの小説に登場する守銭奴に限らず、現代の新自由主義者にも見られ、依然として根強い。ジョン・スチュアートはすべての思想にも長所と短所があり、お互いに補うべきだとしてその調整役をかってでる。

 そもそも加減できるのは、単位の同じ物理量に限られる。一1ットル20℃の水と1リットルの15℃の水があったとして、それをあわせて2リットルの水であっても、35℃の水とは言えない。また、1mと1gを足せないように、単位の異なる物質を加減することはできない。

 快楽を人生の究極の目的と定めたのは功利主義が史上初ではなく、このイギリスの思想は伝統的な快楽主義の系譜上にある。デモクリトスは、古代ギリシアの自然哲学者にとっての最大の問題、すなわちアルケーをアトムと答え、われわれの考えるべきことは道徳の問題であって、それは「愉快」に集約されると態度の変更を行っている。彼の後継者エピクロスも、この説に則り、人生の目的は幸福であり、快楽が最高善であると主張している。デモクリトスとエピクロスは完全に同じ理論を語ったわけではなく、両者はいくつかの点で異なっており、最も有名なのは若きカール・マルクスが論じたアトムの運動をめぐる問題である。ジェレミーとジョン・スチュアートの差異はデモクリトスとエピクロスのそれに似ている。功利主義は近代のアトム論・快楽主義である。

 功利の計算は、満足のいく計算結果を導き出せた者がいまだに登場していないせいもあって、発表された当時でも、現代でも、倫理学者から嘲笑を浴びせられ続けている悪名高きものであるが、これは法曹関係者には歓迎され、今日、司法は「公共の福祉(Public welfare)」を「最大多数の最大幸福」から判断し、民事・刑事を問わず、裁判の基礎に位置づけている。謝りたくない者を強制的に謝罪させることはできない以上、その代わりに、被った苦痛・損害に対する賠償請求の訴訟を起こす場合、それは幸福の計算に従っている。また、「最大多数の最大幸福」は、一定年齢に達したすべての国民に選挙権が与えられ、多数の得票を得た候補者が当選し、議会で多数派が政権を担うという議会制民主主義の正当性と普通選挙権の実現にも影響を与えている、

 エドムント・フッサールが『ヨーロッパ諸学の危機と現象学的還元』の中で明確化している通り、ガリレオ・ガリレイの測量術以来、歴史は世界を数量的に把握する傾向もなってきたが、ジェレミーの功利主義もこの延長線上にあり、少数派が体制を牛耳り、多数派を支配する状態に異議を提起している。彼は、同じ単位の物理量以外は加減できないという前提に従い、社会の基本単位を平等で均質な一人の個人に置き、その総和を重視したため、すでにかなり発達した資本主義体制下、富が集中するよりも、平等に分配されるほうが社会全体の幸福の量は増大すると考え、普通選挙制度を主張する。

 ジェレミーの快楽に関する自然科学的解釈はジョン・スチュアートにも引き継がれるが、彼の最も知られた「満足した豚よりも不満足な人間である方が、また満足した愚か者よりも不満足なソクラテスである方がよい(It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied, better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.)」という『功利主義』第二章の一節が要約している通り、それを質的に変換させる。「自由競争も、本当に自由にすれば競争のしようがない。違うものの間で、例えば八百屋さんと魚屋さんが競争したってしようがない。囲碁の名人と将棋の名人とどっちが強いかといっても意味がない」(森毅『本質的なものほど計りにくいものだ』)。

Someday I'm going to write
The story of my life
I'll tell about the night we met
And how my heart can't forget
The way you smiled at me

I want the world to know
The story of my life
About the night your lips met mine
And that first exciting time
I held you close to me

The sorrow in our love was breakin' up
The mem’ry of a broken heart
But later on, the joy of makin' up
Never never more to part

There's one thing left to do
Before my story's through
I've got to take you for my wife
So the story of my life
Can start and end with you

The sorrow in our love was breakin' up
The mem'ry of a broken heart
But later on, the joy of makin' up
Never never more to part

There's one thing left to do
Before my story's through
I've got to take you for my wife
So the story of my life
Can start and end
Can start and end
Can start and end with you
(Hal David & Burt Bacharach “The Story Of My Life”)

 ジェレミーが線形の功利主義だったとすれば、ジョン・スチュアートは非線形の功利主義である。しかし、線形を見捨てたわけではなく、涼やかな情熱に彩られた禁欲的快楽主義とも言うべき姿勢で彼は線形と非線形の相互補完を模索する。ジョン・スチュアートは、選挙制度においては、ジェレミーの功利主義を原理主義的に推し進め、成人男性に限定する普通選挙法ではなく、女性にも参政権を拡大すべきだと提案する。下院議員だった一八六七年の選挙法改正案の提出にあたって、その中の”man”を”person”に改める修正案を提出している。

 選挙はどのようにしても線形的であることを免れず、その意味で、近代の制度であるが、彼は質、すなわち非線形性を導入しようと試みる。『代議制論(Considerations on Representative Government)』(一八六一)では、近代的な平等を実現すると同時に、質的な差異を反映させるため、比例代表制と複数投票制を支持している。これなら少数意見を組み入れられ、無批判的な多数派の形成も抑制できる。民主主義の量的拡大は当然であるとしても、質的拡充を図らなければ、近代の僭主政治が生まれるだけである。

 ジョン・スチュアートは多数派の暴走に警戒感を解くことはなく、自由と平等もその心配から考察する。自由と平等は広義の功利には含まれ、しばしば相容れないが、彼はそれを調整するのが道徳であり、道徳は知的なものと規定する。アレクシス・ド・トクヴィルは、『アメリカのデモクラシー』の中で、身分制が希薄なアメリカでは、平等の達成を民主主義的目標と考えられているヨーロッパと違い、自由の実現がそうだと信じられていると報告している。ジョン・スチュアートは、そこで、アメリカ型とヨーロッパ型の民主主義的理念の調整を試みる。

 彼の『経済学原理』もこの認識を踏襲し、「生産の増加がいまだに重要な問題であるのは、世界の未開国だけに限られる。最も進歩した国々では、経済上要求されるものは、よりよい分配であって、そのために欠くことのできない手段の一つは、人口の増加に対する厳格な制限である」と言っている。分配が産児制限と結びついている論理は、現代の先進国の現状を照らし合わせると、奇妙であるけれども、これには経済学に暗澹たる趣を持ちこんだロバート・マルサスの『人口論』の影響がある。

 この一九世紀中最も有名な社会科学者は、それまで経済学がいかにして豊かになるかという明るい未来像を描いてきたのに対し、アイロニーを用いて、このままでいくと、人口過剰により、資本主義体制は破滅すると黙示録的な警告を発している。古典派経済学は自由を経済活動の自由、すなわち生産に限定して考えていたが、ジョン・スチュアートは彼の生きていた時代・社会においては「よりよい分配」、すなわち平等こそが重要なトピックであり、権力からの自由という政治的自由に加え、社会の多数派の横暴からの自由である社会的自由を実現しなければならないと主張する。こうした発想は現在では全体主義の経験から常識化しているけれども、近代以前の人々も抱いている。

 古代のユダヤ人は、議会であると同時に宗教裁判でもあるサンヘドリンにおいて、満場一致の決議を無効としている。さまざまな背景を持った人が集まっているのに、全会一致になるのは、一時の感情あるいはその場の雰囲気に流されたか、買収されたか以外にありえない。全知全能の神ならいざ知らず、人間が絶対ではないからである。少数意見は、そのため、尊重されなければならない。

 ジョン・スチュアートは、ジェレミーの量の功利主義を修正し、質の重要性を付け加えているが、この量から質への発展は現代においてもよく見られる。公開を前提にした活動は、信頼性を上げ、定着化させるために、まず、数量化を図り、その後、質の重視へと転換する。けれども、その質も数量によって表現しなければならないというアポリアに陥ってしまう。数量化は主観性が入りこみにくく、標準的な人たちにとって、判断の基準になりやすいが、異なった背景・関心を持つ個々人にはそれでは計れない。

 サイバー・スペースには、全人類の人口に匹敵する数のホーム・ページがあると推測され、その中から、必要に応じたサイトをダウンロードするには、検索エンジンが欠かせない。ラリー・ページとセルゲイ・ブリンが人類の英知に寄与したいという高尚な理想から始めたグーグルもその典型である。ラリーの発案によって生まれたページ・ランクは当初人気投票にすぎなかったけれども、グーグルボットを通じて収集されたサイトからリンク数やキーワードの量などによって優先順位が表われるようにしている。ところが、ページ・ランク上位に載るために、開設者や業者たちは架空のサイトとのリンクを多く貼ったり、ページ内のボキャブラリーを貧弱にして、予想されるキーワードを多用したりする辞退が頻発し、二〇〇三年、グーグルは「フロリダ」と呼ばれるアルゴリズムによって大幅な改善を行っている。しかし、プログラムいくら修正しても、やはりこうした操作は完全には消えないのであって、最終的には、サイトの質は利用者が判断するほかない。だいたい、ソースが何らかの形で外部にわかられてしまったら、グーグルの信用は失墜し、ランク上位に掲載されるメリットはなくなってしまうというジレンマがある。また、グーグルがカバーしていないウェブは存在しないも同様と見なされるとしたら、それは全体主義的であり、少数意見の排除につながりかねない。質の問題は主観性に委ねられるが、それは非均質的な非線形の領域であり、質の功利主義は近代の思考の枠組みに再検討を促す。

 ある国民は、ある一定の期間中進歩するが、そののち、進歩がとまってしまうように思われる。いつ進歩がとまるのであろうか。その国民が個性をもたなくたるときである。もし万一、同じような変化がヨーロッパの諸国民を襲うとしても、それはまったく同じ形においてではないだろう。これらヨーロッパの諸国民がおびやかされている習慣の専制は、まったく不動不変のものではない。それは、特異性は排斥するが、すべてが同時に変化するかぎり、変化を排除しはしない。われわれは、われわれの祖先の固定した服装をすててきた。もちろん今日でも、すべての人は他の人々と同じように装わなければならないが、流行は年に一、二度は変わるであろう。こうしてわれわれは、変化があれば、それは変化のための変化であって、それが美や便利についてのいかなる考えから生じたものともならないように配慮する。なぜなら、美や便利についての同一の考えが、同一の瞬間に全世界の人々に思い浮かぶことはないだろうし、また他の瞬間に、全世界の人々によって同時に捨てられることもないだろうからである。
 しかしわれわれは、変化的であると同時に進歩的である。われわれは、機械的なものごとにおいてたえず新しい発明をし、そしてそれを保持するが、それらもまた、やがて、よりよいものによってとってかわられてゆく。われわれは、政治や教育の改善、さらに道徳の改善にさえ熱心である。もっとも、この最後の道徳の場合、われわれの考える改善は、主として、他人にわれわれ自身と同じように善良であれと説得あるいは強制することにあるのだが。われわれが反対するのは、進歩に対してではない。それどころか、われわれは、われわれこそがこれまででいちばん進歩的な国民だ、とうぬぼれている。われわれが戦いを挑むのは、個性に対してである。われわれは、もしわれわれ自身をみな一様にすることができたとすれば、奇蹟をなしとげたのだと考えるにちがいない。その際、われわれは次のことを忘れているのである。すなわち、一般に、ある一人の人間が別の一人に似ていないということこそが、その両者のどちらにも、彼自身の型の不完全さや相手方の優越性に対して、あるいは、両者の長所を結合させることにより、そのいずれよりもすぐれたものを生みだす可能に対して、注意を向けさせる第一のものなのだ、ということを。
(『自由論』)

 ジョン・スチュアートが少数意見の尊重を主張したのは、歴史的に民主主義は量的ではなく、質的であったからである。古典時代のアテナイにおいて、選挙は金持ちや有名人に悠里であるため、貴族制に属し、民主制を意味するのはくじ引きで短期間公職を務める市民を選ぶ輪番制である。また、近代の議会は、ヨーロッパ中世の身分制議会に起源を持っており、国王権力の抑制の機能を果たしている。選挙を民主主義の制度としているのは近代の信念にすぎない。

 産業革命が産業組織を急激に改編し、資本主義体制が確立される中、ブルジョアジーとプロレタリアートの階級対立が激化する。労働運動と自然発生的な社会主義思想は未熟だったが、労働者の普通選挙権獲得運動、いわゆるチャーチスト運動も合流し、政治的・社会的な変革、すなわち意思決定過程の改定と人民のエンパワーメント(Empowerment)への動きが高揚する。こうした変動の時代において、ジョン・スチュアートはたんに進行する社会の変化を帰納法的に追認するだけでも、あるべき世界を演繹法的に提示するのでもなく、自然科学に立脚して、社会的事象の解釈と理論的な方法論の統合を目指している。帰納法と演繹法は相互に補足しあうべきであり、経験や観察から得られた帰納法的知識は演繹的な原理によって論証されなければならない。

 ジョン・スチュアートは変化と分裂の統合を試みても、ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリヒ・へーゲルのような弁証法を用いることなく、『自由論(On Liberty)』(一八五九)の中で、中国について次のように述べている。

 われわれは、中国に一つの警告的事例をみる。それは、次のような、まれにみる幸運のおかげで、豊かな才能と、いくつかの点では知恵さえ富む国民である。この国民は、もっと進歩したヨーロッパ人でさえ、ある限定下では賢者や哲学者の名を献ぜざるをえないような人々によって、ある程度つくられた、一連の非常にすぐれた習慣を初期の時代に恵まれていたのである。また、彼ら中国人は、その所有する最善の知恵を、社会のあらゆる人人の心に可能なかぎり印象づけ、その知恵のもっとも多くを自分のものとした人々に、名誉と権勢の地位につくことを保証するという、制度の優秀さという点でも注目に値する。
 確かに、このことを成就した国民は、人類の進歩の秘密を発見したのであり、したがって、たえず世界の動きの先頭の位置を保持しえたはずの人々であった。だが事実は、その反対に、彼らは停滞してしまった──幾千年もの間、停滞を続けているのである。もし、彼らがさらに改善されることがあるとすれば、それは外国人たちによってなされるに違いない。彼らは、イギリスの博愛主義者たちがあれほど熱心に奮闘していることに──すなわち国民をすべて一様にし、すべての人が自己の思想と行動を同一の格言や規則によって支配するようにすることに──、あらゆる希望をうわまわる成功をおさめたのである。そして、その結果は今述べた通りである。
 世論という現代の統治制度は、中国の教育および政治制度が組織的な形態でしていることを、非組織的な形態で行なっているものにほかならない。したがって、個性がこのくびきに対抗して、自己を主張することに成功できなければ、ヨーロッパは、その高貴な祖先とその自認しているキリスト教にもかかわらず、第二の中国への方向をたどるであろう。

 この中国は歴史的発展過程の最初の段階ではなく、一つの表象であり、一つの寓話である。中国人たちは、いくつかの点で、ヨーロッパ人をはるかに凌駕しているが、「世論」を形成するような制度を導入しなかったため、「停滞」に陥っているが、そう見下しているイギリスにもそうなりかねない徴候がある。歴史は決して線的ではない。ジョン・スチュアートは、中国を通じて、イギリスを批判しているのであって、胡坐をかくことなく、政治制度を革新する必要性を告げている。イギリスは進歩の最終段階ではない。



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