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捕物帳と政談(2)(2023)

2 捕物帳と『半七捕物帳』
 捕物長は時代小説の一ジャンルで、近世社会を舞台にしたミステリーである。主人公は町奉行や与力、同心、目明しが一般的であるが、他のミステリー同様、拡張の傾向がある。作品の魅力は謎解きのみならず、近世の時代的・社会的気分の描写にもある。エンターテインメント性が強く、シリーズ化や映像化されることもしばしばである。代表的作品としては岡本綺堂《きどう》の『半七捕物帳』や佐々木味津三《みつぞう》の『右門《うもん》捕物帳』、野村胡堂《こどう》の『銭形平次捕物控』、横溝正史の『人形佐七捕物帳』、池波正太郎の『鬼平犯科帳』、久生十蘭《ひさおじゅうらん》の『顎《あご》十郎捕物帳』、城昌幸《じょうまさゆき》の『若さま侍捕物手帖』などがある。なお、捕物長の本来の意味は、江戸時代の奉行所における罪人と罪状を書き記した帳簿である。

 捕物長の起源は岡本綺堂の『半七捕物帳』である。彼は、1917年、シャーロック・ホームズに影響を受け、この小説を『文芸俱楽部』において発表している。同誌を中心にシリーズ化、1924年から27年までは主に『講談倶楽部』で連載されている。68作がはっぴょうされ、いずれも短編である。

 1917年は第一次世界大戦中で、ロシア革命が起きている。欧州では近代文明に対する懐疑も生じていたが、日本は戦争特需による大戦景気の真っただ中である。1920年代に入ると、その反動やワシントン体制の軍縮により景気が悪化するものの、大衆文化が花開き、関東大震災後には空前の出版ブームが起きている。『半七捕物帳』が人気を博したのはそういう時代である。

 作品設定は回想録である。主人公はかつて江戸の岡っ引(目明し)として、化政期から幕末期に数多くの難事件・珍事件の探索に携わった半七老人である。明治時代に新聞記者の「わたし」がその彼の元に訪れ、茶飲み話ついでに手柄話や失敗談を聞く。すべての事件は捕物長に記録された過去に起きたもので、タイトルはそれを踏まえている。

 この設定は非常に巧みである。岡本綺堂は1872年(明治5年)の生まれで、江戸時代を実体験したことはない。けれども、彼は旧幕臣の家で育ち、江戸後期の主に武士の認知行動に触れ、当時の話も上の世代から聞いている。言わば、作者自身が「わたし」である。

 ミステリーは刑事事件を扱い、その謎解きなので、問題解決である。この問題は犯罪であり、真相解明が解決だ。それは具体的で、形式が明確である。だから、ミステリーには原則とも言うべき共通理解がある。その一つが読者の想像力の常識的範囲内に作品の時空間をとどめることがある。ミステリーには謎解きの楽しみがある。読者も登場人物と同じように動機やトリック、犯人を推理している。それらを解く材料が読者の常識的な想像力の範囲を超えていたら、作品に入りこめない。

 推理には想像力を働かせるための経験的知識が要る。推理小説が概して土地との結びつきが強いのもそうした要請による。イギリスの作家が英語でミステリーを書く場合、読者を英国の住民に想定する。その作品の読者層にとって実体験や伝聞でイメージできる土地が登場する。

 ミステリーは読者に実際と想像という二つの現実を用意する。ホームズの相棒であるワトソン博士はアフガニスタンから帰国し、ロンドンで彼と邂逅をする設定である。当時の読書人にとってロンドンは実際の現実である。一方、アフガニスタンは英国が戦争をしている地域である。新聞がアフガン情勢を報道しており、読書人もそこから得た情報を元に想像を膨らませている。アフガニスタンは想像的現実である。

 かりにワトソン博士が日本から帰国したとしよう。戦争をしているわけではないので、新聞報道も限られている。読書人にとって日本は異国以上のイメージが思い浮かばない。想像上の現実でもない土地を文学作品に登場させても、読者にはピンとこない。読者の常識的な想像力の範囲を考えれば、アフガニスタンがほどよい外国である。

 英国のミステリーに植民地からやってきた人物が登場する。植民地に関する情報は報道や口コミで読者も得ている。そこは英国の読者にとって想像上の現実である。このように、ミステリーは読者の想像力を押し広げようとするSFやファンタジーと前提が違う。

 大正の読者にとって、江戸はほどよい時間的距離がある。震災前の東京にも大江戸八百八町の名残が認められる。『半七捕物帳』はこのジャンルにおいて最も江戸の気分を体現した作品であるのは、伝聞に理由がある。実体験した人から江戸の話を聞く場合、自分の想像力ではイメージできない個所を質問して明確化しようとするものだ。また、かつての社会の気分はあまりにも自明なので、文献に記録されることはなかなかない。こういった漠として物事は生きた図書館から聞き出すほかない。

 しかも、「わたし」はジャーナリストである。事実を伝えるのが仕事であり、誇張を避ける必要がある。伝聞を事実として記すなら、その文体に過度な装飾を施してはならない。『半七捕物帳』の文体が禁欲的なのはそのためだ。

 江戸の制度を承知していた岡本綺堂が岡っ引きを主人公にしたのは英国ミステリーの傑作に倣ってのことだろう。岡っ引きは正規の公務員ではなく、後に述べる通り、同心に私費で雇われた捜査協力者である。それはホームズの立場である私立探偵と重なる。彼から話を聞いて文章化する「私」はワトソンである。

 岡本綺堂はミステリーが近代社会を前提にしていることを理解し、それを江戸に移植するために工夫している。ホームズ・シリーズの枠組みを拝借して、江戸をめぐる探偵小説の世界を構想している。ただ、『半七捕物帳』は、手本と比べて、謎解きが不十分な作品も少なくない。しかし、それはミステリーとして不完全という意味ではない。むしろ、江戸時代を舞台にすることはやはり難しいと吐露しているように見える。捕物帳が自明になったのちの作家には見失われたミステリーの近代性の認識がそこにはある。

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