政治主導(2012)
政治主導
Saven Satow
Apr. 11, 2012
「羊の毛を刈りに行って、自分が刈られて戻ってくる」。
ミゲール・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ』
90年代以降の国政において最も唱えられているスローガンの一つとして「政治主導」が挙げられる。それは、従来は官が主導で意思決定をしてきたが、政が中心となるべきだと一般的には流布している。
しかし、これでは事実に反してしまう。55年体制下、自民党の族議員が意思決定の際に、大きな影響力を及ぼしている。
この政治主導は、霞が関のみならず、こうした族議員も抑えこむことを含むと考えるべきだろう。それは、こういった勢力の動向に振り回されず、内閣が主導して意思決定をする政治を指している。だから、政治主導とは官邸主導のことである。
政治主導を実践したのは、民社国連立政権ではなく、小泉純一郎内閣の誕生からである。それは小泉首相のリーダーシップは言うまでもないが、2001年に発足した内閣府の力が大きい。この組織は強力な権限を有し、重要政策に関する企画立案・総合調整を行う。その際、省庁の管轄にとらわれない。
小泉首相は、こうした制度変更を背景に、内閣と党や霞が関の関係を再構築する。族議員の意向を無視し、党は国会での内閣のサポートに位置付けられる。また、自らの政策を実施しやすいように、従来の霞が関の秩序を解体する。ただ、それは機能を奪ったのではなく、その勢力地図を塗り替えたというのが正確なところである。経済官僚が伸長し、厚生や労働、教育、郵政などが抑制される。
政治主導では問題の提起が重要である。世論に問題を提起し、支持が高ければ、それを根拠に党や霞が関を抑える。世論の動向を見定めて、タイミングを計り、わかりやすい表現で、新たな将来像に基づいた問題を問う。内閣が政策を実施するには、世論の支持が不可欠である。それには、こうした構想力に立脚したメッセージがそのマッサージとなる。
政治指導は2000年代を通じた国政の潮流である。これは、自公連立政権だろうと、民(社)国連立政権だろうと、共通している。
政治主導を最も推し進めようとしたのは、鳩山由紀夫内閣だろう。党政調は廃止、政策決定は政務三役だけで行い、事務次官を排除している。その行きづまりの後に誕生した次の菅直人内閣は、多数の有識者会議の設置が告げているように、政治主導を堅持しつつ、この路線を若干修正している。党政調が復活し、事務次官も政策決定に参加するようになる。
実は、鳩山政権も、完全に官僚を排除していたわけではない。財務省と連携している。これは事業仕分けからも明らかだが、12年4月5日付『朝日新聞』の「民主党政権 失敗の本質」で詳しく記されている。財務省は予算編成権を握っているのだから、それで歳出カットし、他省庁を抑え込んでくれると期待したわけだ。けれども、これは明らかな判断ミスである。財務省の体質を理解しているならば、このような考えを持てるはずがない。
財務省の体質を経済産業省との比較で見てみよう。
経済産業省は、通産省時代の1960年代の貿易・資本の自由化により、多くの許認可権限を失う。彼らが存在感を維持するために、「霞が関のシンクタンク」へと転身する。他省庁の管轄を含むありとあらゆる領域に関心を寄せ、新たな問題設定を行い、広く社会にそれを提言する。彼らは、永田町もさることながら、世論や社会の動向にも敏感である。
一方、財務省は他省庁の要求を受動的に審査し、予算編成するのが主な仕事である。彼らは、予算編成を通じた政策間の調整として自らの方針を示す。そのため、隠密行動をとり、政権中枢と連携することに専心、自分たちの主張は首相を含む政治家に代弁させる。積極的に問題提起しないので、国民世論委は鈍感である。
こういう体質の財務省の力を借りれば、からめ捕られるのは目に見えている。新たな時代に向けた構想力もない財務省を突出させては、政官関係や霞が関秩序の反動化を招く危険性もある。各省庁の体質を前もって分析できていれば、こうした判断ミスもしなかっただろう。
2011年に発足した現内閣はこの財務省の傀儡と呼んでよく、政治主導を放棄している。近年、これほど財務省の体質を具現化した首相もいない。消費税増税を唱えながら、見込みの甘い公共事業には大盤振る舞いの既得権益拡大のオンパレードである。溝撃鵜の被害がいまだに続き、新たな社会を構築していかなければいけない3・11以後の日本に最もふさわしくないタイプの首相だ。国債の格付けが下がるから消費税増税だ、あるいは電力不足になるから原発再稼働だという現首相の言動は極めて受動的で、3・11後の日本社会に関するヴィジョンがない。この内閣の下、変更された霞が関の勢力地図もより戻されている。現政権は森嘉朗内閣までの政治のゾンビである。
政治主導にはいくつかの問題点が認められる。中長期的なヴィジョンが必要な課題までも、短期的に考えられてしまう。また、首相が交代すると政治課題や意思決定方法が変更される。それによって疑似政権交代の印象を有権者に与えられたが、政策の継続性の点で政治主導にはやはり限界がある。
それ以上に根本的なのは、政治主導が内閣の強さに依存する点である。いかに内閣府を持っていたとしても、政治主導をするには、その内閣の基盤が強固でなければならない。選挙の顔として勝利したリーダーが首班指名を受け、その人物が率いる内閣への支持率も高い。こうした内閣には、党や霞が関も干渉しにくい。この条件に適合するのは小泉政権と発足直後の鳩山政権だけである。他方、党内選挙だけで選ばれた首相は、政治力学を無視できないので、弱く、政治主導を発揮できない。
政治主導は、市民社会の組織化が進んでおらず、無党派層が最大の有権者層である状況から生まれた発想である。阪神・淡路大震災をきっかけに、市民の政治参加への意識が高まっている。けれども、業界や団体、組合などの組織政治が染みついた政党は、選挙の際、十分に集票機能を発揮できない。次世代の政治指導者のリクルート・育成システムも整備されておらず、松下政経塾出身者が政界に進出する余地を与えるが、彼らは教養主義を欠いた独善的エリート主義者で、市民政治には背を向ける。風に乗り、個人的人気を党への票へと導く「選挙の顔」が勝敗を決する。政治主導はこうした状況の産物である。
市民社会の組織化が促進されたなら、国政は新たな段階へと進む期待がある。民主党は、市民社会の組織化に寄与できる可能性を持っていたが、自民党の亜流でしかないゾンビ政権を誕生させて期待外れに終わる。さまざまな課題に関する情報を率直に公開し、市民と共に熟議を行い、意思決定を図る。政治主導からそうした熟議の参加型政治への発展は、民主党は口では言っていたのだが、今回の政権交代からは実現していない。民主党は、政治主導の内閣府に相当する制度を熟議の政治では生み出していない。それではできっこない。
政治主導は首相のリーダーシップの強さに依存する。それは独裁の危険性をはらんでいることを意味する。官邸の権力を霞が関や党が抑制できる制度が弱くなっている。また、社会の組織化が不十分だから、市民の政治参加の機会が制限されている。市民による官邸権力の暴走を抑止することも難しい。小泉首相の乱暴な権力行使にそうしたブレーキの弱さの危険性が伺える。リーダーシップの強調は独裁を許すのであり、コンセンサスの政治の意義を再認識すべきだ。官邸主導は弊害が多すぎる。
政治主導の季節は国政では終わったと見るべきだろう。けれども、財務省の傀儡政権が世論の熱い思いを下げ続けているように、過去に戻っても先はない。熟議の政治は相互作用の政治であり、相互作用性が次の政治のあり方のキーになる。
〈了〉
参照文献
真渕勝、『改訂版現代行政分析』、放送大学教育振興会、2008年
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