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傷ついた果実たち─寺山修司の抒情詩(2)(2002)

2 虚と実
 三浦雅士は、『鏡のなかの言葉』において、寺山のジャンル変遷について次のように述べている。

 あらためて述べるまでもなく、寺山修司は、『田園に死す』において、自身の俳句をそれまでとはまったく異なった世界を暗示するものとして読み変えることに成功したのである。(略)かつて『初期歌篇』そのほかで試みられたことが「実」の方向に読み変えることであったとすれば、それは「虚」の方向に読み変えることであった。『初期歌篇』が自身の俳句を内面的に深める試みであったとすれば、『田園に死す』は逆に表面的に広げる試みであった。すなわち、一方は深層へと向かい、他方は表層へと向かっているのである。そして初期の俳句作品は、あたかも鏡のように『初期歌篇』と『田園に死す』との間に屹立しているのである。
 寺山修司は無意識のうちに初期の俳句作品を模倣したのではない。まさに意図的に読み変えたのであり、そのことは、たとえば映画『田園に死す』がこのような方法そのものを作品化したものであることひとつとってみても明らかである。映画『田園に死す』は、まさに中央で断ち切られるように反転し、「実」に対する「虚」の世界を、あるいは「虚」に対する「実」の世界を映し出してゆく。言葉を読み変えることは自分という物語を読み変えることにほかならない。母ひとり子ひとりという物語を読み変えることにほかならないのである。寺山修司は読み変えるということがどのようなことであるか映画のなかに鮮烈に定着してみせたのである。映画『田園に死す』は正しく『田園に死す』と名付けられねばならなかったのだ。

 倒錯性への遺志から始めた短歌であったものの、寺山修司の「歌のわかれ」は、俳句に比べて、短歌がリズミカルの点で劣るからであろう。意味ではなく、リズムを重視する姿勢が寺山修司の「実」に対する「虚」の転倒というこれまでの言説を構成させている。寺山修司は「実」と「虚」という二項対立の反転を映画『田園に死す』で試みたのではなく、決定不能を提示している。「自分の考えが変わったのか、それとも最初から嘘をついていたのか、それすらもはっきりしないんです。みんながぼくの言うことをあれこれ真面目にとりあげてるけど、あんなもの大して意味もないのになとぼくは思うんです」(デヴィッド・ボウイ)。

 確かに、「実」は権威の論理であり、「実」の要請は既存の体制の維持として機能する以上、それは反文化的な権威であり、文化を窒息死させる。「私は再創造的行為が創造的行為と本質的に異なるとは絶対に考えません」(グレン・グールド『グレン・グールド ピアノを語る』)。『うそだうそだうそなんだ』という詩において「実」への固執を書く谷川俊太郎と違い、寺山修司には、言うまでもなく、「実」への信仰はない。「実」はある体制を安定させ、そこの特権階級を生み出す。寺山修司はクエンティン・タランティーノやティム・バートン、ロバート・ロドリゲスのようなB級的なエッセンスを持ったおオルタナティヴである。そのため、彼の短歌が「金貨」にも「贋金」にも見えたのである。

 森毅は、『B級文化のすすめ』において、「ホンモノというのは公認の価値を志向しているだけで、新しい文化価値を生みだすのは、A級よりもかえってB級のような気がするのだ」として、次のように述べている。

 考えてみれば、ぼくが子供のころに育った、戦前の宝塚文化なんてのは、レビューやショーは、フランスやアメリカのマガイモノだった。エノケンがジャズを歌った、戦前の浅草文科だってマガイモノだった。
 むしろ、マガイモノであるからこそ、そこに一つの世界を作って、文化となりえたのだろう。それが、カーネギー・ホールまで行ってしまったら、ホンモノ志向がすぎる。
 ぼくの好みをさしひいて、なるべく文化論的に見たいのだが、ホンモノというものは公認の価値を志向しているだけで、新しい文化価値を生み出すのは、A級よりもかえってB級文化のような気がするのだ。

 形をA級にしたところで、せいぜいが既成のA級に伍してとの自己満足程度で、そのA級文化だって最初はB級文化だったのだ。映画の『アマデウス』のおもしろいところは、モーツァルトのオペラをB級文化風にとらえていることだった。
 むしろ、B級文化の渦のなかから出てくるものが、時代を変える。帝劇よりも浅草オペラ、名のだ。
 光るものは、B級のなかでも光る。A級にまじったところで、光らないものは光らない。B級文化が繁栄している時代というのは、文化的に成熟した時代だ。ぼくの好みはB級でぼくの時代がやって来た。

 「『他人の死』は虚構だから、おもしろいに越したことはない、といいながら、いつのまにか虚実の境界(もともとそんなものはないのだが)を見失って、『他国の戦争』を心待ちにしはじめる。だが、われわれが住んでいる場所もまた他国にすぎないということだけは、忘れないように心がけておきたいものである」(寺山修司『不思議図書館』)。

 「実数(Real Number)」に対して、「虚数(Imaginary Number)」を考案したのはルネ・デカルトであるが、それは二乗して負の実数になる未知数を解くために生まれたのではなく、N次元の方程式の解を求める際に、導入されている。と言うのも、デカルトの代数幾何学を高次元に拡張するのは容易であるとしても、五次以上の方程式における一般解は存在しないからである。虚数は実数と「虚」数単位の積であり、実数と虚数の和が複素数である。複素数はシュレディンガー波動方程式の中にも出てくるし、電気の交流や電気回路、電磁波のように規則的に変化する量を表わすのに用いられ通り、波の現象の記述には不可欠である。素粒子の運動において波の性質と粒子のそれを同時に見ることができない。寺山修司は芸術において「実」と「虚」を反転させるのではなく、「実」と「虚」を波と粒子の関係のごとく決定不能に陥らせる。「贋物が本物の存在を忘れたら、それが自分自身にとっての本物になる」(森毅『コピー時代のホンモノ幻想』)。

 自伝『誰か故郷を想はざる』に「自叙伝らしくはなく」と添えられているように、寺山修司のレトリックは、記憶をたどり、蘇らせる過程のヴァーチャル・リアリティを感じさせる。この観点は「書く」と「消す」の狭間に基づいている。寺山修司は、『黄金時代』の「消しゴム」の中で、「『書く』と『消す』、『夢』と『影』のはざまで、少しずつ輪郭を失ってゆくものに私は思い馳せる」として、「自叙伝を書きながら、私は次第に記述者が何者であったかを忘れてしまって、いつのまにか手だけを残して、自分をも消し去ってしまっていたのである」と書いている。

 「一人ならずの者が、おそらく私と同じように、顔をもたないために書いているはずです。私が誰であるのかを尋ねないでください。私にいつも同じ状態でいろと言わないでください。そのように尋ねたり、言ったりするのは戸籍の道徳であり、それがわれわれの身分証明書を支配しています。書くことが問題であるとき、われわれはこの道徳から自由になるべきでしょう」(ミシェル・フーコー『知の考古学』)。

 「ヴァーチャル(virtual)」の反対語は「リアル(real)」ではない。「名目(nominal)」がそれに相当する。名目の類義語は「仮想(supposed)」や「擬似(pseudo)」である。前者は仮に想定したものであり、後者は外見は似ているが、本質的には異なるものを指す。また、リアルの反意語は「虚(imaginary)」である。ヴァーチャルは、むしろ、現実の類義語であり、それは表面的にはそう見えないけれども、本質あるいは効果において現実を感じさせるものを意味する。

 寺山修司がヴァーチャル・リアリティを意識していることは、空襲の記憶を思い返して、次のように書いている点からも明らかだろう。「だが、なかでももっとも無残だった空襲が、一番印象がうすいのはなぜなのか今もってよくわからない。蓮得寺の、赤ちゃけた地獄絵の、解身地獄でばらばらにされている(母そっくりの)中年女の断末魔の悲鳴をあげている図の方が、ほんものの空襲での目前の死以上に私を脅かしつづけてきたのは、一体なぜなのだろうか」。

 寺山修司は映画というメディアの特性を熟知して、『田園に死す』の歌集を映画に反映させている。映像表現の歴史は、小栗康平の『映画を見る眼』によれば、「その現実性と非現実性とをめぐって、さまざまな進化、深まり」を見せている。寺山修司は自身の同名の歌集を元に、少年時代を取り扱った映画『田園に死す』(一九七四)を撮っている。この映画化は寺山修司の姿勢を明瞭にする。映画は、小栗康平に従うと、「『動いた状態でものを見る』という私たちの身体の行為が、(略)人為によって作り出され」て以来、「『見るという行為』をではなく、『見えるもの』をフィルムの上に」構成するものである。寺山修司は「実」と「虚」ではなく、「見えるもの」や「聞こえるもの」の追求を企てている。彼には、ジョン・カーヘンター監督のように、B級ホラー『ハロウィン(Halloween)』(一九七八)や『ザ・フォッグ(The Fog)』(一九七九)、『ブギーマン(HalloweenⅡ)』(一九八二)『クリスティーン(Christine)』(一九八四)と本格的SFX作品『遊星からの物体X(The Thing)』(一九八二)の両方をつくれるセンスがある。

 恐るべき量の編集ミスを含むリチャード・ギア主演の『プリティ・ウーマン(Pretty Woman)』(一九九〇)を思い起こさせる事態を考慮するとき、寺山修司のヴァーチャリティが明瞭になる。寺山修司は、『誰か故郷を想はざる』の中で、生涯最高の思い出として東京ジャイアンツの藤本(現姓中上)英雄が西日本パイレーツ相手に達成した完全試合をあげている。これは、一九五〇年六月二八日、青森市営球場での変則ダブル・ヘッダーの第二試合(開始午後四時一四分)である。この年限りで消滅したパイレーツの監督を白石勝己(旧名敏男)と記している。

 けれども、実際には、小島利男が監督であり、小島は、この試合、パイレーツ二七番目の打者として代打でバッター・ボックスに立ち、三振している。白石は五三年からは八年間、さらに六三年から三年間広島カープの監督を務めているが、当時はまだ広島カープの選手であって、監督は石本秀一である。このような記憶違いが起こったのは、おそらく、この完全試合の前の第一試合に松竹ロビンズ対広島カープが行われており、白石はこの試合で一番ショートとして出場していたことと混乱したためだろう。意識していようといまいと、こうした認知過程がヴァーチャル・リアリティに関連している。”epur si mouve”.

 寺山修司のレトリックはCGと言うよりも、蓮得寺の地獄絵を例にあげているように、一九五〇年代のレトロな特撮を感じさせる。『誰か故郷を想はざる』はたんなるホラまじりの自叙伝ではなく、言語表現におけるヴァーチャリティのための特撮の技術の見本にほかならない。

 寺山修司は、『藁の天皇』において、呪術で用いられる藁人形と天皇との効果における類似性を指摘している。「呪術の媒体具としての藁人形が、われわれの社会生活の一つの類感のための道具として、経験を代行する存在として、在ったように、現代の藁人形を通してしか日常の現実原則と通底しないのと同じような意味合いにおいて、天皇も在るということも見抜く必要がある。その時、天皇の存在は天皇制も含めてドラマツルギーのサイクルの中心でとらえることができるのである」。こうした効果への認識を持つ寺山修司への非難は「ファン・メーヘレン・シンドローム(Van Mechelen Syndrome)」(グレン・グールド)にすぎない。

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