結婚するって本当ですか(3)(2012)
第3章 結婚とコミュニケーション
狭義の「流行歌」があったのはおそらく80年代まででしょう。この80年代、家族や結婚についての考えが個人化・多様化・脱制度化します。特に女性にどのような結婚や家族を目指すべきかに揺らぎが生じます。結婚はパートナーとなる人とのコミュニケーションを通じたコンセンサスとして形成されるものです。けれども、さだまさしの歌詞が示すように、男性側にコミュニケーション能力が乏しく、そこに至らないため、性格や趣味などが合わないという曖昧な理由が女性から延べられることになります。
男性は自分の状況だけを軸に「一緒に暮らせる女性」を探す。女性は相手の「生活環境」「仕事」「家族」の状況を読み取り、自分の都合をすり合わせ「リスクの少ない男性」を探す。女性のほうがはるかにチェック機能の多面性が備わっているように思える。「嫁ぐ」という言葉が使われるが、いまだに、女性が男性側へ移動し、吸収合併される形での結婚が成り立っているからだろう。ならば、移動によって何を得て、何を失うのかを考えるのは当然移動する女性側であり、慎重さが増すのだろう。
相談所に訪れる男性は「女性と出会う機会がないから」相談所に来たのだといい、女性は「周囲に男性はいるけど手ごたえを感じられる人がいない」からここへ来たという。結婚難の要因について男性が「女性が持つ結婚に対する理想が高すぎるから」といえば、女性は男性の「生活者としての自立」と「積極性」の欠落を指摘する。
板本洋子結婚アドバイザーは『ウェディングベルを聴きたくて』(1990)においてこのように指摘します。それは過疎地で結婚に至ったケースと比較すると、明瞭になるでしょう。同書に興味深いエピソードが記されています。彼女は、1989年12月に秋田県横手市大森町の武道地区を訪れています。ここは「嫁のきている農村地帯」です。その男性たちは嫁不足の原因は親が作り出していると指摘します。嫁には同居してなおかつ農業もやってもらいたいと虫のいい考えをしているからです。妻は夫に惚れてこんな山奥にくるのです。生き方は妻が決めて然るべきであって、夫はつねに信頼されるべく努力しなければならないと断言します。この地区の男性は思考が柔軟のみならず、コミュニケーション上手です。そこが魅力で、結婚へと進んでいくのです。この地区は陸の孤島ですから、酒を飲むのも含めて多くのことを同世代だけでしていては盛り上がりに欠けます。異世代と共に行うことが常識ですので、コミュニケーションの多様化が男性を魅力的に育て上げているのです。
板本アドバイザーは、日本青年館の結婚相談所に80年の設立時から勤務、84年から08年まで所長を務め、12年、全国地域結婚支援センターを立ち上げ、代表として活動しています。相談員になった頃、母親と同伴で結婚相談所を現れる高学歴・高収入の若者の多さに驚きます。しかも、質問しても、すべて母親が答えてしまいます。母親以外の女性と話せないのです。板本相談員も女性ですから、口がきけません。これだけコミュニケーションができなければ、結婚の前に愛が深まりません。そこで、89年、板本所長は樋口恵子らと共に、花婿学校を開校します。「バカにするな。俺たちだって苦しんでるんだ」と若者から脅迫状めいた抗議文もいくつか寄せられますが、板本所長はその苦しみを吐露した率直さに共感を覚えています。90年代に入ると、男性の気持ちがわからないので知りたいという理由から、女性の受講者が増えます。やはりコミュニケーションでは女性が積極的なようです。
コミュニケーション能力は多種多様な年齢・背景の人と会話することで向上します。その機会が少なければ、上達しません。80年代の男性のコミュニケーション能力がどうであったか具体的にはわかりません。ただ、今日であれば、ある程度示すことができます。その低さは日本の男性が先進国でも買春率が最も高いことからも理解できるのです。
1999年に実施された「日本人のHIV/STD関連知識、性行動、性意識についての全国調査」によると、日本の男性の買春率は15%です。若年層ではさらに高くなります。この値は先進国では突出しています。性が閉鎖的な途上国では買春率がこの程度の地域はあります。けれども、性の解放が進んでいる先進国ではその値は数%です。結婚にこだわることなく、コミュニケーションを通じてパートナーとの性愛を楽しむことができますから、コマーシャル・セックスに走る必要がありません。
売買春は、他の材・サービスと違い、カネが危険を呼びこみます。不特定多数の相手とのマッチングになりますから、性感染症のリスクが高まります。そのため、売買春は需要サイドが市場規模を決定します。いくら供給したところで、需要がなければ、規模は縮小します。性の解放が進んでいるにもかかわらず、日本人男性の買春率が高いのは女性の貞操観念の低さではなく、彼らの需要に起因しています。主な理由は日本の男性のコミュニケーションが下手くそだからということになります。彼らはコミュニケーションをカネで買っているというわけです。
先に挙げた地区は全国的には例外にとどまります。少なからずの農村では、意識改革に向かうよりも、海外に嫁を求めてしまいます。フィリピンや中国などのアジア女性が農村に嫁ぐ「アジアの花嫁」です。正直言って、嫁入りのいきさつをわが子に告げる葛藤を日本側がどこまで考えていたかは疑問です。彼女たちの苦労は認めますけれども、農村の復活にはつながりません。
農家の嫁不足は、実は、日本に限った現象ではありません。近代化には農業から工業への収奪を伴います。農業国でもない限り、農村は衰退します。板本アドバイザーによると、韓国やアイルランドなどでも農家の嫁不足が見られます。韓国においては日本以上に親族の結婚圧力が強く、それを苦に自殺する若者も後を絶ちません。アイルランドでは、農業に興味を持っている女性は多いのです。けれども、農業経営を女性に任せる意識改革が遅れているため、敬遠されています。女性にとって働きがいや生きがいのある農業への転換が後継者を育むというわけです。日本も同じでしょう。