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植民地支配における日本語教育と日本近代文学の成立(14)(2004)

14 植民地台湾の日本語文学
 この儀式化した日本近代文学が台湾でも規範になる。植民地獲得まで、日本文学の読者はネイティヴ・スピーカーに限られていたが、それ以降、読者には日本語の非ネイティヴ・スピーカーが含まれるようになる。日本語で文学作品を発表することは日本の帝国主義政策の荷担につながっていく。

 台湾の近代文学は中国の五・四運動と日本の大正デモクラシーの影響を受けて、1920年台に誕生している。大正デモクラシーは大日本帝国憲法体制内での民主化運動であり、1918年(大正7年)、夏の米騒動をはさんで、前期と後期にわけられる。非立憲的な桂太郎内閣打倒のスローガンを掲げながらも、日露戦争講和への反対運動として始まった「外には帝国主義、内には立憲主義」の理念に指導された全国的な都市民衆の運動であり、日本帝国主義の問題は問われていない。

 台湾総督府による日本語政策のため、台湾の近代文学は日本語作品と中国語作品が同時に創作されるという特色を持っている。日本語小説が発表される中、中国語小説は、1926年(昭和元年)頃から、頼和《らいわ》らが創作を始めている。日本語作品は言うまでもなく、中国語作品も日本の近代文学の影響を色濃く示している。

 1930年代に入ると、台湾文学はこの二つの流れがさらに発展する。中国と台湾をめぐる民族自決を動機付けにした郷土文学論争が起こり、台湾語による創作が試みられ、他方、張文環《はりぶんかん》らが、1933年、純文芸誌『フォルモサ』を東京で創刊し、固有の台湾文化の創造を主張している。日本文壇と連動し、彼らの文学活動は台湾島内の文学者に大きな刺激を与え、1934年五月に台中で初めて全島的規模の台湾文芸連盟が結成される。

 今日の日本文学史に植民地の日本語文学に言及することは必ずしも多くない。無視していると言っても過言ではない。しかし、日本文学も植民地主義と無縁ではない。

 文学は言語を用いる芸術であるけれども、それだけでなく、場、すなわち土地や社会との結びつきも必要である。社会は説明無用だ。土地は、私的所有が認められる資本主義社会であっても、公共性がある。土地や社会の公共性を共通基盤にして作者と読者はその関係をとり結ぶ。台湾人作家にとって、植民地の実態を描き、日本の中央誌に発表することが目標となる。そこでは自然主義や私小説がヘゲモニーを持つから、彼らもそれに従わざるを得ない。1930年代の半ばには、楊逵《ようき》、呂赫若《ろかくじゃく》、龍瑛宗《りゅうえいそう》らが植民地の作家として日本の中央文壇に登場している。また、周金波《しゅうきんば》や陳火泉《ちんかぜん》、王昶雄《おうしょうゆう》は民族やアイデンティティを問う皇民文学を発表している。

 けれども、そうした路線対立に加え、総督府の厳しい検閲により、白話文による近代文学は壊滅状態に追い込まれる。1940年代に入り、太平洋方面で戦争が始まると、南方基地としての台湾の重要性が増し、文芸雑誌も整理統合され、「大東亜戦争への文学奉公」をスローガンにする『台湾文芸』が台湾文学奉公会より創刊される。これは、台湾日日新聞社に勤務する作家西川満を中心に結成された台湾文芸家協会が支えられており、そこには台湾帝国大学の教官や台湾総督府の官僚、文芸愛好者が所属している。この雑誌に限らず、台湾人作家もいたものの、ほとんどが日本語による作品を発表している。

 日本の占領が終わると、公用語から日本語は一掃される。その上、国民党による独裁体制が強化されていく中、呉濁流《ごだくりゅう》を代表とする日本語で創作していた戦前・戦中の多くの台湾人作家は言語の切り替えに対応できず、苦悩することになる。戦争の終わりが作家生命の終わりとなっている。このような事態は列強の植植民地支配では起きていない。

朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ 忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遣範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戦セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵カス如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰巳ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝國ト共ニ終始東亜ノ開放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ 朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ為ニ大平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排儕互ニ時局ヲ亂リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宣シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ 任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ

御名御璽
昭和二十年八月十四日
(『終戦ノ詔勅』)

 1945年8月15日、ポツダム宣言受諾により、大日本帝国は植民地を放棄する。それに伴い、日本語も「大東亜ノ共通語」の使命から解放される。その代わり、戦後の日本語は海外との壁の役割を担う。外国人には日本語がわからない。そんな前提の下、剽窃や盗作、デマ、差別、偏見、歴史修正主義などが国内に横行する。その中には、英語で公にされたなら、国際的非難につながるものも少なくない。

 言語は国際社会において役割を担っている。英語はグローバルな共通語である。他方、日本語は日本国内で主に使われるローカルな言語だ。外国人が日本語を学習する動機は、日本に関する研究、もしくは日本国内での生活にほぼ絞られる。

 もちろん、日本語が壁として比較的機能しなかった映画や自閉的であっても国内競争が激しかったため独自に発展したマンガもある。しかし、日本語は概して海外に対する緊張感のない表現・発言をもたらしている。

 日本人の言語的鈍感さは戦後の国際情勢の影響もある。旧植民地・占領地には日本語を理解できる人も多数いる。けれども、東アジアにおいて日本は相対的に表現の自由が保障されている。東側諸国は資本主義、西側は共産主義の文献が日本から輸入されることを警戒し、それらを制限している。

 東西冷戦終結後、情報流通がグローバル化し、日本人は日本語を学習・理解する外国人が少なからずいることを発見する。しかも、その多くの学習動機がアニメやマンガだと知り、驚きを覚える。また、中には日本語による文学作品を発表、リービ英雄のように、文学賞を受賞する非母語話者作家も登場する。言語を一年間で習得することは困難である。以前から日本語は外国人の間で学ばれていたということだ。日本人は日本語が海外との壁という認識は幻想だと思い知る。けれども、長年染みついた言語的鈍感さの習慣はなかなか改まらない。

 戦前の日本語の政治的位置づけを要約しよう。日本の帝国主義の特徴は支配地域に日本語教育を強いる点にある。日本は借り物の西洋近代文明によって歴史的に強い影響下にあった中華文明圏を支配する。この倒錯した状況で日本の独自性を主張する役割を日本語に求める。西洋文明だろうと、中華文明だろうと、日本語で表現されたならば、本家以上に完成することができる。植民地や占領地はこの偉大な日本語によって染め抜かれねばならない。大東亜共栄圏は日本語化されることによりその理想が実現される。日本語は東亜の共通語であるから標準語でなければならず、方言など許されない。大日本帝国にとって日本語こそが最大のイデオロギーである。

 政治権力と接近したメディアの後押しによって自然主義や私小説が日本近代文学の正統の地位を獲得する。その上で、日本文学も植民地主義と無縁ではない。植民地の作家たちは同化政策の中心である日本語を用いて創作活動を行う時、彼らのアイデンティティを危機的に揺さぶる。終戦後、日本語は旧植民地において公用語として使われることがなく、作家生命が終わった者さえいる。けれども、日本文学史が植民地の日本語作家に触れることは稀である。

 植民地支配が終わったにもかかわらず、「国語科」という名称は改称されず、日本語を無批判的に賛美する本がベストセラーになり、文学者が何の留保もなく次のように言う時、その帝国主義的政策の中核を担った日本語の体質が今も続いていることを示している。

 ただひとつの書きかたを、年を重ねるにつれて辛抱強く成長、変化させてゆく、そういう書きかたに憧れながら、自分にはそれができないと自覚するようになったのは、この詩集に収められた作品を書くようになってからである。詩史、文学史というようなものに無関心で書き始めた私は、自分の書くものの縦のつらなりよりも、むしろ横のひろがりのほうに関心がある。
 後世をまつという気持ちは私にはなく、私はもっぱら同時代に受けたい一心で書いて きた。それも詩人仲間だけでなく、赤んぼうから年よりまで、日本語を母語とする人々すべてにおもしろがってもらえるような詩を書こうとしてきた。私にあるのは、ひどく性急な野心の如きものだろうか。だが、その野心を支えたのは、私自身ではない。私をはるかに超えた日本語の深さ、豊かさなのだ。
(谷川俊太郎『朝のかたち』)

 「ああ、日本はいい国だなあ」(Yellow Magic Orchestra ”The End of Asia”)。
〈了〉
参照文献
『世界の文学』50・91~120、朝日新聞社、2000~01年
笠原潔、『西洋音楽の歴史』、放送大学教育振興会、2002年
柄谷行人、『日本近代文学の起源』、講談社文芸文庫、1988年
同、『増補 漱石論集成』、平凡社ライブラリー、2001年
佐藤秀夫、『教育の歴史』、放送大学教育振興会、2000年
鈴木道彦、『プルーストを読む』、集英社新書、2002年
谷川俊太郎、『朝のかたち』、角川文庫、1985年
中沢英彦、『はじめてのロシア語』、講談社現代新書、1991年
森毅、『21世紀の歩き方』、青土社、2002年
アレクサンドル・コジェーヴ、『へーgr津読解入門』、上妻精他訳、国文社、1987年
ドナルド・キーン、『日本の作家』、中公文庫、1978年
朝日新聞社編、『世界の文学』91~96、朝穂新聞社、2001年
DVD『エンカルタ総合大百科2002』、マイクロソフト社、2002年
青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/

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