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ハロー、レーニン!(2)(2007)

2 帝国主義とジンゴイズム
 同志レーニンのいわゆる外部注入論は、労働者階級が体制を打破するどころか、帝国主義政策の支持に回ったという一九世紀後半の歴史を踏まえている。

 イギリスでは、保守党のベンジャミン・ディズレーリ内閣(ヴィクトリア女王のお気に入り!)が拡張政策を推し進めていくが、その際、労働者階級が強大な植民地帝国の形成を後押ししている。産業革命を先駆けて経験していたイギリスも、一九世紀後半になると、フランスやドイツ、アメリカが急激に工業化を達成した結果、輸出入の収支は大幅な赤字が続いてしまう。

 しかし、イギリスの経済力は他国に抜きん出ており、シティは世界金融の中心地の地位を維持する。その主な原因はイギリスの対外資本輸出の巨大さである。一八七〇年から二〇世紀初頭にかけて、イギリス一国だけで、世界各国の国外投資額総計のほぼ半分を占めている。こうしたイギリスの帝国主義は抜け目のない政治家や強欲な資本家、野望にとりつかれた軍人だけによって遂行されていたわけではない。世論が味方している。

 同志レーニンは、『なにをなすべきか?』の中で、「新聞は、集団的宣伝者および集団的煽動者であるだけでなくまた集団的組織者でもある。この最後の点については、新聞は建築中の建物のまわりに組まれる足場にたとえることができる」のであり、全国的政治新聞こそ「集団的組織者となることができる」と主張している。彼はまさに正しい。

 イギリスの世論形成の重要な担い手が『デイリー・メール』紙である。この新聞はロザミア卿とノースクリフ卿によって一八九六年五月四日に創刊されている。同紙は英国史上初のタブロイド紙(ジャーナリズムのジャンク・フードの別名もあるが)である。現在も発行され、二〇〇万部を越え、それは英語の新聞としては世界第二位の発行部数である。

 一九世紀末になると、義務教育制度の整備と共に、識字率(自分の名前の読み書きだけから印刷物を読める段階へとリテラシーの基準も変わる)が向上し、潜在的な新聞の購読者が見込まれるようになる。この社会的変化に目をつけたノースクリフ卿は従来の知識層ではなく、中小の事業主や労働者に絞った新聞を考案する。

 ブルジョアも労働者も、経済的な貧富の差こそあれ、古典的教養には乏しい。そのため、短くてわかりやすい記事と写真を採用し、スリルとサスペンスに満ち、善悪のはっきりとした連載小説を導入する。さらに、商品や企業の広告を大量に載せ、その宣伝費で製造・販売コストを補い、価格を安くするのに成功する。半ペニーで、八ページの新聞は、創刊後、すぐに五〇万分を突破し、イギリスで初めて一〇〇万部を超えた新聞となる。ブルジョアの宣伝紙であるにもかかわらず、労働者階級もこぞって愛読している。

 従来の新聞は政治的主張を教養ある読者に向け、お上品に、遠まわしに語っている。しかし、『デイリー・メール』は違う。簡単な単語を使い、大言壮語に言いたいことを書きたてる。その記事の中心は好戦的愛国主義、すなわち「ジンゴイズム(Jingoism)」である。これは、もともと、一八七八年に流行したアイルランドの歌手G・H・マクダーモット(G. H. MacDermott)による次のような歌詞に由来している。

We don't want to fight俺たちゃ戦いたかない)
But, by Jingo, if we do,(でも、そうさ、やることになったら)
We've got the ships,(俺たちにゃ艦隊がある)
We've got the men,(俺たちにゃ兵隊がいる)
We've got the money, too.(俺たちにゃ金もあるんだぜ)

 “By Jingo!”は合いの手で、「そうだ!」や「まったく!」といった意味がある。今で言うと、「ビンゴ(Bingo)」だ。この好戦的な歌はパブやミュージック・ホールでお馴染みとなる。

 ディズレーリ(温情溢れると評判らしいが)は国内の対立を有権者の目からそらすために、「大イギリス主義(Large Englandism)」を唱え、各地で戦争を繰り返し、領土を拡大していく。彼は保守派の政治家であるが、敵をつくり出し、それと対決している姿を有権者に披露する。そのことで、鬱屈とした労働者にも高揚感を与え、盛り場で憂さ晴らしをする層からも支持される。

 この歌詞はジンゴイズムが自己防衛を拠り所にしていることをよく表わしている。そのため、他国に理不尽な暴力を行ったとしても、反省することはない。

 『デイリー・メール』はまさにジンゴイズムの新聞である。記事の内容は、毎号毎号、ほとんど似たようなものである。自国や自国民の優秀さ、進歩性、誇り、品格、利害などを愛国主義の名の下に煽り立てる。他国がいかに劣等で、後進的、下劣、野蛮かをセンセーショナルにこき下ろす。こういった身の程知らずとの自分たちは競争に勝ち抜かなければならない。そのあまりに好戦的な記事のため、第一次世界大戦の勃発の後、『デイリー・メール』は戦争を扇動したと知識人から糾弾されたほどだ。

 同志諸君、一九世紀の欧米の歴史を省みる限り、民主主義が平和的であるとは言えない。そもそも、一九世紀前半まで、民主主義は衆愚政治と同義語として扱われている。それがよい意味を持ち始めたのはアメリカの第七代大統領アンドリュー・ジャクソンの搭乗である。彼を領袖とする派閥が「民主共和党」を名乗り、それは民主主義が進歩的な思想に格上げされた現われである。民主主義者ジャクソンのアメリカは、ディズレーリのイギリスと同じく、好戦的である。それだけではない。普通選挙によって成立した政権で数多くの帝国主義戦争が起こされている。なぜなら、交戦相手国の国民や収奪される人々には投票権がないからである。

 同志諸君、ジンゴイズムは感情的で、そこには自己批判がない。そのため、本質的な議論につながらない。戦争が長引いたり、激化したりすれば、戦死者が増える。戦争好きにも厭戦気分が生まれる。あんなへんぴなところで、イギリスの若者が死ぬ価値なんてあるのかというわけだ。しかし、それにしても、頭数が減れば、国力が低下するという別の愛国主義に基づいている。愛国主義の問題自身はまったく、何も、全然問われない。

 現在に至るまで、新聞だけでなく、ラジオやテレビなどのメディアが開戦をとめる機能を果たすことは稀である。多くの場合、メディアは権力と一緒に、扇情的に、戦闘意欲を高めてしまう。こうしたメディアの対応は権力に迎合するためでもなければ、権力が規制しているためでもない。なぜならば、戦争が炎や爆音、壊れた戦車、転がる死体、泣き叫ぶ子供といった具体的なものを提供するからである。メディアは、本質的な問題が抽象的になりがちであるため、使うことが苦手である。メディア・リテラシーを知った上で、接しなければ、いつまでもペテンにひっかかってしまう。

 第二インターナショナルは、第一次世界大戦において、まさにジンゴイズムに囚われた労働者の動向によって失敗に終わる。数こそ多くても、彼らは日和見主義的で、頼りにならない。おしゃべりはもうたくさんだ!


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