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国民投票と民主主義(2016)

国民投票と民主主義
Saven Satow
Jun. 24, 2016

“We not only have a parliamentary democracy, but on questions about the arrangements for how we've governed there are times when it is right to ask the people themselves and that is what we have done”.
David Cameron

 悲観的見通しは、楽観的将来像を伴って、短絡的な解決策にしばしば訴える。実際には、悲観論者は根拠のない期待を信じる楽観論者である。ナショナリストは自分たちが脅威にさらされると悲観的物語にとらわれ、排他主義や軍事力によって楽観的未来を思い描く。日本を含む世界各地に悲観主義者の顔をした楽観主義者が勢いをつけている。

 今回の英国国民の判断がそうであるかどうかは軽々しく言えない。ただ、2016年6月16日、残留派のジョー・コックス会員議員が離脱派のトーマス・メアによって殺害され、民主主義に暴力が持ち込まれたことは確かである。一週間後の23日、イギリスでEUからの離脱の賛否を問う国民投票が実施される。結果は、僅差ながら、離脱が多数を占める。

 国民投票を始め関係地域の住民にシングル・イシュ―の賛否を問う投票制度を「レファレンダム」と呼ぶ。法的拘束力の有無はケースによって異なる。それがない投票であっても、行政や立法が結果を尊重することも少なくない。

 レファレンダムは直接民主制の制度である。近代のデモクラシーは間接民主制を採用している。直接制が理想であるけれども、諸般の事情によって間接制が実施されているわけではない。立憲主義からの要請のためである。

 立憲主義は成文憲法によって権力を制限し、市民の権利を保障する。これは近代の基本原則である政教分離に基づいている。宗教戦争の経験から近代は政治を公、信仰を私の領域に分け、相互干渉を認めない。この分離によって凄惨な宗教戦争が避けられ、政治の目的は平和の実現にある。

 信仰を内面の領域に位置づけたということは価値観の選択を個人に委ねたことを意味する。社会には複数の人間がいるのだから、価値観が多様化する。価値観の多様性が近代社会の前提である。

 立憲主義は権力を制限して市民の権利を保障するのだから、価値観の多様性を認める。多数派の意思のみならず、少数派も尊重されなければならない。多数派の暴政を抑制するために権力を分立させ、相互監視・牽制する必要がある。こうした要請から間接民主制が採用される。

 直接民主制は意思決定にすべての有資格の構成員が参加する。そこで決められた判断は一般意思として参加者を拘束する。少数意見は特殊意思と扱われる。みんなで決めたのだから、その結果は誰もが守るべきだ。権力を分立させて相互抑制する仕組みがない。

 立憲主義は価値観の多様性を前提とする近代社会を保障する。それにふさわしいデモクラシーは直接制ではなく、間接制である。

 けれども、間接民主主義にはコンドルセのパラドックスの問題がある。争点が多くなると、価値観が多様であるから、個々の有権者がそれらの優先順位を考慮して投票する結果、当選者が必ずしも民意を反映しない。脱原発の民意が高くても、他の争点が絡み合って、それに反する候補者が当選してしまうというわけだ。

 レファレンダムはコンドルセのパラドックスを克服するために採用される。重要なシングル・イシュ―に絞ってその賛否を住民自身が直接判断する。レファレンダムは間接民主主義の欠陥を補う方法である。

 しかし、ナチスが乱発したように、レファレンダムは立憲主義に基づかないので、価値観の多様性を抑圧する可能性がある。

 民意が非常に競った課題の場合、キャンペーンや結果を通じて住民が分裂、対立が激化する恐れがある。先に述べた通り、一般意思であるから、少数派も多数派の意向に従わなければならない。しかし、少数派も不満が募っているから、結果を認めないこともあり得る。蒸し返しや泥仕合が続き、いつまで経っても終わらない。さらに、両者の溝は深まり、暴力沙汰が起こり、暴動や内乱に発展しかねない。

 また、個々の住民は二者択一を迫られる。熟慮がないまま、本質的ではなく周辺的な手掛かりを根拠に短絡的・感情的な選択をしかねない。賛成・反対のいずれの主張にも耳を傾け、自らの意見や疑問を述べて、時間をかけて議論する必要がある。こうした熟議は、課題が明確な直接民主主義の空間でないと、なかなか難しい。だが、その熟議が要るレファレンダムが頻繁に行われると、慣れと飽きが生じ、投票行動が無責任になりかねない。

 行政は派手な宣伝を繰り広げたり、その資源を利用して公式・非公式の圧力をかけたり、投票の環境を自身に有利にしたりする。ナチスは国民投票を巧みに使い、それにより立憲主義を破壊している。

 21世紀を迎え、マスメディアの頻繁に実施する世論調査があたかもレファレンダムであるかのように政府が政策判断に利用している。しかし、世論調査の回答には熟議がない。上述の問題点が当然ある。現在の世論調査の濫用は反立憲主義的だ。

 なお、直接民主主義の制度として他にパブリック・コメントがある。タウン・ミーティングや公聴会がそれに当たる。第1次安倍晋三政権が行ったように、ヤラセや仕込みによって行政の政策決定のアリバイ作りに利用される恐れがある。また、自由参加にすると、時間的余裕がないとか縁遠いとかいった理由で一般住民が集まらず、組織的動員に占拠され、その思惑に沿った結論が出る危険性もある。こうした弊害を避けるために、裁判員制度のように、くじ引きで参加者を選ぶ方が賢明である。

 直接民主主義の制度を導入しさえすれば、おのずと政策の意思決定に民意が反映されるわけではない。直接民主主義が立憲主義にそぐわないことを認知した上で、間接制の欠陥を補うために活用すべきだ。

 政治的課題を他人事ではなく、自分に関連して捉えるには熟議が必要である。けれども、間接民主主義は代議制であるため、その意識が弱くなる。直接民主主義は参加のデモクラシーであるから、住民の問題意識を高める。直接民主制は、現状打開のためではなく、政治空間に熟議をもたらすために必要とされている。
〈了〉

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