【死にたい】この言葉には段階がある
読者の皆様こんにちは^^
各地で桜が見頃を迎えてきましたね🌸
皆様お花見はお好きでしょうか?
私は花より団子派なのでお花見は美味しいお弁当を食べることがメインになってしまいます(笑)
さて本日の投稿内容は、出会いと別れの季節、そして悲しいことに自殺死亡数の多くなる季節ということで「死にたい」という言葉をテーマとしお話をしていきたいと思います。
少々気の重くなるテーマに思えますが、実は皆さんも身近で「死にたい」というワードを耳にしたことがあるかと思います。もしかしたら実際に亡くなられた方が身近にいる方もいるかも知れません。
「死にたい」この言葉を発している人の言葉の意味合いに焦点を当て、より良いサポートや支援で一人でも多くの命を救えることを願い、あくまで私個人の経験を元にしての意見や見解、思いにはなりますが皆様に共有したいと思います。
それでは本文に入らせていただきます。
【死にたい】この言葉の真意を知ろう
自殺願望・自傷行為・死にたいという気持ちと向き合ってきた私の経験から学んだ事実、思い
【死にたい】の種類は大きく分けて3つ
一度は耳にしているであろう「死にたい」この言葉を聞いたとき、誰でもまず驚きそしてとても心配になると思います。
私も誰かの「死にたい」や自身の「死にたい」を経験してきました。
そんな私は「死にたい」と言う言葉についてとある考えを持っています。
「死にたい」と言う言葉の意味に注目し、大きく分けて3つ種類があると私は考えました。
①「死にたいと思ってしまうほど辛い、混乱」
(感情的、救いが欲しい)
②「息の根を止めたい」
(物理的)
③「口癖、疲れ」
(感情表現)
私は今までにこの3つ全ての「死にたい」を経験しました。
では、この3種類の「死にたい」にはそれぞれどんな意味があるのか、言葉の発信者にはどんな特徴がみられるのかについて見ていきましょう。
※あくまで私個人の見解です。全ての人に当てはまるわけではありません。
まず初めに① <危険度 ☆☆>
①の「死にたい」を口に出す人にはいくつかの特徴がみられます。
(下記は例です)
・今現在、何か精神的に疲れている
・生活に困っている
・何もかもうまくいかないと感じている
・何かを頑張っている、何かと戦っている
・自傷行為をし、周囲に知らせる(リスカ・OD等)
・精神科通院や処方薬などの個人的情報をSNS上に書く
・自己顕示欲が強くなる
辛い現状を抱えながらもそれを改善しようともがいているが自力ではどうにもうまく結果が出せず苦しんでいる。
気付いて欲しい、話を聞いて欲しい、目を引きたい、これらの場合が多い。
①はこうした状況下で思ってしまう、口に出してしまう【死にたい】
次に③ <危険度 ☆>
③の「死にたい」を口に出す人にはこれらの特徴がみられます。
・周りから見て明るい
・良く喋る
・自分を卑下する言葉が多い(自虐)
・比較的若い
・活動的
元気に明るく振る舞っているけれど、実はコンプレックスを多く抱えているため空元気だったり自身の触れられたくないところの話題を持ってこさせない様、自らよく話し虚勢を張る。
そして活動的だからこそ、様々なもの疲れにより愚痴が多くなる。
③は口癖のように「寝坊でバイト遅刻だ死にたい」「お金なさ過ぎて詰んだ死にたい」「彼氏と喧嘩~無理死にた」「顔面漏れなさすぎて死にたい」などと若者言葉を交えての愚痴と言った意味合いでの【死にたい】
最後に② <危険度 ☆☆☆☆☆>
②の「死にたい」を口に出す人にはこれらの特徴がみられます。
・生活が疎かになる
・気力が湧かず引きこもりがちになる
・何もせずボーッとする時間が増える
・痩せる
・身だしなみが整っていない
・食生活が雑になる
・口数が減る
・人と接触することを避ける
・「死」に関する具体的なことを調べたりする
・自傷行為の逼迫
・通院先の主治医が危険判断をしない
・無意識下の行動が増える
口数や生活能力、人との接触の低下は見られるが自身の事を心配してくれる人にほど現状を悟られたくなく気丈に振る舞うことが多い。
異常行動や自身の情報を守る為の虚偽が増える。
②に関しては上記の特徴一つではなく、いくつも当てはまることが多い。また、”普段と比べて”と言うことが前提となる。
これが最も重い②の【死にたい】
②はギリギリ状態でのSOS「死にたい」である事が多く、これに気づけず進行するとSOSを出すことをやめ、誰にも言わず突然本当に自ら死を選んでしまう危険がある。
自傷行為をする理由/自傷行為を叱る大人たち
私は未だ自傷行為を完全には克服できていません。
自傷行為についてよく耳にするのは
「構って欲しいだけ」「病んでるアピール」
自傷行為をしている本人からは
「血を見ることで生きていることを実感する」
「スッキリする」
勿論経験者の中にはこれらが本当の気持ちの方もいます。
ですが、私は昔から少し違います。
私が今まで行ってきた自傷行為と言われる行動は三種類ほどあります。
・リストカット、アームカット、レッグカット
・頭を打ちつける
・抜毛
ここからは、自傷行為としてまず頭に浮かぶであろうリストカットを例に挙げ、その行為に対する当時~現在に続く思いや気持ちの変化を話していきたいと思います。
私が何故リストカットをするのか
人には当たってはいけない(他人を傷つけてしまう)
ものに当たってはいけない(壊れたものは元には戻せない)
この二つの感情が強くあり、 ”自分の身体だったら直る” ”自分への罰” と考えています。
死にたいと思う時、自傷をするときは決まって自分を責めていることが多いからです。私は深い傷を作ったことはありません。
それは自制ができるからであり、私の場合は決して「物理的に死にたくて」カットしているわけではないからです。
周りの人が自傷行為を止めたくなる気持ちはよく分かります。
ですが、私は自傷行為を止められたり咎められることが心の底から大嫌いでした。
人に当たっては怒られる
物に当たっては怒られる
人に当たると後から罪悪感に見舞われる
物に当たると治らない傷をつけてしまう
でも自傷行為をすると叱られ、止められ、咎められる。
ではどう感情処理をしろというのか。散々悩みました。自傷するなと言うならばどうストレスや感情を発散させたら良いのか、止めてくる人は誰一人止めるだけ咎めるだけで教えてくれません。
実家でもありましたが、精神科閉鎖病棟(入院中)、一時保護所、児童自立支援施設、鑑別所、少年院、入所経験のある全ての施設で私は自傷行為をしました。
その都度、反省を課せられ、罰を受けました。理解ができませんでした。
『親からもらった大切な身体』
『あなたの身体はあなただけのものではない』
皆同じ事を言います。私にはこれらの言葉の意味が全くとして理解できませんでした。
そもそも何故親から貰ったと思わなければならないのか、確かに親がいなければ私は存在しないけど、だからと言って親から分裂した訳でもなく私は私の個体として生まれてきた。貰った人生でも貰った身体でもないんです。命・身体が大切なんてことは誰でも重々承知してます。
(本音を言えば、自傷は怒られるし親から貰っただなんだ言われるけど、その親は暴力を振るってくるし、親は何の罰も説教も誰からも受けてないし…自分で作る傷より治らない傷作ってくるし…というのも自傷に対して物を言われることが嫌な理由の一つだった。)
自傷行為を咎められることにより自身の感情処理をどこですれば良いのか分からなくなり、感情が爆発しリスカットなどにとどまらず大事になったり、リストカットがかえって悪化することが多いのが私の経験から得た事実です。
死ぬための自傷行為や無意識下による重度の傷を負う自傷はもはや自傷行為ではなく、『自殺』『自殺未遂』だと私は思います。自傷行為はあくまで自分の身体を傷つける行為であり、死を求めての行為ではありません。
血を見て生きていると実感すると思ったことも一度もありません。
生きてるから自傷行為で済むのです。
血が好きなわけでも何でもありません。
自分に罰を与え、自分の気持ちを静めるための特効薬なのです。
そして、依存でもあります。
自傷行為で多少なりともスッキリしたり気持ちが落ち着く経験をした事がある人であれば、完全な克服にはかなり時間を要すると思います。
自分が迅速且つ効率的に落ち着ける方法を自傷行為を経て知ってしまっているからです。
そして自傷行為をして、病んでいることをアピールするのは寧ろ私は嫌いです。何故なら、自傷行為が良くないことだと分かっているからです。人にアピールする必要などありません。恥ですらあると思います。
でも、だからと言って隠したりもしません。
隠すくらいのことであれば私的にはその行為をする意味も無いのです。人のために生きているのではないのですから、自分で作った傷くらい背負って生きていく覚悟があると言うことです。
自分の弱さ故に作ってしまった傷だと思ったり、消えない傷を作ってしまったことで後悔したり、時には傷を見て苦しかったことを思い出してしまい辛くなることもありました。だから、人に見られて恥ずかしいと思ったことも確かにあります。
でも、わざわざ隠したりするのは人の目を気にしているからであり、余計に心が窮屈になります。そして、恥ずかしいと思うことで困難を必死に乗り越えようとした自分を否定するようにも感じてとても苦しかったので、私は必死に生きようとした証だと考えるようになり、特に自分から話したり見せたりすることもありませんがあえて隠すこともしませんでした。
この考えは、今も昔も変わりません。
本当に死を考えてしまっている時は一人の時間に無意識に首をつる準備をしていたり、無意識に道路へ飛び出したり、何時間もただ駅のホームに立ち続けたり、踏切のそばにいたり、当てもなく夜な夜な何時間もフラフラと出歩いていたり…そんなもんです。
いわゆる、一人でいる時の異常行動が目立ちました。
生きようとした過去の自分を褒めたい
『死にたい』とよく口にしていた当時を思い出すと、割とその頃が一番必死に生きようとしていたと思います。
死にたいと散々言いながら、泣きながら、何故私は死を選ばずに今生きているのか。
家もない、金もない、居場所もない、仕事もない。そんな10代の少女が死にたいと思いながら何故身体を売る仕事に手を出し金を手に入れ生活していたのか。(※過去投稿の「自己紹介Part2 過去を振り返りながら」参照)
結局のところ、生きるためです。
生きるためには食べなければならない、食べるためには金が必要、金を得るためには働かなければならない。
本心では生きたいのに、『普通』に自分が生きられる世界が、環境がなかった。だから、若さと性を武器にできた時代だからこそ思いついた稼ぎ方(生き方)を自ら見つけた先が身体を売ることだったのだと思います。
決して良い過去ではありませんが、私は過去の自分を自分だけでも褒めたいと思います。矛盾に聞こえるかも知れ無いけど、死にたいと感情で思いながらも必死こいて生きようともがいていたからです。だから、こうして今があるのです。
自分の身体をどこの誰かも分からない人に預けることは容易なことではありません。精神力も、体力もかなり使います。
でも、そこまでしてでも生きたい気持ちがあったからこそその仕事を当時の私はできたのです。
風俗や夜の仕事は世間的にはとても印象が悪いと思いますし、差別視や偏見を持つ人、『楽して稼ごうとしている』と言う人も多い世の中です。
でも私は、そうは思えません。
皆、稼げるお金の量だけで見ていますが働く人は誰しも自分の仕事に見合ったお給料をある程度は頂いているはずです。
昼間の飲食店で命の危険があるでしょうか。病気のリスクがあるでしょうか。
職人さんなどの専門職は、一般職に比べ専門的技術や専門的知識を要するため、給料が少し高い傾向にありますよね。
何故でしょう?
答えは簡単です。
技術力や体力、リスクが高いからです。
夜職や風俗は身体も心も背負うリスクがかなり高いです。それに伴って発生するお金も多いというのが現実です。
そんなリスク背負ってまで、お金を得るために働く。カッコイイと私は思います。
簡単な気持ちで手を出していい職種ではありませんが、本業とし本気で仕事として向き合っているのであれば、尊敬に値する仕事だと思います。
私にはもう、そんな仕事はできないからこそ、そう思うのです。
私の場合は未成年で非合法だったからよろしくない結果になりましたが、それでも今合法的に本気で仕事としている人を尊敬できるから、過去の自分は頑張っていたんだと実感できています。
否定しないで。押しつけないで。かける言葉を考えよう。
初めにお話ししたことを参考に、今どの位置(意味合い)の【死にたい】なのか、それを周りは探って判断する必要がまずあると言うこと。
そして、絶対に今頑張っているからこその【死にたい】であることは間違いないので絶対に否定をしたり、
『死なないで』『あなたの行為でこちらも傷つく』『あなたの行為でこちらは心配になる』などのいわゆる他人のエゴを今生きようと必死に戦っている本人に押しつけないで欲しいと私は思います。
本当に死にたいと思ってる人に『死なないで』と言う言葉は逆効果です。
極端に言うと、理解が難しいかも知れませんが
【死なないで=生き地獄を過ごせ】
とすらなり得ます。
いくら他人が悲しもうと死なないで欲しかろうと、人が自ら死を選ぶときはそんなこと関係ないんです。
それを言われて踏みとどまれるうちは本当の死を望んでいるとは思えません。心のどこかで少しでも、まだ救いを求めていて生きたいという意思があるからこそとどまれるのだと思うからです。
死なないでと、あなたが死んだら悲しいと、そんなことを言っても結局その人の辛さは拭えないし背負えません。
ちなみに私は、本気で死を考えていた時『死なないで』と言われると心の底から怒りが湧きました。
死ぬなと言うならば、私の辛さ悲しみ悩み全て背負ってくれ。私を生かす為に全て面倒を見てくれ。そう思ったからです。
何故他人の感情のために私が生き地獄を過ごさなければならないのかとまで思ってしまっていました。
『死なないで』よりも、小さな小さな先の幸せを楽しみに待っていることを伝え、【死】から考えを逸らすことを手伝ってあげることが一番の止められる可能性だと思います。
~【死にたい】という思いを抱える人へ。私が伝えたいこと~
あなたが死んだら悲しいし、死んで欲しくはないけど、止めはしない。
最後に決めるのはあなた。
ただ、一つだけお願いがある。
今自分がどんな【死にたい】の位置にいるのかをもう一度だけ考えて見て欲しい。
もし最悪の結果(物理的)以外だった時には好きなご飯でも食べに行こう。いつでも誘ってくれ。
もし万が一、結果が変わらなかったらその時は受け入れる。
黙って笑顔で見送るよ。
あなたの頑張って生きてきた事実は私は私の墓まで持って行く。
私の人生であなたの分まで精一杯楽しむよ。
いつでも連絡してきてね。
~紹介~
<否定しないで。押しつけないで。かける言葉を考えよう。>
ここの内容に関しましては、現在私自身支援を頂いたり、交流を深めている団体*ACHA プロジェクトの代表山本昌子さんが運営するYouTubeチャンネル【児童養護施設出身 まこちゃん】にて約一年前にゲストとして出させて頂いた際にもお話をした内容になります。
※下記リンクから対象YouTubeチャンネルを視聴できます↓↓↓
上記で紹介したYouTubeの中では、過去投稿の自己紹介Part1~4でお話しした自身の過去にも触れているので見れる方は是非見てくださると嬉しいです!!!
私のように虐待等の経験から社会的養護を経験した子たちへの応援メッセージを兼ねて発信させて頂きました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
今回は少し重たいテーマに思えたかも知れませんが、私が生きている限り伝え続けたい思いの一つを発信できたかなと思います。
自分の経験からみた個人的な見解でしかないのでこれを読んだ感想は賛否両論だとは思いますがどうか、誰か一人でも共感を経て気持ちが軽くなったりできる方がいれば良いなと思います。
もうすぐ新年度を迎えます。
卒業・入学、出会いと別れの季節ですね。
新生活が始まる方も多いかと思います。
新しい一年、皆様にとって素敵な一年になることを願います。
一つ一つの出会いを大切に、悪い思い出も良い思い出も全て大切なあなたにしか経験できない人生経験として今後に活かしていけると人生がより豊かになっていくと信じております。
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今後ともよろしくお願い致します。
それでは次回投稿をお楽しみに^^
2023,03,20 しちゃ。