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ケニアのラッパーの SDGs

ケニアのダンドラというスラム街で育った、ジュリアス・オウィノというラッパーは社会起業家でもあります。

スラムで生まれ育った彼には、人生の選択肢が2つだったと語っています。

スラムで犯罪に手を染めて生きて行くか、努力による自分をレベルアップし善良な人間として生きて行くかです。

彼は音楽(ラップ)により、自分をレベルアップすることを選択しました。

「音楽活動をやればやるほど、自分の感情や自分が誰なのかを理解し、周りの環境を観察し理解することができた」と話しています。

ジュリアスのラップはケニアの「ヒップホップキング」と言われる「MauMau Camp」に見出され、コラボーレーションにより世に出ました。

彼のラップは、ケニアの言語である「シェン語と英語とスワヒリ語」のMIXです。これは、部族や社会階級などで分断された若者にメッセージを伝えるためです。

ジュリアスはケニアの若者が連帯し協力することを強く望んで、歌っています。

彼の社会起業家としての仕事は、コミュニティラジオとビジネスインキュベーション施設の運営です。

それは「ティモシー・パンヤコ ダンドラ」というナイロビの東にある街にあります。

この街は1970年代後半に、世界銀行の融資を受けたプロジェクトとして、地元住民に安価な住宅を提供するために開発されました。

しかし管理上の問題が多数発生しプロジェクトは頓挫、この地域は人口密度の高いスラム街とケニア最大のゴミ捨て場になりました。

この街で「Hip-HopCityFM」というコミュニティラジオと、「 SchoolofRhyme」という教育、芸術、ビジネス、テクノロジー、環境保護の分野の起業家を目指す若者のスタートを支援する事業をしています。

アメリカで生まれたヒップホップの初期には、ギャングとラッパーの境目は限りなく曖昧で、東側と西側でラッパーの殺人や報復等が行われていました。

しかし、そこから30年ほど時間が流れたケニアのヒップホップシーンでは、初期のアメリカのラッパーと同じようにスラムで育ったジュリアスが、社会起業家の顔も持っています。

この30年間で起こった情報通信の革命と、エコや SDGs等の社会課題を解決するためのムーブメントが、ラッパーのライフスタイルにも大きな影響を与えているんだと感じました。StaySDGs!!
#sdgs  #ヒップホップ #ケニヤ

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