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身代わり事件簿

この1年を振り返ると、こんなに運ないことってある?と思うことが何度もあった。

特に、食器を割ったりモノを壊してしまうことが多かった。

お皿は何枚割ったか、もう数えるのをやめたくらい割った。
しかも、どれも買って割とすぐに。

「いつもだったら絶対しない横着を」
「いつもだったらこんなところに置かないのに」
「なぜかこのタイミングで」
なんで割っちゃったんだ??どうして壊れてしまったんだ??と、首を傾げてしまうようなシチュエーションが多く、気味が悪いくらいである。

高いけれど気に入ってしまい、悩んで悩んでやっと買った自分用のカップを割ったときは、悲しすぎて3日くらい割れたカップを飾った(余計辛くなったので片付けた)。


形あるものはいつか壊れる。

分かってはいても、気持ちの整理がつきにくいこともある。

私を守ってくれたモノ

食器に限らずだが、子供の頃からモノを壊したときは「身代わりになってくれた」と思うことにしている。

あるいは、切ったほうがいい縁を断ち切ってくれたのだと思う。

そう考える人、意外に多いのではないだろうか。



大事なものが壊れてしまったのには、何か理由がある。
いつも使うものが壊れてしまったのには、何か理由がある。

不測の事態が起きたり、原因がわからないと、人は不安になり混乱してしまう。

自分自身で何か「理由」を作ることで、安心したり気持ちの整理がつけやすくなる時もあるのだ。


身代わりになってくれた、縁を断ち切ってくれたと思えば、大切にしていたものを壊してしまった時の「行き場のない憤り」「悲しさ」も、必要なことだったのだと気持ちの整理がつけやすくなる。


ものごとは考え方次第。
時には自分のために、ものごとを都合よく捉えることも大事だったりする。

忘れられないエピソード

10年ほど前になるが海外に滞在した時に、大事にしていたモノを修復不可能なくらい破損してしまったことがある。

その場所はめちゃくちゃ治安が悪いわけではないのだが、ちょっと危険な状態になりそうだったところを何とか切り抜けた後に気付いたのだった。
ちなみに、その出来事と物の破損は無関係である。

怖い思いをしたショックもあったが、大切な人にいただいた物だったのでとても落ち込んだし、申し訳ない気持ちになった。

しかしホテルで一息ついてその日を振り返った時、なんだか見えない何かに守られたような気持ちになったのだ。


もしかしたら、これが私を守ってくれたのかも?


そう思うと、なんとなく説明がつくというか、モノに対しての罪悪感や悲しさが少し和らいだ。


その日は悲しさを拭いきれなかったのだが、帰りの飛行機に乗る頃には、この旅のお守りになってくれたのだと思うことで気持ちを落ち着かせることができた。

形あるものはいつか壊れる

もう一つ、忘れられないエピソード。

昔、とても可愛いアクセサリーを購入した。
なんとなく「結ぶ」イメージを彷彿とさせるもので、当時付き合っていた人にも気に入ってもらえそうなアクセサリーだった。
実際「それ可愛いね」と褒められたので、ほぼ毎日身につけていた。

そんなある日、ちょっと外に出て帰ってくるとアクセサリーがなくなっていた。外に出ている間に落としてしまったらしい。
落としたことに気付かないってどういうこと?と自分にツッコミを入れてしまったことまでハッキリ覚えている。

急いで探しに戻ったのだが、道路の上で木っ端微塵に砕け散っているのが発見された。そんなに車が通らない道なのに、タイミング悪く車が通ってしまったようだ。

時間にして、2分も経っていなかった。
本当に一瞬の出来事である。

どうしたらこんな木っ端微塵になるの??としばらく眺めてしまうくらい、弾け飛んでいた。悲しさを通り越していっそ清々しいくらいである。


そしてこの「アクセサリーってこんなに木っ端微塵になっちゃうんだ事件」から数日後、そのアクセサリーを褒めてくれた人と別れることになった。


形あるものは、いつか壊れる。

「形あるもの」って、物質的なモノだけじゃないんだなと思ったのであった。



ちなみに私自身は、スピリチュアル的なものは信じないタイプです。
来年は金継ぎに挑戦しようかな。

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聡子
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