タヒチの女 ー母の死についての覚書13
5月の、少し歩くと汗ばむような陽気の日の夕刻に母は死んだ。
私はその日、見舞いに行く途中の駅で遅めの昼食を取り、転院先のK病院に着いたのは午後3時過ぎであった。
狭く、暗い階段の踊り場の壁にはダリの<記憶の固執>のポスターが掛けられていた。
母は死ぬのだ、この病院で。今日か明日か10日後にか。
案内された病室に入ると、手前に寝たきりと思われる男性、その隣に......私の母がいた。
全身を管で繋がれて、人工呼吸器を付け、少しだけ喘ぎ、見えぬ目を半分だけ開いて天井を見ていた。
「お母さん」
母の顔を覗き込むようにして何度か声を掛けた。反応はない。
これは......明らかに今夜が峠というやつだろう。
母の顔をじっと見つめているうち、私は帰りたくなった。なんだか母の臨終の場に私はいたくないと思った。
最期の最期に私がこの人に寄り添う――耐えられない重さだった......それに、数日前まで苺や菓子をねだっていた母が「急に」具合が悪くなった理由を父が母の臨終の際に医師に問い詰める姿が想像できたので父とは今ここで会いたくはなかったのだ。
私は母の顔と計器と時計とを代わる代わる見て落ち着かなかった。
帰ろう。今なら知らんふりして母の苦しみ、哀れな女の最期に寄り添わずに済む。
ああ、しかし、父が、来てしまった.............。
「なんだ、随分悪そうじゃねぇかよ」
「話しかけても応えないの」
「おい、和代、来たぞ」
「あ......あ............あ」
確かに父の呼びかけに母が応えた。
私は心の底から、こう思ったーーあなたはこの男を、最期まで支配出来たね、嬉しいだろう......?と。
「代わってやりたい、な」喘ぐ母を見て父が言った。私は黙っていた。
「昨日こんなの、口に付いてなかったぞ」
「人工呼吸器付けてなかったの?」
「なんだ、どれのことだ、どれ、人工なんとかって」
父の機嫌が急に悪くなったのが分かった。
「折角、ぶどう持ってきたのによ。はぁ、なんだってんだ」
きっとまたアケミが父に持たせたものだろう。こんな時でも頻繁に愛人と会っているのか。
「里香に電話してくる」
病室から一番近い階段の踊り場で妹に電話をしたが出なかった。病室に戻ると父は
「なんだあいつは。親のことどう思ってるの。最期までこれだもんなぁ、お父さん、嫌になっちゃうよ」と大きな声をあげた。
「ここだと迷惑になるから出て話そう。でも、今はお母さんと一緒にいた方がいいんじゃないかな」
「お前ぇよ、いつもお前の言うことが正しいと思うなよ」
「......外、行こう」
病室を出て踊り場でまた妹に電話したがつながらない。
「俺、おかあにまだ充分なことしてやったとは思わない」
一体、今になって突然何を言っているんだと思ったが
「充分にやったと思うよ」と言った。言うほかなかった。
「そうかなぁ、お父さんはしてないと思う」
「やったと思うよ」
「お前よ、さっきから聞いてれば何だその態度は。偉そうに。大体、毎日俺は来てるのにお前も里香も仕事だなんだって言ってロクに来やしなかったじゃねぇか。はぁ、どんだけ今まで俺があいつの面倒見たと思ってるの、お前には分からないだろ、なぁ?」
「私、一旦外に出るから。お母さんのところへ行ってあげて」
私はダリの絵を通り過ぎて受付で短く事情を話し、駅前のショッピングセンターの中を落ち着きなく歩き回ってその時を待った。
そして2時間後、母は亡くなった。
母の死を私に伝えたのは病院でも父でもなく伯母であった。