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タヒチの女 ー母の死についての覚書 7


父に交際している女性がいたなんて。
あの家族のことは、どんなことを聞いてももはやそうそう驚かなかったはずなのだが。

あれは私が中学生の頃だったか、夫婦喧嘩の最中に母が
「お父さんはね、昔やくざ者だったの。それにね、離婚してたこともあるんだから!」とこんな男と結婚してしまった私は不幸、さぁ憐れんでくれと言わんばかりに泣き叫んでいたが、父がチンピラだったことも、父母が一度離婚していたこともとうに知っていたし、そのことを知ったときも大して驚きやしなかったけれど、今回の父の不倫の告白には驚きを禁じ得なかった。
さらに驚いたことには、伯父夫妻にもすでに話したというのだ。
伯父、父の兄とはもう20年近く会っていないが父に似ず控えめな人で、伯母は、こんな人が母親だったらどんなに良かっただろうというくらい、聡明で優しい人である。
「兄貴は黙って聞いてたけどよ、ミッちゃんはおかんむりでよ。あの人は固い、頭固すぎるよ。まぁ田舎者だからしょうがねぇな」
私はもう口を利くのも嫌だったが
「伯母さんが怒るのも当たり前でしょう。お母さんが余命宣告受けたのに不倫の話だなんて」とため息交じりで言った。
「不倫?馬鹿、不倫じゃねぇよ。だってあの子は独身だもんよ、大分昔に結婚してたことがあるらしいんだけどな」
父はどうやら、不倫というのは世間でいうところのW不倫のことを指すと思っているようだ。片方が独身の場合、不倫には当たらないから問題がないのだと......。
父は、自分のしていることを正当化したくてこんなとんでもないことを主張しているのではない。この人は本当に物を知らないだけなのだ。
「あ、そうだ。これ見ろよ、お父さん大事に持ってるんだ」と父は財布から一枚のボロボロになった写真を取り出した。家族4人で写っている七五三の写真。
これまでに家族4人で外で集まったり外出したのはわずかに数えられるほどで、妹が生まれた病院、七五三、伯父の家、映画館と遊園地に一度ずつ、母が狂言自殺を試みて搬送された病院、妹の結婚式。これだけしかない。次に4人が集まるのはこの病院か、母の葬儀になるだろう。

「あ、これ、どうしようかな、また怒られちゃうかな」などと言って父はもじもじしながらあろうことか、紫陽花で有名な寺で撮られた、交際している女性の写真を見せてきた。
「この人。綺麗だろ。この子とは色んな所へ行ったなぁ......鎌倉だろ、城ヶ島だろ、フラワーセンターだろ......」
私は呆れ果てて何と言っていいか分からずに
「お母さんの方がずっと綺麗じゃんか」と口走ってしまった。
「そりゃまぁ、そうだけどよ。でも里香にも見せたら『綺麗な人だねぇ、お父さんと付き合ってくれる人ならいい人に違いないね』って言ってたぞ、お前、何だか兄貴の嫁さんにそっくりになってきたな、ああいう女は煙たがられるって」
妹は相変わらず父に媚びを売っているようだ。

私が小学生の頃、父は月賦で一眼レフのカメラを買った。父はあちこちに出掛けては花や蝶の写真ばかり撮っていたが、フィルムが余ると私たち姉妹を撮っては器量の好い妹の写真だけを大きく引き伸ばして何枚も額に入れて部屋に飾っていた。幼心にとても傷ついたが、何故妹だけ、とは訊かなかった。その理由が分かっていたから。それでも怪訝な表情を隠すことは出来ず、父はそれに気づく度に
「だって、あいつは絵になるんだもんよ。お前の写真もいいの撮れたら飾ってやるよ、今度な。それでいいだろ」とちょっときまり悪そうな、にやけたような顔で言うのだった。
写真の中の妹は大体いつも同じ仕草をしていて、私は子供ながらに妹をあざといと感じていた。肩ををわずかにすくませ、首を少し左に傾け、悪戯っぽい笑みを浮かべている。周囲の人間に媚びずには生きていけない少女が生き延びるために身に付けた処世術のようなものを妹は生まれつき備えているかのようだった。

「とにかく、その人、本当に悪い人なんかじゃないんだって。俺が困ってたら100万ポーンと貸してくれるような人が悪い人なわけないって。悪い人だったら俺だって付き合ってねぇよ。お前も会えば分かるって。さっき俺、おかあにメロンやったろ?あれだってあの子が『奥さんに食べさせてあげて』って持ってきてくれたんだぞ、そんな優しい人、そういねぇって」

なんで私はこんな父親を持ってしまったのだろう。
あの狂った母の方がまだまともな気さえしてきた。