タヒチの女 ー母の死についての覚書12
「もしもし?あ、里香、あ、美穂だった。俺。お父さん。お前とあれからちっとも病院で会わないけどちゃんと行ってるのかよ?行ってやれって。今日はそれにしてもまいった。あいつが診察受けてる間よ、俺、待合室みたいなとこにいたの。そしたらあいつが『貞夫ちゃん!貞夫ちゃん!』ってまぁ大きな声出すんだわ。俺恥ずかしくなっちまってよ」
母は今日明日にでも死ぬだろうという予感がした。
母が父のことをそうやって名前で呼んでいた日のことをよく覚えている。まだ3人家族だった頃の話ーー風呂のないアパートでみんなでドリフを見て、父がなぜか毎回ヒゲダンスで大笑いをしては母が
「貞夫ちゃんはいつもワンパターンなんだから」って言って、ねぇ、ワンパターンってなぁに?って私が訊いて......父が鼻の下に煙草を挟んでヒゲダンスの真似してみんなで笑って......
「なんで、一緒に診察室にいてあげなかったの、行ってあげなかったの......」
「だってよ、俺が一緒だとおかしいだろうよ。子供じゃあるめぇしよ」
もう何を言ってもダメだと思った。私が母を葬ろう。出来るだけタヒチに近い場所へ母が行かれるように。私は初めて青い背表紙の地球の歩き方を買い求めた。
私はかつて自分の肉体を気持ち悪いと感じていた。私は「デキ婚」の子ーー
しかも、母は臨月近くまで父に妊娠をひた隠しにしていたのか、あるいは自分が身ごもっていると気付かなかったのだった。ずっと父に気付かれなければ、父に逃げられていたら母は一体どうするつもりだったんだろうか。一緒に暮らして性行為をしているのにもかかわらず相手の妊娠にも気づかなかった父も、どうかしている。
こんなこともあった。中学生の頃、家に誰もいないときに探し物をしていたら茶箪笥の引き出しの中に避妊具を見つけた。毎日口汚い言葉で罵り合っている相手と......何故。顔を洗わず、歯も磨かず、ボロを纏った母を抱ける父ーー何故、父母は15年前にこれを使わなかったのか......?性の営みって一体何なのだろう......。激しい怒りと絶望と何とも言えぬ気持ちの悪さが腹の底からわいてきたのを覚えている。
父母の出会い。父による話だがーー父はキャバレーに勤めていた母の客だった。当時母には年上の男がいたのだが、美貌の母に一目惚れした父は足繁く店に通ったそうだ(母によると、店で一番金を遣わなかったのは父だそうだが)。
そしてある嵐の夜、裸足でずぶぬれになった母が父のアパートに突然やって来た。母の長い髪はバッサリと切られていて身体には傷......どうしたんだと尋ねると彼氏にやられたのだという。そのまま母は居着き同棲が始まり、そう時間はかからぬうちに私を宿した......。
なぜ母は私を産んだのだろう。分からない。
どうしてデパートのトイレで遺棄でもしてくれなかったのだろうか。
父は私を自分の子だと認め、母と結婚して責任を取ったのは偉く立派なことなのだろうか......?御冗談でしょう、あの男が何の責任を取ったというの......私に。
鏡に映った私の......顔...........。
気持ち悪い、気持ち悪い............