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タヒチの女 ー母の死についての覚書8

私の記憶の中の母を、出来る限りただの狂った恐ろしい女のままで留めておきたいのに、ここ数日の父はそれを容赦なく邪魔して憚らない。

3度目の見舞いの時、私は母に頼まれた菓子を持っていき食べさせた。母がしょっちゅう買っていた商店街の洋菓子店のプリン。しばらくすると父が病室に現れて
「おい、そんなもん食わせていいのかよ?おかあは糖尿だってお前知ってんだろうが」と大きな声で言った。
あと持っておそらくひと月、先生が母の好きなものを食べさせるようにと言っていたのを父も聞いていたはずなのだが。

しばらく病室で父と母のいつもの調子のやり取りを適当に聞いた後、また来るねと母に告げて帰ろうとすると父が煙草を吸いに行くと言ってついてきた。
「お前、あれ、わざわざ買ってきたのか、あのさっき食わせてたやつ。雨降ってるのによ。あいつが食いたいって言ってたのか?こういうときはな、どうせ味なんて分かんねぇんだからそこらのコンビニで買ったのやっておけばいいんだよ。何でったってそんなわざわざ......お前も要領悪いねぇ」
......なんて情のない男だろう。それに父も要領がいいとはとても思えないのだが。
私は子供の頃、何につけ「お前は要領が悪い」で片づけられるのがことのほか嫌だったことを思い出し、今、あの同じ気分を味わわされて痛みをじんじんと感じつつも妙な懐かしさを覚えた。

3度目の見舞いの翌々日、電車に乗っていると公衆電話から着信があった。父は携帯電話を持っていないので、父からに違いないと思った。ついに母が危篤との連絡だろうか。気になったので次の駅で降りるとすぐに再び着信があった。
「おう、俺。お父さん。今よ、俺病院にいるんだけどよ。今さっき先生から話があって、おかあに今のうちに会わせたい人がいるなら会わせろって言うんだよ。いよいよかなと思ってお前に知らせようと思って。里香のところはこれからだ。兄貴のところにも電話したんだけどよ、今、お姉ちゃんたち、お前の従姉。知ってるだろ?たまたま兄貴のところに2人来てるんらしいんだわ......それで......」
またどうでもいいことを延々と話し続けられるのはうっとうしいので
「今、ちょっと離れたところにいるからすぐには行かれないけど、そっちに向かうから。里香は近くなんだからすぐに来れるんじゃない」と話を切り上げさせた。

病院に向かう途中、父から何度も着信があった。一体何事か。たとえ母が危篤でも電車内で取る気にはなれなかった。人の迷惑になるのもそうだったけど、人は死ぬときは死ぬのだし、出来ることしか出来ないのだ。

病院に着くと、ツツジの植え込みのところで父がイライラして落ち着かない様子で煙草を吸っていた。
ああ、間に合わなかったのか......? と大きなため息をつくと
「里香のやろう、逃げやがった」と父は吐き捨てるように言った。
「え?お母さんは?」
「あいつはまだ生きてるよ。それより里香のやろうだ、さっきお前に電話した後で里香の携帯に掛けたんだけど出ねぇんだよ。何度掛けても出ねぇから、こんな時だからよ、本当は行きたくもなかったんだけどよ、里香の家行ったの。おかあが危篤だって言いに。そしたらよ、いねぇんだよ。何か様子がおかしいなと思って恥を忍んで隣の家に行って聞いたらよ、お隣は1年くらい前に引っ越しましたよなんて言うじゃねぇか、お父さん、えらい恥かいちまったよ。あのやろう、少しこっちが下手に出たと思って調子に乗りやがって......!」
「それよりお母さんは大丈夫なの?」
「あいつは今寝てるよ!あのやろう、ふざけやがって。何考えてるか分かりゃしねぇ。大体あの、なんてったっけ、あの男も悪りぃんだよ」
「その話はあとで聞くから。お母さんが危篤状態というから急いで来たんだけども......」
「お前もよ、帰ぇりたかったら帰ってもいいんだぞ、俺全部やっから。全く兄貴も、こんな時になんだっちゅうんだよ、来やしねぇでよ。娘二人が家に来てる?人が生きるか死ぬかってときにのん気なもんだ、お父さん死にたくなるわ」

母は危篤ではなかったのか?妹が逃げた?恨みつらみの言葉をぶつけてくる父......。私は頭と心臓の辺りが痛み出し、混乱し、茫然としていると伯父夫妻と従姉が玄関から出てくるのが見えた。こちらに気づくなり伯母が
「探したわよ。今、和代さんに会いに行ってきたのよ」と駆け寄ってきた。
「どうもすみません、急に電話して、悪かったね」と父が言うと伯父は
「何も悪いことしたわけじゃないんだから、なぁ?」と伯母の方を向いて言った。
「そうよ貞夫ちゃん。家族なんだから、遠慮しないで」
父は何度も伯父夫妻に
「本当にすみません」と繰り返し、私に
「いやぁ、有難いことだよ。本当によ」と言った。
さっきまで伯父たちが来ないことで死にたいと言っていたばかりなのに......。

母は危篤ではなく、父が医師の言葉を誤解して大騒ぎしていただけであった。