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酔いどれ雑記 21 うたかたの夢


もう17年も前の話です。2003年の5月、私はウィーンにいました。けれど目的地はポルトガルのリスボン。私は日本から直行便のない欧州の街や中東に行く際は私の大好きな街、ウィーンで経由し、行き帰りの数日を過ごすことが多かったのですが、その中でもこれからお話するのは忘れえぬ思い出の一つです。

その数か月前にポルトガルへは行ったばかりでした。何故そんなにすぐに再訪したのか......?あまりにも彼の国に惚れ込んだから。それだけです......多分。

初夏の欧州は素晴らしいです。冬のウィーンも確かに格別ですがーー寒いのは苦手な私ですが、あのしんと冴えわたった空気、華やかだが上品な飾りつけ、それに雪がうっすら積もっていたらなお結構......けれど初夏のウィーンは明るく、地下鉄なんか使わずにどこまでも歩いて行きたくなるあの陽気......。歩き疲れたらカフェにふらっと入りメランジェ(エスプレッソにミルクを入れてさらにミルクの泡を乗せたコーヒー)飲んで煙草を燻らせて......。

そうしてケルントナー通り(ウィーンで一番有名な通りでしょうか)のカフェのテラス席でのんびりしていた午後。一人の紳士が歩いてきて目が合いましたーーものすごくハンサム(ハンサムという表現は古いかもしれませんが、イケメンという言葉では軽いほどの美男でした)な方。そしてなんと私に声を掛けてきました。私は持ち前の警戒心、猜疑心からたとえ美男だろうが人の良さそうな老夫婦であろうが、まずは疑ってかかります。彼は挨拶をし、少し話してもよいかと言ったあと名乗り、会話を交わしました。そして、もしよろしければ今夜のオペラ座ご一緒しませんか、チケットが余っているので......と。演目を訊いてみるとトスカだというではないですか。私はオペラには詳しくありませんがさすがにトスカは知っています。一体どうしたものか......これは急に相手が何かの事情で来られなくなったか、もっと言うとフラれたのだろうか?と思いましたが私はそこを突っ込むほどの野暮天ではありません。しかし......行きたいのは山々だけれども、チケットをあげると誘っておきながら後で高額の金銭を巻き上げられたり、何かトラブルが起きないだろうか......?迷いました。悩みました。タダほど怖いものもないしチケット代は払おう(払う価値のあるものですし)、そしていざとなったら逃げよう、天下のオペラ座でおかしなことをするとはちょっと考えにくい、いや、するかも知れないけれどーー「喜んで」と私は答えました。では開演前に待ち合わせて軽く食事をしてから行きましょうと提案されたので私は「どちらで?」と訊きました。これは自衛のためです。もし良からぬことを企んでいるなら、そこの店の人とグルで何か仕掛けてこないとは限らないので、こうして見知らぬ誰かに誘われた時にはこちらが主導権を持つほかありません。けれどこの時ばかりは本当に困ってしまいましたーー見知らぬ人と一緒といえどオペラ座へ行く前の食事ですよ......屋台で済ませるわけにもいかず、本来なら食事は鑑賞後にするものですし。ここでいう軽い食事はやはりそれなりのホテルのカフェ等が相応しい気がするけども......とあれこれ考えていたらオペラ座目の前の某ホテル(私はそれ以後、そのホテルには数度泊まることになります、彼とではありませんが)はどう?と言われました。さすがにあのホテルで悪さをする人はいない......とも限らないけれどよい選択だと思いましたので、ではそこで後ほど会いましょう......ということになりました。

私はいざという時のために海外旅行、特に欧州に行くときはどのような場に行っても恥ずかしくない服、それに合うバッグや靴を必ず持っていきます。現地で調達する楽しみもありますが、それは時間的、金銭的に余裕がある時しかできません。突然、そのような場に行くチャンス到来!となった時に慌てて買うのは大変ですし、場にふさわしい服がないからとせっかくのチャンスをふいにするのも残念ですから。

私はオペラ座からたった3ブロック先という、観光するには絶好の場所にあるホテルに泊まっていましたので(伏せる必要もないですね......Hotel Astriaです。いわゆるウィーンのホテル御三家の次くらいに格式のあるホテルだと私は思いますし大変気に入っています)、部屋を出たらすぐオペラ座みたいなものです。部屋に戻って、しばし呆然としていました。そしてハッとして、私がオペラ!?しかもあんな素敵な方と?ど、ど、どうしよう、今からキャンセルできないかな、ああ、連絡先は知らないしこちらの居所も教えていない......すっぽかすなんて以ての外......。シャワーを浴びたけれど落ち着かないまま煙草を吸いながら化粧をして着替えて......。

部屋を出れば、ホテルを一歩出ればすぐにオペラ座みたいなもの......なんだか着いてしまうのが惜しいような気分でケルントナー通りに出て歩いてーーオペラ座の辺りは昼間も賑やかだけれど、着飾った人々が沢山集まっているのが見えて......嬉しくて胸が高鳴るのと、緊張するのと半分半分......こんな気持ちになったことなんか今までにあっただろうか?ああ、ずっとこんな気分に浸っていたいな......稀なる心の動きにしばし酔っていたくて、時間よ止まれと思いながらオペラ座のそばまでゆっくり、ゆっくりアダージョの速さで歩きました。

約束の場所で彼の姿をすぐに見つけることが出来ました。でもこれ、夢じゃないかしら。そして段々正気に戻ってくると何だか申し訳なさがこみ上げてきました。こんな素敵な人、いや、まだ数時間前に出会ったばかりで名前と美しい顔と優雅な所作くらいしか知らないけれどもーーこんな私と一緒でいいの?私、今宵のオペラ座をご一緒するのに相応しい相手なの?ああ、そんなこと考えちゃいけないーーだってここはウィーンだもの。今宵はそんなことは忘れよう、今夜だけはしがらみから解き放たれよう。私は選ばれたと思ってもいいかな......明日になれば元の私、うたかたの夢だったとすべて忘れても構わないから。

オペラ座など、もう幾度前を通ったか知れやしなくて数時間前までは風景の一部だったのに、まさかオペラを鑑賞することになるとは......。旅って、人生って、本当に分かりません。

初めて足を踏み入れる国立歌劇場。小澤征爾指揮とあってか、和服姿の日本人女性が沢山いました。洋装の私ーーもし旅の予定にこのオペラ鑑賞があったならば、和服を用意しただろうか?Nein、私は私、今宵は自分が日本人であるということすら忘れたい......そんな気分でした。

席について開演前に字幕を英語にセットはしたけれど、見る余裕も必要もなく......ただただトスカの世界に浸っていたいーー隣にいる紳士がたまに気になるけれど......。

幕間に、テラスでシャンパンを飲みました。心地よい5月の夜の風が吹き抜けていき、ああ、夢なら醒めないで......もう今ここで死んでもいいとさえ思いました。そして何故か私の好きな小説「存在の耐えられない軽さ」に出てくるドイツの諺が浮かんで離れませんでしたーーEinmal ist keinmal. 「一度は数に入らない」。ここにまた来ることなどあるのだろうか?なければ今宵のことはなかったことになるのか......?それでもいい、今夜だけでも夢を見させて、今夜眠ったならば明日にはすっかり忘れていたい。いや、もう目覚めなくていいから............。「すみません、日本の方ですか?」一気に現実に引き戻したのは私と同年代の日本人女性と思しき方でした。「ええ、あなたは?」

彼女は私と同じ歳で、声楽をやっているという方でした。なんでも別の楽団のチェリストの既婚男性に片思いをしていて、彼を追いかけて来たけれどももう帰らないといけないから日本に戻る前にオペラでも観ようと来たのだとか......。私はまさかオペラ座のテラスで人の恋の話を聞かされるとは思いもよらず面食らってしまいましたが、彼女ーーゆかりを好いたらしい人だと感じて談笑を続けました。例の紳士と3人で。ゆかりは昨日までザルツブルクにいたのだけれど、パスポートをホテルのセイフティボックスに置き忘れ、翌日取りに行く予定だということと、翌々日には日本行きの飛行機に乗らなくてはいけないことを続けざまに話してきました。翌々日は偶然、私がリスボンに発つ日で、しかもほぼ搭乗時間も同じだったので一緒に空港まで行こうということになりました。のみならず「迷惑じゃなければ明日、ザルツブルクにご一緒してもいい?」と訊いたら「朝早いよ~大丈夫?」と快諾してくれたのでゆかりとウィーンを発つ日まで一緒に過ごすことになりました。控えめだけれど芯があってしっかりしたゆかりとがらっぱちで癖のある私。きっと珍道中になるだろうなと楽しみでした。夢から一気に現実に引き戻されたけれど、そう悪くもないなぁ......と思うと同時にこのまま夢うつつのままに死ぬことは出来なくなったな、と苦笑しました。テラスには紳士淑女が集まり、色々な言葉が夜風と共に吹き抜けて私の頬を掠っていきます。これがとても心地よく、もうずっとこのまま幕間でいい、次の幕は永遠に始まらなくてもいいのに......と思いました。

歌に生き、愛に生き......星は光りぬ...... 音楽の素養がなくとも、イタリア語は分からなくともーーああ、音楽や絵画はいい......真に迫る表現でひとの心を打つことができて。私には言葉以外にこの精神の高ぶりを、陶酔を表現する方法がないのですから......。

演目が終わるとウィーンの夜は更け、オペラ座は風景の一部に戻りつつありました。どこの席にいるか分からないゆかりを正面で待っているとしばらくして階段を下りてきましたが、紳士と一緒にいる私に、なんだか気を遣っているように見えたので(彼に誘われてオペラ座に来たということはゆかりにはまだ話していませんでした)、私は紳士に素敵な夜に誘ってくれたことへの感謝の言葉を述べ、連絡先を交換して別れましたーー彼は最後まで紳士でした。

ゆかりはシュテファン寺院近くに宿を取っていましたが、トスカの余韻に浸りながら話そうかと私が泊まっているホテルのバーで飲むことにしました。Hotel Astriaのエレベーターはドアが洒落た布張りで、手動で開閉する仕組みです。翌朝は早いのに、暗いカウンターで二人で語り合いました。ああ、今日はなんて好い日なんでしょう。

翌朝、ホテルを少し早く出てゆかりとの待ち合わせの前に辺りを散歩しました。人もまばらなケルントナー通り。昨日のあれは夢だったのか、オペラ座の辺りは嘘のように静かで......ああ、リスボンに早く行きたいような、まだウィーンにいたいような......寝ぼけ眼で思索に耽っていると待ち合わせの時間が近づいてきたので石畳の道を足早に歩き始めると......どこかで見たことのある方がーージーンズ姿だったのではじめは確信がなかったのですがそれは昨晩、トスカを指揮していた方ではないですか。目が合い会釈すると「おはようございます、日本の方ですか?」と気さくに声をかけてくださいました。私は突然のことであがってしまい「昨日、オペラ座にいらっしゃいましたよね?」とバカなことを口走ってしまいました......私の生涯で3大恥ずかしかった出来事の一つです。けれど「観にいらしてくださったんですか」と優しいほほえみを向けてくださり心が洗われました。ああ、昨日のあれは幻ではなかった......あの場に私が存在できたことを喜ぼう、そしてつらいときには時々思い出すことにしよう。そう思いながらゆかりの待つシュテファン広場まで急ぎました。

地下鉄でウィーン西駅まで行き国鉄でザルツブルクへ......ゆかりと出会わなければ多分、一生行かなかったかもしれません。モーツァルトが生まれた街としてあまりにも有名な、オーストリア第二の都市だけれどもーーなんせ私は以後、オーストリアには10数回行くことになりますがウィーン以外の街を訪れたことがないのですから。

ザルツブルクに着いて、ゆかりがホテルにパスポートを取りに行っている間、私はミラベル庭園を散歩していました。映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台です。ウィーンと違って全然人がいない......静かでのんびりとして心なしか空気が澄んでいて、青空がどこまでも広がっていました。ゆかりが戻ってきて、街を散策。モーツァルトクーゲルンという定番のオーストリア土産のチョコレートがあるのですが、その元祖の店に連れて行ってもらったりモーツァルトの生家を観たり......。これ↓はそこらのスーパーマーケットでも普通に売ってる廉価なものです(それでもなかなか美味しいですが)。お菓子で「モーツァルト~」と名前が付いているものはまずピスタチオ風味だと思っていれば間違いはありません。

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ザルツブルクを散策後、昼食を取ってからすぐにウィーンに戻りました。そして向かったのは郊外のハイリゲンシュタットという地区にある、ベートーヴェンが住んでいた建物にあるホイリゲ(自家製ワインを飲ませる居酒屋)です。まだ陽は高く、お客は私たちしかいませんでしたが、ぶどう棚から木漏れ日あふれるテラス席を独り占め、ゆったりとウィーンの午後を愉しみました。音楽や絵画のこと、ゆかりの好きな彼のこと、昨日の紳士のこと......話は尽きませんでしたが、暗くなる前に戻って翌日の準備をすることにしました。そう、明日の今頃私はリスボンの街を歩いているのだ......1時間遅れのグリニッチ標準時。明朝7時にまたシュテファン寺院の前で待ち合わせて朝食を一緒にとる約束をしてGute Nacht......

夜のケルントナー通り。シャッターが閉まったショーウィンドウの明かりは煌々とし、カフェと食堂だけがぽつぽつと開いています。ケルントナー通りは不思議だ......どこか故郷の通りを思い起こさせる......多分そんなことを感じているのは世界で私だけだろうけれど......。

あと数時間でゆかりは日本、私はリスボンへ。例の紳士にはリスボンから戻ってきたら連絡してみようか、いや、とてもそんなことは......冷めたメランジェを啜りながらボーっと考えていました。「搭乗、1時だっけ?」「そう、ゆかりは12時頃だったよね?」成田に直行ではなくルフトハンザでフランクフルト乗り換えだと聞き、どこの航空会社が好きか、乗ってみたいかという話で盛り上がる二人......「リスボンまではラウダ航空なんだ」「え~いいなぁ、一度乗ってみたいと思ってるんだよね、でも乗る機会がなくてさぁ」「一緒に来る?行こうよ、リスボンもなかなかいいところだよ」「行けるもんなら行きたいさぁ、でももういい加減帰らなきゃいけなくて......うち、親がうるさいんだよねぇ」ここで初めて、ゆかりは実家に住んでいて、親には仕事だと言ってウィーンに来たことを知りました。お互い、色々ありますなぁ......と席を立ちそれぞれホテルに戻りました。数時間後にはまたシュテファン広場で待ち合わせ。

1週間後にまた戻ってくる部屋のベッドに寝転んで、オペラ座での夢と数か月前のユーラシア大陸の端の国でのことを思い出しながらまた例の諺、Einmal ist keinmal. 「一度は数に入らない」を反芻していました。まるで三四郎がストレイシープ、ストレイシープと呟くがごとく......。

観光客がそぞろ歩く午前のケルントナー通り。ウィーンとしばしの別れーー空港に着き、リスボンから絵葉書を送るよ、またいつか会おうとハグをしてゆかりを見送って......旅はまだ序盤なのにオペラ座の夜で今回の旅行の全てがすでに持って行かれたのではないかしらん。リスボンではそれを上回る何かがあるだろうか......

機内に入って座席を見るとビジネスクラスのそれでした。理由は全くの謎ですーーエコノミー席はガラガラなのに。けれど棚から牡丹餅、ゆかりへの葉書に書くネタが早速出来たとひそかに喜びました。時計を1時間遅らせ、昼のリレー。東京は夜の9時、カムチャツカの若者は寝ている時間だろう。

この年2度目のリスボン......これまた印象に残る旅でした。滞在中に3度目の予定を考えるほどのーーその話はいつかまたに譲ることにいたしますが、ウィーンに戻っても、オペラ座の紳士に連絡することはなかったということだけお話しておきます。ウィーンからリスボンの紳士が好きだと話していたシューベルトの絵葉書を送ったこととは、多分関係ないけれども。

その後10数回、ウィーンに行きました。一人で、ときに二人で。いつぞやにウィーン経由でサラエヴォに行ったときにはオペラ座の紳士と再会するつもりでしたが(滞在するホテルも携帯の番号も教えました)............ああ、愚かな私、臆病な私、つまらない人に操を立てただなんて。どうしてどうして、私はいつもこうなのでしょうか。

あれから17年、未だにあの日のことと現実の不安が入り混じったような夢を見ます。私のよく知っているウィーン、本当の街とはまるで違うのに間違いなく私はウィーンにいて、今夜のオペラ座に着て行くドレスがないと慌てている夢を。そんな私の今の夢は、オペラ座の桟敷席で息絶えることです。好きな演目を観ながらの自然死。Einmal ist keinmal,einmal ist keinmalと呟きながら............。

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