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タヒチの女ー母の死についての覚書ー

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私のことを虐待していた母に余命宣告......? 一体どうしよう、会うべきかーー母を人として葬るべきか。 虐待サバイバーの苦悩、葛藤、心の叫び!
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記事一覧

タヒチまで

今日は母の命日です。私を虐待した母の。 母にされた数々のことよりも、母の死の前後の出来事…

Noe
3年前
9

タヒチの女 ー母の死についての覚書 あとがき

この作品(本編)はタイトル通り、私の母の死について書いたものです。今年でもう七回忌となる…

Noe
4年前
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タヒチの女 ー母の死についての覚書 24(終)

母は小さな寺にある永代供養墓の地下8メートルで永遠の眠りについた。 母がここを居心地よく…

Noe
4年前
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タヒチの女 ー母の死についての覚書 23

母を火葬してからすぐに私は日常を取り戻したが、2日に1度くらい父が電話を掛けてくるようにな…

Noe
4年前
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タヒチの女 ー母の死についての覚書 22

生まれ育った町、懐かしい同級生の家々や店の前を通って駅まで歩いた。 3人前の寿司で思い出…

Noe
4年前
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タヒチの女 ー母の死についての覚書 21

2枚の海づり公園の券。これが何を意味するかすぐにピンときた。そして、印字された日付を見て…

Noe
4年前
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タヒチの女 ー母の死についての覚書 20

母の火葬が終わったという知らせが入った。 私たち3人のみが骨を確認するようにと案内され、骨になった母を待っている間に父が小声、けれど得意気に 「骨の色付いてる部分っていうのは、身体の悪かったところなんだってよ」と言った。 いざ対面した母の頭蓋骨が、緑青のような色で覆われていたので父は気まずそうな表情をしていた。ガンに侵されていた腹部辺りの骨には色が付いていなかったからだろうか。それとも......? 「お母さん、随分小さくなっちゃったねぇ......」と妹がつぶやいた。 私は

タヒチの女 ー母の死についての覚書 19

パラヒ、母。 今日は母を火葬する日。母の肉体を認める最後の日。 今日もまた駅で妹たちに拾っ…

Noe
4年前
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タヒチの女 ー母の死についての覚書 18

母が、長い長い旅に出る。 タヒチへか、地獄行きかは私は知らない。 それぞれ持ち寄った品々…

Noe
4年前
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タヒチの女 ー母の死についての覚書 17

昨日と同じように妹夫妻に葬儀社の近くの駅で拾ってもらうと後部座席に父が乗っていた。 私は…

Noe
4年前
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タヒチの女 ー母の死についての覚書 16

伯母夫妻と父がドアを開ける前に私たちは起立し、こちらに歩いてきたところで礼をして着席した…

Noe
4年前
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タヒチの女 ー母の死についての覚書15

ソファーに寝転がってため息をついたり調べ物をしているとすでに窓の外が明るくなっていた。母…

Noe
4年前
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タヒチの女 ー母の死についての覚書14

母が、死んだ。 たった一人、夫だけに看取られて。 最期の最期まですごい人だなと思った。 …

Noe
4年前
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タヒチの女 ー母の死についての覚書13

5月の、少し歩くと汗ばむような陽気の日の夕刻に母は死んだ。 私はその日、見舞いに行く途中の駅で遅めの昼食を取り、転院先のK病院に着いたのは午後3時過ぎであった。 狭く、暗い階段の踊り場の壁にはダリの<記憶の固執>のポスターが掛けられていた。 母は死ぬのだ、この病院で。今日か明日か10日後にか。 案内された病室に入ると、手前に寝たきりと思われる男性、その隣に......私の母がいた。 全身を管で繋がれて、人工呼吸器を付け、少しだけ喘ぎ、見えぬ目を半分だけ開いて天井を見ていた