グルと過ごせば・・・(5)
サフラン色の衣を着ない聖者たち
写真の絵は、サダナンダ先生のご尊父であるマハラジ(下)と、その、ご尊父のグルであるマリマハラジ(上)です。
サダナンダ先生たちの伝統では、どのグルも、だれもオレンジ色の聖者の衣を着ていません。
この方々をお祀りしたお寺にいくと、お堂に足を踏み入れただけでも、あたたかいものに包まれて、涙が出てくる人がいるほど、強いチカラをもっているのに… みんな、ドーティ姿の、普通のインドの親父スタイル。^^;)どうしてなんだろうと思っていました。
これは、殊更にサフラン色の衣を着て、出家を宣言しなくても、そのように生きていればそれで良い、ということ。在家のままで、結婚をして、子供をもうけて、玉ねぎもニンニクも、美味しく食べる聖者たち。
それによってラジャスにもタマスにも染まらないでいられるならば、美味しくいただく。善悪を越えて、心が安定していられるならば、それで良し。ヘビースモーカーだったりもする。笑
一日中ヒマラヤの山中で瞑想をするよりも、仕事そのものを瞑想にするのが彼らのやりかた。
「私は朝5時から夜眠るまで、ずっと仕事をしている。それが私の瞑想だ。」と、サダ先生は言います。
一つのことを、ずっと集中力を持って続けることこそが瞑想なのです。
だから、いわゆる巷で言われるような「聖者の教え」とか、「スピリチュアリティ」の話を聞こうとしても無理なのです。
「スピリチュアル」は、現実とかけ離れたところにある、別格の何かではなく、儀式をしなければ到達できないような世界ではなく、現実そのものを、一瞬一瞬を心を尽くして無駄にせずに生きることに他ならない。
目に見えない世界の力も、当たり前の現実の中に組み込まれていると捉らえます。だから、僧侶を頼んで大きな儀式も頻繁にするし、見えない世界の法則にも敏感ではあるけれど、「見えない世界が重要で、目にみえる世界は軽い」のではなく、どちらもひとつに溶け合った現実を生きることなのです。
グルと一緒に過ごすということは、こういうことを彼の背中から学ばせていただく、とても、とても、ありがたい時間なのでした。
次回の来日予定は未定ですが、年末か年始あたりにきてもらいたいな〜と思っています。