日本研究 信仰編 ⑶祖霊信仰とまれびと
祖霊信仰とまれびと
人は死ねばどこに行くのか。
神々の世界だろうか。では神とはどういう存在だろうか。
どこから来てどこに行くのか。死んだ者も、またいずれは戻って来てくれるだろうか。
そんな人々の思いから生まれた重要な概念が祖霊信仰とまれびとです。
祖霊信仰を最初に深く考察したのは柳田国男であり、その柳田の弟子である折口信夫によって提示されたのが、まれびと、という神概念です。
以来この二つは日本の神を考える上で欠かせないキーワードとなっています。
ここではその二つのキーワードについて考察していきたいと思います。
①祖霊信仰
人は死ぬと皆他界に赴く。他界とは深山や地底、海の彼方にある神々の世界であり、人はそこで祖霊となって子孫を守る。祖霊とは神となった先祖の霊です。
死者は遠くに去ってしまうのではなく、祖霊となって子孫を訪れ子孫を守護する。古来より続くこの信仰を祖霊信仰といいます。
柳田は各地の伝承や風俗を研究し、この信仰をより詳細に考察しました。
柳田は他界の中でも特に山を重視しました。
国土の7割を山が占める日本において、山は最も代表的な他界と言えます。人が死ぬことをそのまま「山に行く」と表現する地域も各地にあるほどです。さらに遠くの深山や高山よりも、子孫の近くの山にこそ祖霊は住まうと柳田は考えました。祖霊は春になると山を降りてきて子孫の田の神となり、盆にはその子孫の家を訪れ、収穫が終わると子孫の田を去ってまた山の神となり、正月には年神となってまた山から子孫の家を訪れる。
つまり柳田は人の下を訪れるあらゆる神は、実はすべて山に住むその人の祖霊だと考えたわけです。
確かに狐が農耕神(稲荷神)の使いとされたのは、春に里に現れ子育てをして秋山に帰るその生態の為だと言われます。山の神は春に田に降臨し秋に山に帰る。狐はそれを象徴する生き物だったのでしょう。
先祖の霊が帰ってくるお盆には、山の上から里に続く道を掃除するのが一般的でした。盆路づくりという風習です。これも祖霊は山に住まうと広く信じられていた為でしょう。
正月に飾る門松も近くの山から取ってくるのが一般的な慣わしでした。
門松という神の依代を山から取ってくるという事は、やはり山の神をお迎えする為と考えられます。
定期的に山を降り子孫を訪れ守護する祖霊。
それが人々が接する一般的な神であったあったことはどうも間違いなさそうです。
ですがその一般論を超え、あらゆる神を祖霊に還元しようとしたところが柳田の特色でした。
柳田は人が死んだ後祖霊になる過程も考察しました。
人は死んですぐ祖霊になるのではなく、まず死霊となるといいます。
死んで間もない霊はまだ荒ぶる存在のため、これを鎮めるための供養が重ねられます。その過程で荒ぶる霊魂は鎮められて純化し、やがて33年(49年、50年の場合もある)の後、名前や個性を失いついに先祖の集合霊と合一するというのです。
柳田にとって祖霊とは先祖各人の個別霊ではなく、あらゆる先祖の霊が合一したこの集合霊を指します。先祖が辛苦の末に耕した田畠を受け継ぐ人々にとって、祖霊が最も身近な神である事はおそらく確かでしょう。ですがあらゆる神がこういった祖霊に還元されるかというとかなり疑問が残ります。
では折口の提示したまれびととはどういうものなのでしょうか。
②まれびと
まれびととは簡単に言うと常世の国から人々を訪れる神です。
常世とは他界観念の一つで、折口によると海の遥か彼方にあると言います。柳田が重んじた他界(近くの山)とはかなり対照的です。
他界から訪れる神というと祖霊とは何が違うのかという疑問が起こりますが、折口によるとまれびとは受け取る側がそれを祖霊ととれば祖霊にもなるが、本質的には各家の先祖などという個性を越えた神です。
折口にとって神とは実に多種多様な現れであり、その多種多様な神を統一的に捉える概念がまれびとでした。
そしてこのまれびとこそが、祖霊より先にくる神々の祖型であると。
この点でもあらゆる神を祖霊に統一しようとした柳田とは対照的です。
さらに折口は純然たる神だけをまれびととは考えませんでした。
神の力を宿す、または神と交わる技芸を持った旅人もまたまれびとでした。宗教者や芸能者などがそれで、神が憑依する巫覡(呪術師.祈祷師)などはその典型です。
まれびとは遥か異郷より現れ共同体全体に対します。その様子を現代に残す最も有名なものが秋田のナマハゲです。
蓑笠を着た鬼面の神、ナマハゲが手に包丁を持って大晦日各家に上がり込み、「泣く子はいねがー」、「悪い子はいねがー」」と子供や家人を脅して回ります。こうして共同体の厄は祓われ、無病息災、豊作、豊漁などがもたらされるといいます。蓑笠は旅衣裳であり、ナマハゲが長い旅の末訪れたことを表します。
この容貌や行為からも分かる様に、ナマハゲは単に子孫を守護する祖霊とは趣を異にします。福をもたらすとともに共同体を畏怖させ揺さぶる存在でもあるのです。
鹿児島県甑島のトシドン、沖縄のマユンガナシとパーントゥ、愛知の花祭りの榊鬼等、ナマハゲに類似するまれびと行事は各地に多く残ります。
無論容貌や行いに地域差はありますが、まれびと神が福と共に畏怖.戦慄を運んでくる存在なのは全てに共通します。
それは神力を宿す旅人と共同体との関係と同じでした。彼らは共同体にとって聖なる客人であると共に、流れてきた怪しく不気味なよそ者です。
外部から福をもたらすかもしれぬ反面、共同体を揺さぶり恐怖させる存在でもある訪問者。
この緊張感に満ちた両面性を持つまれびとこそが、あらゆる神の祖型なのだと折口は考えたわけです。
③まとめ
最祖霊信仰とまれびと。それは古来より現在に続く、神と人々との関係性とも言い換えられます。この関係性を最初に深く考察したのが、柳田国男と折口信夫という二人の師弟でした。
そしてその考察について二人は対立したまま最後まで譲りませんでした。
柳田は折口のまれびと論を基本的に最後まで認めなかったといいます。
折口も祖霊にあらゆる神を還元する柳田の考えは受け入れられず、まれびと
こそが神の祖型であるとの信念を変えませんでした。
愛憎こもごもの師弟の対立は二つの思想を一層磨いてゆき、今では共に日本の思想や民俗を研究する上での欠かせない概念となっています。
いずれ機会を見てまれびとを、そして柳田と折口との関係も深掘りしてみたいと思います。